母親の死について


母は脳梗塞と心不全を患っていて、腎臓も悪かった。なので、いつ何があってもおかしくない状態だった。こういう状態になってくると、医師からは、延命処置をどうするかという相談が本人にも家族にもされる。母は当然覚悟はしていて、動けなくなっても延命だけをして家族に迷惑かけ続けることは望んでなかった。家族もそれに同意をしていた。


ある日風邪を患い入院することになった。これが悪化したらいつ死んでもおかしくない。本人も家族も覚悟していた。もう病院でも何があっても処置が難しいとのことで、最後は家で過ごすか?と病院から相談があったので、もちろんと答えた。


母には、介護が必要でも準備しておくから迷惑とか気にせず帰ってこいと伝え、妻も女達ももちろん協力するから待ってるよと言ってくれた。母は、その方がとても嬉しかったらしく、父には、僕や妻、娘達が待ってると言ってくれたんだと、何度も何度も喜んで話してたらしい。


で帰宅日の、前日の深夜、病院から電話がかかってきた。父と急いで病院に行くと、すでに事切れていた母がいた。父親は、立ってられない様子で、椅子に力無くもたれ込んだ。医師と会話する気力もないようだ。医師と看護師からの話を僕が聞くことになった。


死因は窒息死。夜水を飲んだ時に詰まってしまったようて、異変を感じて看護師が、医師を呼んでくれたが到着した時は心停止してたそうだ。

このような場合、処置はしないと本人からも家族からも同意してあったので、同意に基づきそれ以上は何もしなかった。と言われた。


確かに、何か起こった時、無理に生かすようなことはしなくて良いとは同意していた。


しかし、このことは今でももやもやする。まず窒息する可能性がある老人に対して、至急処置できる体制ではなかったのか。こんな事故に対して、すぐだったら蘇生できたんじゃないのか。何より、明日死ぬとしても、その明日を母はとても楽しみし、指折り数えてたそうだ。窒息で死ぬ途中母は何を考えてただろうか。苦しいかっただろうに。


いろいろ言いたいことはあったが、今言ってもしかだがないし、病院側も手を抜いたわけではないだろうから、特に何も言わず、淡々とその後の手続きをすませた。何より、同意があったので処置しませんでしたという、医療現場に理は通ってるものの、こうした機微が考慮されない仕組みであることに絶句してしまった。


あれから数年後の今。父が母と同じく心不全の要介護状態である。同じように、延命処置はふようであるとの本人同意も家族同意もしてある。そんな折、父がトイレへ移動中こけてしまって、骨盤近くの骨を骨折して入院することになった。医師からは、手術したら元通り歩けるし、しないと永久に動けなくなるとの説明をうけた。ただ、手術には少なからぬリスクがある。なかでも、麻酔により心停止してしまうリスクだ。


ここでもかつてのように、心停止したとき処置はしないよと医師か連絡をうけた。本人も同意しているし、家族もそれでいいよね?という連絡だ。いや、処置をしてくれという話を母のことも含め医師に伝えた。医師からは

「本人の意思と違うけど本当にいいのか?」「心停止から復帰したところで、帰宅できる可能性は限りなく低いよ」「本人も家族も覚悟できているのではないのか」などの言葉が並ぶ。なに?もう、殺したいのか!処置したくないのか!と言い返したい気持ちをを押し殺す。医療現場からは、当然最悪のリスクを説明する必要があるたろうし、まさか、命を救いたくないはずはない。

「確かに同意したけど、家族の心情としてはそういうことではないんですよ。元の病気で死ぬならいいけど、突然の事故で、そこから復帰して一日だけでも、帰宅できる希望があったのに、何もしなかった時の後悔の話をしているんです。」と伝えるのが精一杯だった。

幸い、本人含め、医師とは今回については、最大限の努力をすることで同意を得られた。


今、病院の待合室で、父の手術の成功を待っている。本来、ほとんどリスクのない骨折手術だか、心不全の患者にはリスクの跳ね上がる手術だ。

僕は、基本的に、父のことはその生き方が嫌いだし、母に苦労させた恨みもある。母の時にできなかった対応を父にはしていることも本当にもやもやする。父の手術が無事成功し、余生は自宅で静かに過ごすことができたら、ほんとに憎らしい。でも、そのために全力での判断、行動をせずにはいられない。


なんとももやもやだが、とりあえず成功を祈る。