息子(ひよ助)の夢はJリーガーになる事です。
夢に向かって奮闘中・・・
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一歩一歩
2019シーズンも終わりを迎えました。
今年はアビスパ福岡サポーターにとって、非常に厳しいシーズンでしたが、そんな中、息子はプロサッカー選手として、天皇杯二試合に出場する事が出来ました。
そして、この二試合は、息子にとって非常に意味の有る試合であったと思っています。
ここで、過去三年の、GK事情を振り返ってみたいと思います。
初年度
正GKを争っていた、神山選手と杉山選手がケガで離脱、第三GKの兼田選手がリーグ戦に出場していた為、相手が大学チームであった事もあり、天皇杯に初出場。(VS宮崎産業大学 4対2)
二年目
圍選手がリーグ戦に出場、杉山選手がケガで離脱、神山選手と息子の二人に出場チャンスがありましたが、神山選手がケガ開けだった事もあり、息子が天皇杯に出場する。(VS鹿児島ユナイテッド 1対0)
三年目
正GKにセランテス選手が君臨する中、杉山選手のケガもあり、リーグ戦でサブという立場を経験し、リーグ戦でベンチで経験を積みつつ、J3・J1チームを相手に天皇杯を戦う事ができました。(VS鹿児島ユナイテッド 2対1、VS清水エスパルス 0対1)
つまり、一年目→完全なるラッキー出場、二年目→第三GKとしての立場を確保、三年目→一時的にセカンドGKの立場を確保というように、少しずつではありますが、彼が成長している事を実感出来たシーズンだったのです。
そのプレーの内容も、一年目より二年目、そして三年目と、確実に良くなっておりました。(ビデオと現地観戦で確認済み)
私は、彼の成長が、素直に嬉しかったですし、誇らしく思いました。
強い気持ちを持ちで挑んだ三年目、果たせた目標と、果たせなかった目標、両方あったと思います。
来年、もしチームに残れるのであれば、持ち前の粘り強さを発揮し、更に成長した姿を、今度はリーグ戦の舞台で見せて欲しいと思います。
最後になりますが、皆さま、本年も大変お世話になりました。
再びお会い出来る日を楽しみにしております。
プロ二戦目
母
平成30年5月7日
母は突然この世を去りました。
発症から僅か1時間半の出来事でした。
母は、私が生まれてから45年間、ずっと変わらぬ愛情を注いでくれました。
幼稚園の頃、高熱で生死を彷徨った時、ずっと私の傍らで手を握ってくれていた母。
中学の時、道を外れた私を、真剣に叱り、真っ当な道に戻してくれた母。
社会人となり、業務多忙で疲れ切った私を見て「仕事が大変なのは分かるけど、少しは休まないと体を壊すよ」と心配してくれた母。
私は、その母の思いに甘え、何の親孝行をする事無く、日々を過ごしてしまいました。
もっと母と色々な話をすれば良かった。
もっと家族で出かけ、父・母との思い出を沢山作りたかった。
今となっては後悔の念しかありません。
そんな親不孝な私が、母に最期に出来る事。それは通夜・告別式を滞り無く終える事でした。
葬儀社や菩提寺への連絡、通夜・告別式の内容決定、お手伝い頂く方へのお願い。全てがジェットコースターに乗っているように過ぎて行きました。
そして5月11日、母は沢山の親族・友人に見送られ、荼毘に付されました。
毎日手入れをしていた野菜と、初孫として、本当に可愛がり、Jのピッチで活躍する日を楽しみにしていた、31番の公式戦ユニフォームと共に。
親不孝な私が、母に対し出来た事、それは同居し、孫二人と共に時を過ごせた事だけでした。
母さん、残された父さんの事は我々家族に任せ、天国で大好きなお婆ちゃん・お爺ちゃんと楽しく過ごして下さい。
そして、息子がJのピッチに立てるように、天国から応援していて下さい。
母さん、71年間、本当にお疲れ様でした。
いつの日か、再開出来るのを楽しみにしています。
本当に有難うございました。


