“おんもほうじしゃ”は皇后陛下や親王妃殿下の御裾持ちをした華族の子弟です。




長さ3.9メートル、幅2.4メートルの引き裾は、きっと重かったでしょうねぇ。

明治宮殿 正殿

そうは言っても、絢爛豪華な明治宮殿の正殿での儀式の様子を想像すると、とっても雅やかだったんだろうな〜と思います。 

戦闘第三〇四飛行隊長・日高盛康少佐。昭和20年8月15日、空戦の指揮をとった

【「玉音放送」直前まで戦い続け、死んでいった“若き零戦パイロット”たち】というネットニュースで日高盛康さんのお写真を見て、ふと思い出して…。


徳川熈大尉(戦死後少佐)。昭和18年7月12日、ソロモン諸島で戦死

日高盛康さんも徳川熈さんも昭和6年に御裳捧持者をされていたのだな〜ということを。 


昭和6年(1931年) 御裳捧持者 徳川熈氏 

『宮中新年儀式と御裳捧持者』に御役服を着た徳川熈さんの写真が載ってました。
お顔が別人みたいと思ってしまいますが、まぁ中学生の頃の顔のままなワケないですよね。

御下賜の銀時計 径4センチ・銀製・精工舎製造

宮中新年儀式は元日と2日に執り行われ、両日とも午前中でお終い、御裳捧持者たちは宮内省に戻り、雉酒とお寿司をいただいたそうで。
2日は皇后陛下からの御下賜品のお菓子と銀時計をいただいて帰ったそうです。
前に記事にした時にそこまで書いてなかったなと思って、一応、書いてみました。

昭和19年の御裳捧持者、神山昭彦氏の辞令

昭和19年 御裳捧持者集合写真

それにしても、戦争たけなわとなり、食べる物にも事欠くようになった昭和19年まで、よく御役目が続いたものだと感心してしまいます。
皇室文化を維持して伝えるために昔の人は本当に努力されていたんだな〜と改めて感心させられます。



そんなこんなで、雑文どうもすみません。