留学に対する価値観って、日本人と他の人達で随分違うなーと感じるこの頃。
自分は“海外でPhDをとりたい”というところからスタートして進学先を探しましたが、多くのラボメイトは“海外で”が頭につかなくて、単純にPhDを取ろうとしたら自然にイギリスに来ちゃった、という人のほうが多いんですよね。
どうしてここに決めたの?という質問にも、先生の返事がポジティブだったから、という答えが一番多く、資金面でのサポートが受けられ、ある程度自分の興味の範囲内の研究なら別になんでもいいという考えのようです。って、私も同じ基準で選びましたけどね。
日本だと、1年程度の交換留学や語学研修でもすごく大げさに扱っている気がします。それだけ、目的意識をもって留学しているというならわかりますが、必ずしもそういうわけではないように、私の周りを見る限りは思います。一年で顔つきを変えて帰ってきた人もいれば、あれ留学してたの?くらいの人もたくさんいました。
あと博士課程に進むということは、自分にとっても多くの日本人にとっても大きな決断なのですが、彼らはかなり自然に進んでいます。イギリスの学生は学部3年+博士3-4年なので日本の修士の間隔で進めるというのも影響しているのかもしれませんね。
私は個人的に、覚悟を持つこと、をすごく支持します。少なくとも私がいる研究施設では、本気で上までのし上がろうとしているのは自分くらいで、与えられたこと以外のこと、平均がやっていること以上のことを何とかやろうとしている人はあまりいません。イギリスに来るまでは、海外の大学院は生ぬるさがなく、もっとみんなが必死になっていやっているのかと思っていましたがそうではなかったです。確かに、語学力は皆さんかなり高く、また平均的な頭の回転の速さは日本の大学院生と比べて早いです。一方、日本の学生の方が実験は丁寧でまた仕事を頑張っているように思います。
研究者の世界は厳しいし、残酷です。PhDを取得しても就職率は悪く、またアカデミックに残ろうと思えばさらに辛くなります。私がいるpure science はよりその傾向が強いです。加えて、ポスドクという短期雇用研究員に慣れても終身雇用の職を得るのに、早くて2-3年かかり、新しい職を得るには更に厳しい競争があります。その後も、研究のための資金獲得、教授職を得るための競争が続き、心休まる暇はあまりありません。日本は比較的マシです。技術企業が多いため、ドロップアウトがしやすい上、日本語社会なので海外研究者との競争はあまりありません。加えて、年功序列/終身雇用の文化がまだ根強いため一度テニュアの職を大学で得られれば、ひとまず安心です。ただ、それが地方国立/私立大学の研究成果が上がらない原因とも言われていますが。
私は出来る限りのことをやろうとしている自負があります。先輩や教員の知識や技術をできる限り吸収し、結果を集め、アイディアをため込み、できる限り自分より深く考えられる人と過ごす時間を増やすように務めています。自分の研究を深める傍ら、周りの学生のテーマの議論にも参加できるように情報を集め、また将来の研究に活かせるアイディアや知識をまとめています。基本的に教員も同僚も彼らに都合の情報だけを私に指導します。それだと、使われるだけで終わる気がどうしてもしてしまうので、多少迷惑なくらい能動的に学び続けることを心に留めて日々を過ごしています。
この前、oxfordに行った時にこんなポストカードがあったので
why you study?
The more you learn, the more you know.
The more you know, the more you forget.
The more you forget, the less you know.
So why STUDY?
これって、要は具体的な目標がなければ勉強なんてするな、ということだと、
私は勝手に解釈しました。
おそらく、高等教育のことを指していると思うのですが、
基本的に大学で学ぶことなんて、一般人の間隔からすれば役にたたないことだと思います。
英語や簿記、ビジネス系も同じで、そんな能力、普通に生きていく上では何の役にも立ちません。
じゃあ、私達が学ぶ理由は何か、といわれれば、そんなの人それぞれ。
私の場合、綺麗事を言えばまず単純に科学を学ぶのが好きだということ。
学ぶ過程で生まれた疑問や仮説を明らかにするために学んでいるとまた新しい疑問や仮説が生まれてしまい、それを解決せずにはいられない。
もう一つは教えるため。自分が持つ知識や考えを他の人達に伝え、それで理解してもらえ、喜んでもらえることに幸せを感じるから。
最後に、地位と名誉のため。大学教授になるため、この業界で認められるためには思考能力、現場経験、専門知識、表現力etcが必要になるため。
別にある企業に入るためでも、ある大学に入るためでも、勉強なり練習なりする意義はあると思う。
甲子園に出場するために練習するのも素晴らしいことだと思うし、何故甲子園に行きたいのか、という問には「行きたいから」という答えで十分だと思う。
テストのために勉強することが良くないとも聞くけども、テストで良い点をとること=幸せ=目標ならそれでいい。もし、良い点をとっても幸せを感じられないなら、何か別の理由を探すか、勉強をやめたらいい。
留学が目標になってしまうと意味が無いとか聞くけども、別に留学すること自体が目標ならそれでいい。別に留学先で勉強しなくても、自国民だけで固まっていても、本人は留学するという目標を達成しているし、それで満足しているなら何も問題ない。
働くことも同じ。働きたいなら働けばいい。別に働かなくたっていい。お金のために働くということも別に構わないし、他の理由があるならそれでいい。
だから勉強も労働も全て、自らが望んでその行動をとっている。ということを私たちは忘れないほうが良い。やってはいけないことはあるけども、やらなければいけないことは1つもない。
だけど、私は感謝(という表現が正しいのかはわからないが)している。
毎日をつまらなく生き、不満ばかりを口にしている人たちに。
彼らがいるから、私たちは評価され、また自らが望む仕事に集中することができるのだから。
why you study?
The more you learn, the more you know.
The more you know, the more you forget.
The more you forget, the less you know.
So why STUDY?
これって、要は具体的な目標がなければ勉強なんてするな、ということだと、
私は勝手に解釈しました。
おそらく、高等教育のことを指していると思うのですが、
基本的に大学で学ぶことなんて、一般人の間隔からすれば役にたたないことだと思います。
英語や簿記、ビジネス系も同じで、そんな能力、普通に生きていく上では何の役にも立ちません。
じゃあ、私達が学ぶ理由は何か、といわれれば、そんなの人それぞれ。
私の場合、綺麗事を言えばまず単純に科学を学ぶのが好きだということ。
学ぶ過程で生まれた疑問や仮説を明らかにするために学んでいるとまた新しい疑問や仮説が生まれてしまい、それを解決せずにはいられない。
もう一つは教えるため。自分が持つ知識や考えを他の人達に伝え、それで理解してもらえ、喜んでもらえることに幸せを感じるから。
最後に、地位と名誉のため。大学教授になるため、この業界で認められるためには思考能力、現場経験、専門知識、表現力etcが必要になるため。
別にある企業に入るためでも、ある大学に入るためでも、勉強なり練習なりする意義はあると思う。
甲子園に出場するために練習するのも素晴らしいことだと思うし、何故甲子園に行きたいのか、という問には「行きたいから」という答えで十分だと思う。
テストのために勉強することが良くないとも聞くけども、テストで良い点をとること=幸せ=目標ならそれでいい。もし、良い点をとっても幸せを感じられないなら、何か別の理由を探すか、勉強をやめたらいい。
留学が目標になってしまうと意味が無いとか聞くけども、別に留学すること自体が目標ならそれでいい。別に留学先で勉強しなくても、自国民だけで固まっていても、本人は留学するという目標を達成しているし、それで満足しているなら何も問題ない。
働くことも同じ。働きたいなら働けばいい。別に働かなくたっていい。お金のために働くということも別に構わないし、他の理由があるならそれでいい。
だから勉強も労働も全て、自らが望んでその行動をとっている。ということを私たちは忘れないほうが良い。やってはいけないことはあるけども、やらなければいけないことは1つもない。
だけど、私は感謝(という表現が正しいのかはわからないが)している。
毎日をつまらなく生き、不満ばかりを口にしている人たちに。
彼らがいるから、私たちは評価され、また自らが望む仕事に集中することができるのだから。
おい、一端の学生が何を偉そうなことを書いてるんだ、といわれそうなタイトルですが、
学生なりに、未熟者なりに、仕事について、最近考えたことを書きたいです。
雑記、乱文です。
何かの本に書いてあったし、私の周りでも感じることですが、
最近の若者は「もっと自分を成長させたい」という意欲が働く原動力になっているようです。
お金に苦労しなくなったため、何か他に働く理由を見つけなければいけない。
そこで自分を納得させられる理由として、適したのが「成長するため」
社会のため、という道もあったのだろうが、現在の若者(大人も)は社会と自分との直接的なつながりが弱く、社会とは自分と切り離されたもの、という考えを抱いているようです。(私もですが)
ボランティアも、自己の成長のため、という目的で行なっている学生も少ないくように感じます。
(ボランティアに関する考えも、またどこかで話します)
最近の傾向として、やる気のある学生ほど大学での授業よりも課外活動での学びに重きを置いているように思います。
ただ、彼らの傾向として(自分自身の反省を踏まえ)2つ大きく間違えていることがあります。
1つは、上が求めたことに、結果を出さずに文句をいうことです。
わかりやすいことがお勉強。受験勉強で人生は決まらないしかり、大学の成績なんて役に立たないしかり、世の中学歴じゃないしかり。
そうしたことは、勉強ができて、成績をとって、いい大学を出ている人間が言わなければ、負け犬の遠吠えにしかないです。
僕は東大に合格することも、国家一種試験に通ることもすごいと思います。それらの試験で求められていることは、断片的な知識ではなく、ある部分における人間としての総合的な能力だと思うんです。
それは僕ができなかったこと、しなかったことです。
ただ、社会や大人の評価の中では求められたことで、出来た人はできなかった人よりも社会的地位が上がります。
これに対して、僕は文句を言うつもりはない。
一方、国公立大学を入学/卒業すること、理系を専攻すること、大学の成績で上位に入ること、海外の大学院に進学することは、特にすごいことでも、偉いことでもないです。実際に自分が行なってみて、それほど苦労することなく成し遂げられたからです。
他にも、いくつか賞がつく成果や、人によっては僕が行なってきたその他の活動を評価してくれるかもしれません。
でも、そんなもの、何もすごくないです。
だから、これらの成果が評価されなくても、成果がない人と地位が同じでも、私は文句を言わない。
もちろん、周りから評価していただければ嬉しいし、自分が成し遂げるまでは受賞や達成を評価していました。
ただ、いつも心に留めていることは「評価する側のほうが、評価される側よりも何倍も立派なのだ」ということです。
偉いのは褒められる子どもではないのです。
褒めてあげる親なのです。
受賞者は好きで頑張ったことを認められただけです。
受賞側の団体は面倒な作業をたくさんこなしてきたのです。
社会のルールを決める権利は既存の人間にあります。
ルールを変えたければ、現在のルールを制さなければならないのです。
もう一つ、仕事が与えられない、と文句をいうことも間違いです。
私の家にいたハウスメイトといるハウスメイトは、インターン中の大学生です。
二人とも、仕事を与えてくれず、することがなく、会社の方々と話すことも少ないといいます。
私も似た不満を抱いていました。指導教官はほとんどディスカッションの時間を作ってくれず、実験もあまりやらせてもらえず、研究のプロポーザルを送ってもほとんど読んでもくれません。
ただ、他の学生も同じなのです。私は明らかにエクストラに動きました。そして実験やディスカッションを他の学生よりもずっと熱心に(鬱陶しいですね)催促しました。
頼まれてもいないのに、pptを作ったり、レポートを勝手に書いたり、先生の部屋まで押しかけてこういうことがしたいんだ、と拙い英語で訴えたりもしました。結果95%以上は思い通りに行っていません。でも5%くらいは前に進みました。
自分の研究テーマではない実験の手伝いで10日間も大学を離れる必要がありました。その割に、実験の現場ではほとんどなにもさせてもらえず、ただ見ているだけであったり、別室で自分の勉強をしていたり、何も教えてもくれません。これでは何のためにこんな辺鄙なところまで来なければならなかったのだと憤りを感じたこともありました。
ただ、ずっと先輩研究者の側について、何を行なっているかを観察し、必要そうな道具を持って行ったり、細々とした作業やノート取りを手伝っていたりすると、少しずつ、今何をやっているのかを説明してくれるようになってきました。また、手伝った後だと多少忙しくても質問に丁寧に答えてくれます。他にも、解析や実験過程で適切な質問をし、こいつはきちんと考えているやつだ、そして手伝いもする使えるやつでもある、と思ってもらえれば、たとえ経験や知識が浅くても、英語が拙くても1人の研究者として接してくれます。
ちなみに、仕事を与えられなかったインターンの元ハウスメイトは別のインターン先を見つけて出て行きました。日本ではインターンでも、大学の研究室でもやるべきことを極めて明確に示してくれます。これは極めて幸せなことです。自分で何をすべきかを考え、行動に移すことはものすごくエネルギーが必要なことです。それが、できない以上は自分がやりたいことができないなど文句を言わずに、与えられた仕事をやるしか無いのです。
あなたがすべき仕事は、きっと誰かが与えてくれる。仕事を得るには、それにふさわしい人間に成長しなければいけない。でもそれを望んでいるのは自分自身だけ。誰もが自分のために仕事をしているのであって、あなたのために仕事を与えているのではない。
世の中は親切な人にあふれているから、初めは色々教えてくれる。
だけど、義務教育が終わればもう大人。あとは全て自分の責任。
あなたが頑張っているのは、あなたが頑張りたいからに他ならない。
あなたが苦労しているのは、苦労する道を選んだから。
他人はあなたに何の責任も負っていない。もしも誰かに何かをして欲しければ、
そうなるように自分が動かなければいけない。
私はとても恵まれた人生を送ってきた。
親も先生もきちっと叱ってくれた。
大学での課外活動も先輩方/同級生は私の自由な活動を許してくれた。
研究もたくさんさせてもらえた。
私の勝手な頑張りを、支えてくれる人たちはいた。
幼い頃は、与えられたことをやっていれば評価された。
学生時代は、頑張る機会はいくらでも与えられた。
社会に出た今は、頑張る機会を勝ち取るための努力からはじめなければいけない。
忘れてはいけないのは、それらは全部自分が好きでやっていること。
別に頑張らなくたっていい、適当に生きたって、生きていくことはできる。
僕たちは平和な世界に、健康な体を持って生まれてきたのだから、頑張らなくても生きていける。
それに与えられたことをするだけでも、まぁそこそこの生活は送れるはず。
そんな人間に、なぜわざわざ仕事を作ってあげなければいけない。
インターンの学生を受け入れて、会社がどれだけのメリットがある?
PhDの学生なんて、ほとんどが使えない。そんな人間に給料までだしているんですよ?
なぜ仕事まで与えてやらねばならない?
成長したければ、その機会を自ら作り出すしかない。
文句を言うのは、ルールを変えられるのはその後だ。
学生なりに、未熟者なりに、仕事について、最近考えたことを書きたいです。
雑記、乱文です。
何かの本に書いてあったし、私の周りでも感じることですが、
最近の若者は「もっと自分を成長させたい」という意欲が働く原動力になっているようです。
お金に苦労しなくなったため、何か他に働く理由を見つけなければいけない。
そこで自分を納得させられる理由として、適したのが「成長するため」
社会のため、という道もあったのだろうが、現在の若者(大人も)は社会と自分との直接的なつながりが弱く、社会とは自分と切り離されたもの、という考えを抱いているようです。(私もですが)
ボランティアも、自己の成長のため、という目的で行なっている学生も少ないくように感じます。
(ボランティアに関する考えも、またどこかで話します)
最近の傾向として、やる気のある学生ほど大学での授業よりも課外活動での学びに重きを置いているように思います。
ただ、彼らの傾向として(自分自身の反省を踏まえ)2つ大きく間違えていることがあります。
1つは、上が求めたことに、結果を出さずに文句をいうことです。
わかりやすいことがお勉強。受験勉強で人生は決まらないしかり、大学の成績なんて役に立たないしかり、世の中学歴じゃないしかり。
そうしたことは、勉強ができて、成績をとって、いい大学を出ている人間が言わなければ、負け犬の遠吠えにしかないです。
僕は東大に合格することも、国家一種試験に通ることもすごいと思います。それらの試験で求められていることは、断片的な知識ではなく、ある部分における人間としての総合的な能力だと思うんです。
それは僕ができなかったこと、しなかったことです。
ただ、社会や大人の評価の中では求められたことで、出来た人はできなかった人よりも社会的地位が上がります。
これに対して、僕は文句を言うつもりはない。
一方、国公立大学を入学/卒業すること、理系を専攻すること、大学の成績で上位に入ること、海外の大学院に進学することは、特にすごいことでも、偉いことでもないです。実際に自分が行なってみて、それほど苦労することなく成し遂げられたからです。
他にも、いくつか賞がつく成果や、人によっては僕が行なってきたその他の活動を評価してくれるかもしれません。
でも、そんなもの、何もすごくないです。
だから、これらの成果が評価されなくても、成果がない人と地位が同じでも、私は文句を言わない。
もちろん、周りから評価していただければ嬉しいし、自分が成し遂げるまでは受賞や達成を評価していました。
ただ、いつも心に留めていることは「評価する側のほうが、評価される側よりも何倍も立派なのだ」ということです。
偉いのは褒められる子どもではないのです。
褒めてあげる親なのです。
受賞者は好きで頑張ったことを認められただけです。
受賞側の団体は面倒な作業をたくさんこなしてきたのです。
社会のルールを決める権利は既存の人間にあります。
ルールを変えたければ、現在のルールを制さなければならないのです。
もう一つ、仕事が与えられない、と文句をいうことも間違いです。
私の家にいたハウスメイトといるハウスメイトは、インターン中の大学生です。
二人とも、仕事を与えてくれず、することがなく、会社の方々と話すことも少ないといいます。
私も似た不満を抱いていました。指導教官はほとんどディスカッションの時間を作ってくれず、実験もあまりやらせてもらえず、研究のプロポーザルを送ってもほとんど読んでもくれません。
ただ、他の学生も同じなのです。私は明らかにエクストラに動きました。そして実験やディスカッションを他の学生よりもずっと熱心に(鬱陶しいですね)催促しました。
頼まれてもいないのに、pptを作ったり、レポートを勝手に書いたり、先生の部屋まで押しかけてこういうことがしたいんだ、と拙い英語で訴えたりもしました。結果95%以上は思い通りに行っていません。でも5%くらいは前に進みました。
自分の研究テーマではない実験の手伝いで10日間も大学を離れる必要がありました。その割に、実験の現場ではほとんどなにもさせてもらえず、ただ見ているだけであったり、別室で自分の勉強をしていたり、何も教えてもくれません。これでは何のためにこんな辺鄙なところまで来なければならなかったのだと憤りを感じたこともありました。
ただ、ずっと先輩研究者の側について、何を行なっているかを観察し、必要そうな道具を持って行ったり、細々とした作業やノート取りを手伝っていたりすると、少しずつ、今何をやっているのかを説明してくれるようになってきました。また、手伝った後だと多少忙しくても質問に丁寧に答えてくれます。他にも、解析や実験過程で適切な質問をし、こいつはきちんと考えているやつだ、そして手伝いもする使えるやつでもある、と思ってもらえれば、たとえ経験や知識が浅くても、英語が拙くても1人の研究者として接してくれます。
ちなみに、仕事を与えられなかったインターンの元ハウスメイトは別のインターン先を見つけて出て行きました。日本ではインターンでも、大学の研究室でもやるべきことを極めて明確に示してくれます。これは極めて幸せなことです。自分で何をすべきかを考え、行動に移すことはものすごくエネルギーが必要なことです。それが、できない以上は自分がやりたいことができないなど文句を言わずに、与えられた仕事をやるしか無いのです。
あなたがすべき仕事は、きっと誰かが与えてくれる。仕事を得るには、それにふさわしい人間に成長しなければいけない。でもそれを望んでいるのは自分自身だけ。誰もが自分のために仕事をしているのであって、あなたのために仕事を与えているのではない。
世の中は親切な人にあふれているから、初めは色々教えてくれる。
だけど、義務教育が終わればもう大人。あとは全て自分の責任。
あなたが頑張っているのは、あなたが頑張りたいからに他ならない。
あなたが苦労しているのは、苦労する道を選んだから。
他人はあなたに何の責任も負っていない。もしも誰かに何かをして欲しければ、
そうなるように自分が動かなければいけない。
私はとても恵まれた人生を送ってきた。
親も先生もきちっと叱ってくれた。
大学での課外活動も先輩方/同級生は私の自由な活動を許してくれた。
研究もたくさんさせてもらえた。
私の勝手な頑張りを、支えてくれる人たちはいた。
幼い頃は、与えられたことをやっていれば評価された。
学生時代は、頑張る機会はいくらでも与えられた。
社会に出た今は、頑張る機会を勝ち取るための努力からはじめなければいけない。
忘れてはいけないのは、それらは全部自分が好きでやっていること。
別に頑張らなくたっていい、適当に生きたって、生きていくことはできる。
僕たちは平和な世界に、健康な体を持って生まれてきたのだから、頑張らなくても生きていける。
それに与えられたことをするだけでも、まぁそこそこの生活は送れるはず。
そんな人間に、なぜわざわざ仕事を作ってあげなければいけない。
インターンの学生を受け入れて、会社がどれだけのメリットがある?
PhDの学生なんて、ほとんどが使えない。そんな人間に給料までだしているんですよ?
なぜ仕事まで与えてやらねばならない?
成長したければ、その機会を自ら作り出すしかない。
文句を言うのは、ルールを変えられるのはその後だ。
初日だし、記事もひとつ書いてみる。
イギリスの大学院について。
語学面での苦労や、知識不足を感じている自分が言えた口ではないかもしれないが、
イギリス大学院は日本やアメリカと比べて、かなりPhDが取得しやすいと思う。
まず、論文投稿実績が要らない。
日本だと第一著者の論文が1本、大学によっては2本以上出ていないと卒業できない。
化学系では比較的論文が出しやすいが、生物系/理論物理系では困難な場合もしばしば。
その足かせが無く、指定の文字数の博士論文を書き、defense(最終試験)を突破すればOK。
そして、授業が殆ど無い。
うちの大学の場合だが、修士の授業をどれでも1つ取ること、年に一度あるワークショップ(ポスターセッションなど)への出席、年度報告レポートの提出さえすればOK。日本だと修士の初年、アメリカでも一年目、二年目は結構な授業単位が求められるがそれが無いので時間が有意義。
また、修士号が要らない。事実、私は学部卒で直接PhDに進学してます。ただ、卒業に4年かかるのが普通。ちなみに早い人は3年、2年半もあり得るとのこと。
日本とは違い研究テーマを自分で提案する必要があるといっても、周りの学生は結構先生の提案をフォローしている。(が、なぜか指導教官は私には自分で提案することに絶対視している)
イギリスの大学院、というよりも私がいる環境で良いことは、
①指導教官が複数いる。私は少し特殊なので、コアに関わってくれる指導教官が3名(うち1人は日本にいます)+副指導教官が2名(まだろくに話したこと無いけど)ですが、
他の学生も登録する指導者として4名(うち2名はあまり関わらないけど)もついてくれます。
②コアタイムがなく、セミナーも自由参加(不定期)。なので、全て自己責任・自己管理で研究ができる。ただ、マシンタイムもルーズなので、一体いつから自分が実験できるかが不透明なのが不満なところ。
ここでの研究者/学生も個性的ですが、それはまたの機会に。
あー、これでブログ書くのも何回目だろう。いつも数週間、長くて二ヶ月くらいで挫折したな。
今回はなるべく帰国まで、月一でもいいから更新できるようにがんばろう。
このブログの存在価値
・イギリスにいる日本人理系大学院生の生活の様子を面白く伝えること。
・海外大学院を目指す学生が見つけたら、障害を低く感じてもらうこと。
・自身の忘備録。そしていつの日か出版するベストセラーのネタ帳。
方針
・感じたことや気づいたことを書くことを中心、事実紹介は少なめ。
・そんなに多くの方に読んでいただけるとは思えませんが、他人の目も気にする。
・一応の読者の想定は大学生-研究者、及び海外留学を検討している方
・最低月一更新、出来れば週に一回は。
4月からイギリスでの生活を始めたので、だいたい二ヶ月が経過、
そろそろ慣れてきたころ(まだ、困難はいっぱい)
今回はなるべく帰国まで、月一でもいいから更新できるようにがんばろう。
このブログの存在価値
・イギリスにいる日本人理系大学院生の生活の様子を面白く伝えること。
・海外大学院を目指す学生が見つけたら、障害を低く感じてもらうこと。
・自身の忘備録。そしていつの日か出版するベストセラーのネタ帳。
方針
・感じたことや気づいたことを書くことを中心、事実紹介は少なめ。
・そんなに多くの方に読んでいただけるとは思えませんが、他人の目も気にする。
・一応の読者の想定は大学生-研究者、及び海外留学を検討している方
・最低月一更新、出来れば週に一回は。
4月からイギリスでの生活を始めたので、だいたい二ヶ月が経過、
そろそろ慣れてきたころ(まだ、困難はいっぱい)
