こんにちは。年末の長期休暇に入り、時間にゆとりができたので2025年度の出来事を整理しようと思います。
今年は多くの出来事がありました。結論から言うと公私ともに満足のいく年となりました。記録として時系列順に出来事を列挙していこうと思います。
2025年度のタイムライン
1月
・日本に一時帰国(年末年始)
年末年始は日本に一時帰国していました。日本の料理の美味しさ、言語が通じることへの安心と喜び、あらゆることの便利さ、等々を痛感しました。約1年ぶりに家族や友人と再会でき、近況報告し合えたことも良かったです。
・ラボの異動を知らされる
一時帰国直前のグループミーティングで教授よりラボ異動の旨が伝えられました。知らせを受けた当初、我々のラボはベルリンからフライブルクに移ってきて一年足らずだったため、ラボメンバーは皆驚愕していました。メンバーの中には「田舎から脱出できる!」と舞い上がる者や「1年で再び移動なんて考えられない!」と嘆く者までいました。個人的には異国の地で新たな街に住めるということでうれしい気持ちの反面、ラボの引っ越しで研究が数か月ストップすることの不安が交じった感情でした。
2月
・ドイツにて初めて学生さんをもつ
一般的に日本の大学の化学科では4年生の初めにラボ配属があり、1年間卒論研究を行います。ドイツでは少々異なり、学士の最後に差し掛かると3~6か月ほどラボに加入して研究を行い、その結果を卒業論文としてまとめます。ありがたいことに新たに加入する学生さんは私が提案したテーマに興味を示してくれ、私の指導の下卒論研究をする運びとなりました。
・ケルン大学の視察
新たな大学への異動に伴い、ラボの立ち上げが必至となります。ラボを確認し、機器やボンベ、学生机の設置など研究インフラの構築を打ち合わせするためにケルン大学を訪問しました。ボスと博士課程の学生全員で赴きラボ引っ越しまでに改修すべき箇所を確認してきました。
・低温クライオが届く
私の研究は単に有機分子を合成するだけでなく、その分子の機能を測定する必要があります。これには測定条件を低温かつ一定に保つ"クライオスタット"という装置が必要でした。しかしながら、私が加入した当初はラボ自体もフライブルクに引っ越ししたてで機器が全くありませんでした。中でもこのクライオスタットは発送までに飛び切り時間を要し、ラボに加入して10か月後に初めて望みの測定ができました。半年以上前に合成し溜まっていた分子たちを次から次へとクライオスタットに入れ測定を繰り返す日々でした。測定の結果、かなり頭を悩ませる予想外の結果が得られました(後に面白い現象だと気づく)。
3月
・ビザ更新に苦悩する
渡独前に1年間有効のドイツビザを発行してもらったのですが、その期限が迫っていました。ビザの延長をするためフライブルクの外国人局に出向きました。フライブルクの外国人局では予約を受け付けていないため、開局前に列に並び申請を済ませる必要がありました。職員に必要な書類を提示し、電子書類をメールで送ったことを伝えたところ、「ばっちりね!三週間後にビザが発給されてるはずだから取りに来て!」と言われました。こんなに簡単なのかとあっけにとられてその日は帰宅しました。
時は経ち約束の3週間後に再度外国人局を尋ねました。この日は別の職員さんが対応してくれ、「3週間前に申請したビザを受け取りに来ました。」と申し出たところ「そんな申請どこにも見当たらないよ。本当に申請した?」と返されました。平日の朝何時間も待たされた挙句適当な対応をされイラっとしましたが必死にこらえて「メールを今一度確認してください。」とお願いしました。すると確かに私が送ったメールが受信箱にあるではありませんか。私は頭を抱えながら「ビザが無いと困るんです。数か月後海外に行く予定なんです。今回はちゃんと処理してくださいね。」と頼み込んだところ、その場で6か月分の仮ビザを発行してもらい事なきを得ましたが、心身ともに振り回され疲弊したのを覚えています。
余談ですが、仮ビザは一枚の小さな紙きれに私の氏名、住所、有効期限が記されただけのものでした。再申請の3週間後に更新された本ビザを受け取ることができました。
4月
・チェコ(プラハ)に行く
旅行としてチェコのプラハに数日間滞在してきました。とてもきれいな街でした。
・日本の友人が訪れてくれる
日本の学部時代仲良かった友人がゴールデンウィークを使ってドイツに来てくれました。10日間ほど滞在しフランスやスイス、西ドイツの主要都市等を巡りました。中でも、スイスのアルプスまで1泊2日の弾丸2人乗りツーリングは記憶に刻まれる体験となりました。
スイスのツェールマットから撮ったマッターホルン
5月
・新たな学生さんの指導を始める
2週間程度の短いインターン生として、修士課程の学生さんを指導することとなりました。短期間ではあるものの、一時的に2人の学生さんを並行して指導しながら自身の研究を進めるのは少々難しかったです。
・合成した分子の新規性に気づく
ある日、以前に得ていた分子の魔訶不思議な測定結果について、あーでもないこーでもないと悩んでいたところ、かなりラ合理的な仮説をひらめきました。急いでボスのオフィスに駆け込み、その仮説を説明しました。「この挙動はこのメカニズムでないと説明できない!もしこの仮説が正しければかなりおもしろい!」と必死に説明し、ボスも仮説にこそ納得してくれましたがその日のボスの反応はいまいちでした。
後日、私がラボで作業をしているとボスが私のところへやってきて「この間の仮説、考え直したんだがめちゃくちゃ面白いじゃないか!こういった応用もできるのでは~」と興奮しながら話しかけてきました。分子を合成してから約1年後にその新規性に気づくとは思ってもいなかったので興味深い体験でした。
6月
・ゴードン会議に参加する
Gordon Research Conference(通称GRC、ゴードン会議)とは毎年夏頃アメリカで開催される学会で、自然科学分野の中でも主要な学会のうちの一つです。分野ごとに会場や日程が異なるものの、基本的にどの分野も6月末に5日間ほどあります。実はこの国際学会かなりハイレベルで、博士課程在籍中に一度は参加したい学会と言われるほど人気なようです。それほど人気な理由はこの学会の以下の特徴からくるようです:
1. 完全守秘義務
2. 学生と教員の距離が非常に近い
3. 学生には未公開結果の発表を推奨
4. (アメリカの学会にしては)比較的安価
5. GRCの前日に学生のみが参加できるGordon Research Seminar (GRS)がある
この学会で得た知見を口外することはタブーとされており、この情報の守秘義務から、世界中の最先端の未発表データを目の当たりにできます。また、学生、教員ともに会場近くの寮に寝泊まりするため毎晩遅くまで飲みながら仲を深めるわけです。国際学会ですので発表するにあたり審査があり、ポスター・口頭発表の質の高さも担保されています。さらにGRCの前日に学生主体のGRSがあることも醍醐味です。学生が運営する勉強会で、そこでは学生が口頭発表も行います。
私は運が良いことにGRSの口頭発表の審査が通ったため発表を行うことができました。周りはノーベル賞受賞者のラボなど、世界中の有名ラボからの猛者たちばかりで見劣りしないか心配でしたが大変良い経験になりました。この学会参加費用を出してくれたボスには本当に感謝です。
ちなみにこの学会で共同研究先を2件見つけてきました。そのうちの1つは私の分子の挙動の仮説を決定づける重要な証拠を得てくれた恩人です。改めてGRCの凄さに感激しています。
上) GRC最終日の晩御飯。下) 学会最終日に撮った集合写真。
・Tanglewood に行く
GRCに参加したついでに、ボストン近郊のTanglewood を訪れ、Seiji Ozawa Hallにて音楽鑑賞をしてきました。とてもよかったです。
Boston Synphony OrchestraのOzawaホール
・Bostonで数日過ごす
小学生低学年のころ、Bostonに住んでいたので友達と会ったり、懐かしの場所を巡ったりしました。
7月
・指導していた学生さんの卒論指導、卒論発表
学生さんには最後の1か月で卒論を書き上げてもらい、発表も行ってもらいました。思い返せば彼は非常にコミュニケーション能力に長けており、知的好奇心も旺盛で優秀だったため本当に指導しやすかったです(寧ろ私の方が学ぶことが多かったかも)。短期間でとても面白い結果も出してくれボスも喜んでいました。卒論と卒論発表ともにクオリティの高いものに仕上がり私自身のことのように嬉しかったです。初めて指導する学生さんが優秀な学生さんで本当に運が良かったと感じます。
・ケルンの家探しに苦戦する
ドイツの家探しは本当に難しいです。日本のように物件が沢山あるわけでなく、慢性的に物件不足なのがドイツです。
ケルンへ異動するため、ラボメンバー全員が新たな住居探しを強いられました。1か月ほど物件サイトに張り込み、新たな物件が掲載されると履歴書とメッセージを送る日々でした。加えて近年物件詐欺が増えているため契約前の内見は必要不可欠。したがって、フライブルクとケルンを幾度も行ったり来たりしました。幸い良物件を見つけることができ、現在もそこに住んでいます。
8月
・ケルンに引っ越し
大変でした。引越しをするにあたり、まずはフライブルクのラボを畳まなければなりませんでした。1年間かけてようやく拡充させた機器、実験器具等を2週間程かけて片付け、パッキングしました。今回の引っ越しで特に驚いたのはその引っ越し方法です。高額器具もいくつかケルンに持っていくため、私はてっきり業者に依頼するのかと思っていました。しかしながら、予想とは裏腹にすべて自分たちで引っ越し作業を行いました。大きなトラックを借りてきて、個人のトラックドライバーを雇い、借りてきたトラックにすべての機器を詰め込みました。引っ越し当日はパッキングとアンパッキングでかなり疲弊しました。
左)フライブルク大学・有機化学棟。右)ケルン大学化学棟
・ケルンにて学生実験指導
こちらも大変でした。引っ越しした次の週から学生実験の指導を1か月間任されました。毎日13-17時、みっちり医学生の化学実験の指導をしたので大変でした。良い経験にはなりましたが、2回目はしたくありません。
9月
・ウィーンにて国際学会
ウィーン(厳密にはウィーン近郊にあるISTAという大学院大学)にて国際学会がありました。ポスター発表を行い、憧れのノーベル賞を取った先生と私の研究について議論を交わすことができ大変満足のいく学会でした。日本人の先生方がお2人いたためお話しすることができました。残念ながら、日本人の学生さんはいませんでした。
10月
・パリ旅行
ケルンに引っ越ししたこともあり、週末にパリに行ってきました。ドイツと比べ料理のレベルが圧倒的に高かったです。ただし、値段も高かったです。
パリの凱旋門
11月
・学生実験指導
今度は化学科の学部生の実験指導を2週間、みっちりと行いました。医学生と比べ、実験知識・経験があるので比較的楽ちんでした。
・ケルンにて学生さんを持つ
1か月間修士の学生さんを持つことになりました。彼も優秀で、好奇心こそあまり強くなかったものの私が持っているプロジェクトのうちの一つを推し進めてくれました。彼は私がドイツに来て受け持った3人目の学生さんだったので指導も慣れてきました。
12月
・新しい学生さんを持つ
3人目の学生さんと入れ替わりで4人目の新たな修士課程の学生さんを指導することになりました。彼は少なくとも半年間は指導するので、気長に行こうと考えています。総じてドイツの学生さんは皆コミュニケーションを取るのが上手で基礎がしっかりしているなという印象です。
・初めて講義を任される
ボスが受け持つ授業の講義を1コマ任されました。ボスは修士課程の学生さん向けの講義を受け持っているのですが、ボスに急用が入ったため私が1コマだけ受け持つ事になりました。たった1時間半の1コマだけですがとても緊張しました。ボスから教えて欲しい講義内容の範囲を伝えられ、当日は学生さんに質問しながら講義を進めました。分子を黒板に描きながら授業を進めることや学生に適宜質問をするなど細かな配慮が必要なことを実感しましたが、意外と問題なく進められました。案外座学の指導もできるものだなと自信につながり、非常に良い体験になりました。
・大物教授訪問
ケルン大学の化学科は著名な有機化学者(Alder、Vogel、Müllen教授…)がいたこともあり、歴史があります。その背景もあり毎年12月に Vogel 賞が一人の化学者に授与され、ケルン大学で講演をします。今年はOxford大学の Harry Anderson教授がその賞を受賞されました。論文で読んでいるスーパースターの講演は本当に圧巻でした。
・熱に倒れる
クリスマス休暇に入る直前、熱に倒れました。おかげで楽しみにしていたラボのクリスマス会には参加できず、クリスマス当日もベッドで寝込んでいました。1年の締めくくり方としてはきわめて残念ですが、体調管理を怠った自分の責任です。来年は体調管理も怠らないよう、気を引き締めていきたいと思います。
振り返ると、非常に豊かな1年になったなあと感じます。今年もまた研究中心の一年になりましたが、ラボの異動等含め大変稀有な経験をできました。ラボ異動後の数ヶ月は研究活動の停止を余儀無くされたのでメンバー全体がかなりピリピリしていました。12月に入り少しずつ機器が揃ってきたので実験を再開してラボ全体の活気が戻りつつあります。
研究進捗ですが、ようやく学会で発表できる程度の結果が出始め、少しずつ軌道に乗ってきたなという感触です。渡独後初めの1年は合成した分子の評価をする手段が無く、かなりストレスが溜まりましたが、2年目に入りプロジェクトの進め方や共同研究先の見つけ方、講義の仕方など、新たな経験をすることができました。
また今年に入り4人の学生さんの研究指導をしました。学生さんを指導する立場となり、改めて細かなコミュニケーションの重要性を思い知らされました。
たくさんの出来事があった2025年ですが大きな心残りが1つだけあります。それは研究論文を出版することが出来なかったことです。日本で卒論研究を始めてから現在まで、約5年間ほど研究活動をしてきましたが未だに研究論文を出版できていません。2026年こそはデータをまとめて研究論文の投稿ができるよう研究に勤しみたいと思います。
それでは。良いお年を。






