高校時代、正確には中学時代後半から俺の人生で最も恨んでいる相手、YA(イニシャルの名前)について書いていきたいと思う。

まずYAは中学3年生の時はとてもいい子で、俺の言うことはちゃんと聞くし、友好的に接してくれるし、話し相手にはすごく最適と親友としてとても相性が良かった。

相性が良かったのは中学3年から高校1年生の5月まで間のみだった。

YAが裏切る兆候があったのは、中学3年の10月頃だった。まずYAは高等部の2年先輩のリーダー的存在のASからとても気に入られていて、俗に言うえこひいきを受けていた。

そのえこひいきに真っ先に不信感と嫌悪感を覚えた俺はYAと先生に抗議をしたが、YAは戸惑っていて、先生は「YA君には自分の立場があるから」と俺の正当な抗議、えこひいきに関することをその言葉で受け流された。

YAは中学3年の10月頃から、運動会の練習の時もASとその取り巻きの先輩からYA以外のクラスの人はまったく無視してYAだけを応援していた。YAの時だけ応援の喝采が凄くて、YA以外のクラスの人(俺も含む)には無言になっていたりと傍目から見たら滅茶苦茶のえこひいきだ。

他にも高等部の近くに言ったらYAにばかりASは気さくに話しかけたり(もちろん俺には無視)と何度もこういう事があった。

そう、この文章で分かる通り、YAはASとその取り巻きの先輩のえこひいきによって調子に乗ってしまい、とてもいい子だった性格がガラリと変わってしまったのだ。

その変わってしまった時が高校1年の5月過ぎた辺り。その時のYAは同じクラスに居たMEと仲良くなってしまい、そして俺とは「友達として飽きた」という理由で俺の親友を辞めたのだ。

そう、これは完全なる裏切りである。その頃の俺は腸が煮えくり返るほどのストレスを抱えていた。

そしてそのMEというクラスメイトがすごく性格の悪い、俗に言う人間のクズと呼ばれるほどだ。

そのMEについても別途愚痴を書いていきたいが、MEもYAと同じくASと取り巻きの先輩から気に入られてえこひいきの対象となっていた。

もちろんMEもYAもえこひいきによって助長して調子に乗りまくりである。

よって俺は高校3年間親友が失ったまま、実質友達0人のまま過ごすことになった。

YAによる3年間の助長は酷いものだった。まずASから気に入られていたので、卒業先の就職についての情報とかは全てYAとMEが独占。そしてASと一緒の授業中はほとんどがYAとMEが優遇されるなどの、傍目から見たら酷いえこひいきを受けていた(もちろんASは俺と他のクラスメイトは無視するか距離を置くかのどちらか)

そして1番ムカッと来たのは、ASが卒業する時、YAは青春らしく泣いていたのだ。その時の俺はこう思ったね。YAの野郎はASとのえこひいきをたっぷり受けておいて、他のえこひいきを受けていない生徒を前にして堂々と泣くだと?どういう神経をしたら泣けるんだ?こちとらASが卒業してたいへん清々しいくて清々してとても嬉しいと言うのに、YAは涙ぐむ姿を見せ付けるようにしやがった。本当にあの卒業式は酷かった。ここまで腸が煮えくり返る経験はそう無いだろう。

その後の高校2年と3年の時もMEとYAは友達同士で調子に乗りまくり、ASが卒業してえこひいきを受けなくても、MEが他の先生からえこひいきを受けていた為、その繋がりでYAにもえこひいきの恩恵を授かる形になり、更にYAとMEは助長するようになった。

一応俺は優しい性格だった為、高校2年と3年の時はYAと少し駅前付近で遊んだりしたが、それでも中学3年のときのいい子だったYAの片鱗はなく、まだ調子に乗ったままだった。

正直な話、YAにはものすごく恨んでいる。怨恨と言っても過言ではない。頭の中で何度も人がドン引きするような悲惨な事をしたぐらいだ。デスノートを持っていたら真っ先にYAの名前を書き、死因を人がドン引きするようなあまりにも悲惨で原型が残らないほどの死因を書いていただろう。

なのでこのブログでYAの愚痴を書いて吐き出し、そのままYAの忌まわしき記憶を一切合切無くしたいところ。

早くYAとの忌まわしき記憶が風化して後の笑い話になりますように。