ご無沙汰しています。
主の病気は落ち着いています。
瘤もなくなりきれいな食道になりつつありますが
何分、、強いストロングを長期飲み続け
吐血した
代償は簡単には治らず傷となり、傷は悪性、良性どっちに転がるか分からない、、
傷として食道に残っています
2回程、、悪性として引っ掛かりました
幸いな事に
食道動脈瘤の治療中、、
2回とも上皮内癌
癌の赤ちゃんの時に治療ができ、、簡単な術のみで終わりました。
血液検査では数値には出ない、自覚症状もない程の癌
3年後ぐらいに自覚症状がでるかなぁ
ぐらいの癌ですと言われた時に
やっぱり私達の知識って上辺だけなんだなと再確認したというか
彼は、血液検査では問題ない
タバコも吸わないのにと納得していなかったけど
癌は、癌でした
細胞の傷が癌化したと言われたら
彼の食道は傷だらけだったので、そりゃなるよなと
お酒、タバコ、刺激ぶつには本当に気をつけて欲しいです
彼が倒れ生死をさまよい
約5年
コロナ禍もあり、地獄でした
常に死と向かいわせ
義理母は認知症が悪化し他界しました
長男も一時、精神的に怪しかったですが、、
無事に大学も卒業し
今は自立し社会人一年目です
次男はボキッと心が折れてしまったように
うつ病気味になり不登校気味になり
心が折れそうでしたが
この五年間で様々な点と線が繋がったような
病んだ息子が末期の父親と同じ顔をしていた事
私自身恐怖を感じてしまいましたが
答えがでたような
二人共生きづらかった、誰よりも繊細で
誰よりも頑張り屋さんで、常に笑顔で自己中で
辛さを隠す笑顔の意味を私は知らなかった
助けてが言えない人間、言葉で伝える事が
苦手だった
身近すぎて気付けなかった
私自身も
彼が倒れた瞬間
被害者だと思っていた自分が加害者になった
息子達まで苦しめた
頑張って家庭を回してるつもりだったけど
全然上手くいかない
苦しい5年間でしたが学ぶ事の多かった5年間でした
夫婦としては終わってしまったけど
子供が病んでしまい
なんで同じ顔をするんだろうって
ヒントが欲しくて
彼とは良好な友人関係なのか
よく分からない関係性が続いています
子育てパートナー
通院パートナーなのか
病んだ時
弱い時って親子って思考が一緒なんだと
発達障害、知的障害、うつ病、適応障害、重度の依存症
診断名はいろいろあるけど
思考が一緒なんだと気づけて良かったと、、
私とも一緒だし
父親とも一緒だった
こいつ(父親)無理やわと諦めていたら
私は息子も潰していたかもしれない
病気の影に隠れるな→病名怖いし
数字に惑わされるな→数字めちゃくちゃだし
日常生活を見直せしか→会話もなりたいメンタルボロボロ
関わった様々な医師から言われた言葉はこれだけですが、、
知識を教えてくれてありがとうございます
と
毎回思うように感じ取れるようになり
すっごく大きな事を学んだような気する
真っ暗なトンネルを音と光を頼りに進んでいる真っ最中です
光は微かですが、、
待ち望んだ人生ではないですが、、
彼が死ぬと思った時を振り返ると上出来で
💯満点なわけで
息子が不登校になる、病んだと泣き叫んでた時期を思い出せば、今は💯
これ以上欲を出さないように地に足をつけて前をみて生きていきたい
病みに病んだ時
私に
あんた経営学学びなさいといってくれた
主治医に感謝、、
みえない事がどんどん見えてきた
失敗は成功の元にもなるし、トラウマにもなる
ポジティブシンキング
私自身あと何年生きるのかは分からないけど
的確に言葉かけが出来る人間になりたい
なあと
40代、50代手前
1から日本語を学びなおしたいと思う今日この頃です