J1への道

息子(ひよ助)の夢はJリーガーになる事です。

夢に向かって奮闘中・・・

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小学校時代、県選抜やTMで交流のあったJリーガーが、契約満了になりました。
彼も、息子と同じく入団三年目の選手でした。
四年目をチームで迎えられる事の有り難さを感じつつ、今年が本当に勝負の年だと言うことを理解し、レギュラーポジション奪取の為、努力を継続して欲しいと思います。

一歩一歩

2019シーズンも終わりを迎えました。

今年はアビスパ福岡サポーターにとって、非常に厳しいシーズンでしたが、そんな中、息子はプロサッカー選手として、天皇杯二試合に出場する事が出来ました。

そして、この二試合は、息子にとって非常に意味の有る試合であったと思っています。

 

ここで、過去三年の、GK事情を振り返ってみたいと思います。

 

初年度

正GKを争っていた、神山選手と杉山選手がケガで離脱、第三GKの兼田選手がリーグ戦に出場していた為、相手が大学チームであった事もあり、天皇杯に初出場。(VS宮崎産業大学 4対2)

 

二年目

圍選手がリーグ戦に出場、杉山選手がケガで離脱、神山選手と息子の二人に出場チャンスがありましたが、神山選手がケガ開けだった事もあり、息子が天皇杯に出場する。(VS鹿児島ユナイテッド 1対0)

 

三年目

正GKにセランテス選手が君臨する中、杉山選手のケガもあり、リーグ戦でサブという立場を経験し、リーグ戦でベンチで経験を積みつつ、J3・J1チームを相手に天皇杯を戦う事ができました。(VS鹿児島ユナイテッド 2対1、VS清水エスパルス 0対1)

 

つまり、一年目→完全なるラッキー出場、二年目→第三GKとしての立場を確保、三年目→一時的にセカンドGKの立場を確保というように、少しずつではありますが、彼が成長している事を実感出来たシーズンだったのです。

 

そのプレーの内容も、一年目より二年目、そして三年目と、確実に良くなっておりました。(ビデオと現地観戦で確認済み)

私は、彼の成長が、素直に嬉しかったですし、誇らしく思いました。

 

強い気持ちを持ちで挑んだ三年目、果たせた目標と、果たせなかった目標、両方あったと思います。

来年、もしチームに残れるのであれば、持ち前の粘り強さを発揮し、更に成長した姿を、今度はリーグ戦の舞台で見せて欲しいと思います。

 

最後になりますが、皆さま、本年も大変お世話になりました。

再びお会い出来る日を楽しみにしております。

選手権

プロ二戦目

6月6日 我が家の息子は再び公式戦のピッチに立つ事が出来ました。

ベンチに入ってくれれば、練習する姿が見られる。
そう思って博多に飛びましたが、まさかの先発出場!
本当に嬉しかったです。

そんな中、私が息子のプレーで注目したのは2つの点です。
1・去年に比べてプレーの質は上がっているか。
2・結果を残せるか。
でした。

新卒のプロ契約選手で多いのは、3年間実績を残せず、プロの世界から去っていく事です。
そういう意味では、あと1年と6か月しか時間が残っていないという事になります。
この巡ってきたチャンスをどう活かすのかは、今後の事を考え、非常に貴重なアピールの場になると考えました。

先ず、プレーの質ですが、キックの距離や精度が向上していました。
今回の試合は、ゴールキックやバックパスを処理する機会が多かったのですが、前線の城後選手にピタリと合わせたキックが多かったと思います。(試合後、競りやすかったと褒めて頂けたみたいです)

また、一試合を通して、慌てず落ち着いたプレーが出来ていたと思います。
たまに巡ってきたチャンスですと、アピールしようとする余り、試合の流れを考えず、自分の得意分野(パントキック)を披露したがるものですが、そういった事をしなかったのも良かったと思います。

次に前へ出る出ないの判断です。
良かったプレーと悪かったプレーが両方ありました。
一番良かったのは、スルーパスからのシュートをセーブしたシーンです。
相手カウンターから、前線の選手にスルーパスを出される直前、ピッチの中を一度見て、相手選手が右サイドを走る一人しかいない事を確認。
スルーパスを出された直後から、ボールとゴールの位置を把握しつつ、相手選手との距離を詰め、DFの田村選手と共にシュートコースを限定し、相手がシュートを打つまで飛び込まず我慢してセーブをしました。
これは、高校までの彼なら、間違いなくボールに突っ込んで行ったシーンです。
そして、かわされて得点されていたかもしれませんね。(^_^;)

反対に、自分で触れると判断したクロスボールに触れなかったシーンが二度ありました。
この点は、今後の反省材料だと思います。

そして重要な、結果を残す事。
これに関しては、0点に抑えた事を褒めても良いと思います。

実戦を離れて丁度1年。
試合感の無い中でのプレーとしては、良かったのではないかと感じた試合でした。

また、勝利と同じ位、嬉しかった事があります。
それはチームメイトに認められつつあるのかな?と感じられた事です。

昨年は、試合後に「味方に声が届かなかった。まだ信頼されていないのかなと思った。先輩GKのコーチングだったら周りの選手の心に響いたのかなと感じた」という趣旨のコメントをしていました。

今年は「頭を使って皆を動かしたので疲れた」というコメントを残しています。
という事は、皆、コーチングを聞き入れてくれていたという事ですよね。😊
これは本当に嬉しかったです。

最後になりますが、もう一つ嬉しい事がありました。
それは31番のユニフォームを着て、応援して下さった方が、沢山いらっしゃった事です。😄

プロとして、何の実績も残せていない息子の背番号で、ユニフォームを作って頂けるなんて…本当に感動してしまいました。😭

母の遺影と共に観戦した天皇杯、皆様に暖かい声をおかけ頂きながら、試合を楽しむことが出来ました。
本当にありがとうございました。

次回は7月に家族揃ってレベスタに参戦する予定です。

サポーターの皆様、また再会出来るのを楽しみにしております。😁

平成30年5月7日

 

母は突然この世を去りました。

発症から僅か1時間半の出来事でした。

 

母は、私が生まれてから45年間、ずっと変わらぬ愛情を注いでくれました。

幼稚園の頃、高熱で生死を彷徨った時、ずっと私の傍らで手を握ってくれていた母。

中学の時、道を外れた私を、真剣に叱り、真っ当な道に戻してくれた母。

社会人となり、業務多忙で疲れ切った私を見て「仕事が大変なのは分かるけど、少しは休まないと体を壊すよ」と心配してくれた母。

私は、その母の思いに甘え、何の親孝行をする事無く、日々を過ごしてしまいました。

 

もっと母と色々な話をすれば良かった。

もっと家族で出かけ、父・母との思い出を沢山作りたかった。

今となっては後悔の念しかありません。

 

そんな親不孝な私が、母に最期に出来る事。それは通夜・告別式を滞り無く終える事でした。

 

葬儀社や菩提寺への連絡、通夜・告別式の内容決定、お手伝い頂く方へのお願い。全てがジェットコースターに乗っているように過ぎて行きました。

 

そして5月11日、母は沢山の親族・友人に見送られ、荼毘に付されました。

毎日手入れをしていた野菜と、初孫として、本当に可愛がり、Jのピッチで活躍する日を楽しみにしていた、31番の公式戦ユニフォームと共に。

 

親不孝な私が、母に対し出来た事、それは同居し、孫二人と共に時を過ごせた事だけでした。

 

母さん、残された父さんの事は我々家族に任せ、天国で大好きなお婆ちゃん・お爺ちゃんと楽しく過ごして下さい。

 

そして、息子がJのピッチに立てるように、天国から応援していて下さい。

 

母さん、71年間、本当にお疲れ様でした。

 

いつの日か、再開出来るのを楽しみにしています。

 

本当に有難うございました。

 

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