映画「白磁の人」製作日誌

「白磁の人」の映画を一緒につくりませんか!

日本が朝鮮半島を植民地としていた時代、心から朝鮮の風土を愛し、朝鮮人からも愛された日本人がいました。“静かでおおらかで自己主張しない白磁のような人” 巧さん。
 その人を描いた小説「白磁の人」(江宮隆之著 1994)の映画化が、今進められています。

 浅川巧(あさかわ たくみ)は山梨県北杜市出身です。
1914(大正3)年、日本の植民地下にあった朝鮮半島に渡りました。

朝鮮の民族や文化を日本の国策として差別していたその時代、偏ることのない精神で朝鮮の人々と文化に接し、陶磁器や木工品など朝鮮庶民の工芸と出会い、兄伯教とともに日本の民芸運動のきっかけをつくりました。また八ヶ岳の野山で育った巧は林業技術者として朝鮮の山を歩き、禿げ山の緑化に尽くしました。
 巧は、国や民族や宗教といった人間を区別する垣根を心のうちに築くことなく、人類の一人として生き抜き、2003(平成15)年には、韓国の高校教科書に登場しました。

「韓国の山と民芸を愛し、韓国人の心の中に生きた日本人、ここ韓国の土となる」

これは、巧の没後55年を経て、韓国林業試験場の職員が浅川巧を追慕して建てた碑に刻まれている言葉です。40歳の若さで亡くなった浅川巧の墓は、ソウル郊外忘憂里(マンウリ)の共同墓地 で、韓国の人々によって、今も大切に守られています。

 小説「白磁の人」の映画制作を、国内はもとより韓国の方々とともに支え合い、「日韓相互交流」のあらたな一歩を踏み出したいと思います。
 多くのみなさんのご協力をお願いします。

Amebaでブログを始めよう!

浅川伯教・巧の生涯

            浅川伯教・巧の生涯



1884(明治 17) 浅川伯教、甲村(現北杜市高根町)に誕生

1891(明治 24) 浅川巧、甲村(現北杜市高根町)に誕生

1906(明治 39) 巧、山梨県立農林学校入学

  <伯教、この頃小宮山清三と出会い朝鮮の美術を知る>

1913(大正  2) 伯教、朝鮮に渡る。南大門小学校訓導

1914(大正  3) 巧、朝鮮に渡る。農商工務部山林課勤務

           伯教、千葉県我孫子に柳宗悦を訪ねる

1916(大正  5) 柳宗悦、朝鮮を旅行。巧宅に泊る

1920(大正  9) 伯教、彫刻「木履の人」で帝展に入選。

           巧、千葉県我孫子に柳宗悦を訪ねる。

           朝鮮民族美術館設立が構想される

1922(大正 11) 伯教、窯跡調査開始

1924(大正 13) 朝鮮民族美術館開館

1927(昭和  2) 伯教と巧、分院窯跡調査

1929(昭和  4) 巧、『朝鮮の膳』刊行

1930(昭和  5) 伯教、『窯山跡と対州窯』刊行

1931(昭和  6) 巧、死去。享年40歳。

           『朝鮮陶磁名考』刊行

1964(昭和 39) 伯教、死去。享年80歳。