載せられていた「斉明天皇供養塔」の
写真を見た時、身体に電撃が!!Σ(゚Д゚ノ)ノ![雷](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/091.png)
![雷](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/091.png)
なぜだろう。ドキドキが止まらない。
なんでこんなにドキドキするんだろう…と
ネットで調べれば調べるほど
行きたいっっ。
以下、説明が下手で長文となります。
すみません。
長い目で許してください。
![滝汗](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/039.png)
第37代斉明天皇とは…(by.ウィキペディア)
飛鳥時代に49歳で再度即位された女性天皇で、
第35代皇極天皇と同一人物です。
譲位によって皇位継承されたことで
平成から令和へ年号が変わったばかりですが
皇極天皇時代に日本初の【譲位】を行い、
後に第37代斉明天皇として再度即位されました。
その斉明天皇の供養塔が愛媛にあると知り、
写真を見た瞬間からずっと
ドキドキが止まりません。
斉明天皇の崩御の地には諸説あります。
ここからは読み流してください。(*ノωノ)ゴメンナサイ
現在、斉明天皇の陵墓は奈良県の
越智崗上陵(おちのおかのえのみささぎ)が
最有力候補とされています。
日本書紀に書かれている「崩御された場所」、
百済支援のために天皇の「仮の宮」を作ったとされる
「朝倉橘広庭宮」という場所はどこなのか。
その時、日本の中心だったことを意味する「朝倉」という地名はどこなのか。
仮の宮として最有力候補として現在上げられているのは福岡県の朝倉市にある恵蘇八幡宮。
百済へ向かう途中「【伊豫の湯】と呼ばれるところで斉明天皇が疲れを癒したとされる「伊予風土記」にある「石湯行伝承」は何処か。
時を戻そう
←ペコパ風
![真顔](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/042.png)
そ、それはですね!
インスタに載せられていた供養塔の場所は、
様々な古文書に残されてるキーワード(赤い文字)が全て揃ってるんです。
「愛媛」は「神様の名前」が唯一残る県。
「今治」あたりの昔の地名は「伊豫(いよ)」、
その当時、治めていたのは「越智国」であり、
越智国の都は「朝倉」だった。
市内には歴史的な「石風呂」もあり、
供養塔の近くにはパワースポットでも有名な
「多伎神社」があり、そこには50基以上の古墳群もある。
独りドキドキしてます。(*ノωノ)
斉明天皇は五度も百済に行ったとされているので
一度は立ち寄られたのは間違いないと思います。
女性で、49歳で即位して、国外へ何度も…
それはそれは大変なことがおありだったと思います。
供養塔とされるインスタの場所へ行きたい。
15日はじいじの月命日。
15日は神様と繋がりやすい「月詣り」の日。
●じいじのお墓参り。
●斉明天皇の供養塔詣り。
●多伎神社への月詣り。
突き動かされるように心が動いたので
パパにお願いして連れていってもらうことに![ラブ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/006.png)
![ラブ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/006.png)
(●´人`●)
長くなったので後編へつづきます。![おねがい](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/005.png)
![おねがい](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/005.png)