『清楚の牙』
八月末。夏の終わりとともに、職場の空気も微妙に変わりつつあった。
坂田が“社外対応停止処分”となったことで、現場は平穏さを取り戻すかに見えたが……。
(……違うのよね。これは、“嵐の前の静けさ”)
ミーヤは確信していた。
あの夜、女子トイレで北野が向けてきた瞳――あれは、警告ではない。宣戦布告だった。
(やってみなさいよ、清楚ちゃん)
『反撃の一手:朝の小さな火種』
月曜朝の朝礼。
「えー、今週から、来客対応は北野さんにお願いすることになりました」
部長の言葉に、ミーヤは驚きを隠せなかった。
「えっ……!? 来客対応って、私が……」
「先週、北野さんから提案があってね。資料の管理も含めて効率化したいそうで」
ミーヤは笑顔で「なるほど〜」と応じながら、内心ではバチバチだった。
(……先手を打ってきたわね)
『北野の静かな侵攻』
昼休み。
「佐川さん、この間のクライアント資料、Aパートの内容、先に確認してもらえますか?」
北野の声が柔らかく、それでいて的確。
「う、うん! わかった、すぐ確認する!」
「佐山さん、例のスクリプト、昨日少し改良しておきました。お時間ある時にご確認を」
「逆にですね……その対応、神です」
……完璧な段取り、柔らかい態度、そして何より“下心の入り込む隙”を一切与えない清潔な立ち回り。
(くぅ……全員、徐々に……心を持っていかれてる)
しかも――
「部長、この件、私が直接お伝えしましょうか?」
「ああ、北野くん。すまないね、頼むよ」
(部長まで!?)
ミーヤはついに、危機感を覚えた。
『対抗:ミーヤ式“目くらまし”作戦』
翌朝。
ミーヤは、透け感のあるシャツに黒のレースブラを仕込んできた。
スカートはタイトめで、前屈すれば見えそうな見せパン構成。
「おはよぉ〜〜ございますぅ♡」
ドアを開けた瞬間、佐川が顔を真っ赤にし、佐山は書類を逆さに持った。
(よし、効果あり♡)
「佐山さん、昨日のやつ、どうでしたかぁ?♡」
「ぎ、逆にですね……えーっと……記憶が……あの……」
そこに、冷水を浴びせるような声。
「佐川さん、今日午後の訪問先、追加になりました。14時、同じビルの3階です」
北野がすっと割り込む。
「ミーヤさん、昨日のリスト……まだ未提出ですよね?」
「えっ……あ、今やろうと思ってて……」
「提出期限は朝10時です。すでに1時間過ぎています」
(ちっ……マジで小姑かよ)
『理詰めの刃』
午後、ミーヤは印刷室で佐山にボディタッチ攻撃を仕掛けていた。
「ねぇ〜〜、もうちょっとこっち手伝ってぇ〜♡」
「ちょ、ちょっと近……っ、逆にですね……」
「……ミーヤさん」
北野がドアを開けた。
「社内の狭いスペースでは、身体的距離にご配慮ください」
「えっ……? いや、これは、たまたまで……」
「“たまたま”が続くと、それは意図とみなされます。ハラスメント管理研修で習いました」
佐山は青ざめた。
(逆にですね……逃げられない)
ミーヤの牙は折られた。
『静かなる勝利?』
木曜午後。
ミーヤはコーヒーを飲みながら、自席で唇を噛んでいた。
(……このままじゃ、マジで……ポジション取られる)
佐川も佐山も、北野にだけ反応している。
特に佐川は、北野の“家庭的魅力”に心酔している様子。
「やっぱ、弁当女子っていいよなぁ〜〜」
(クソっ……それ、前まで私が言われてたセリフなのに……)
部長ですら、ミーヤの存在感には気づかないふりをしている。
(……こっちが“本気”出せばどうなるか……見せてやろうかしら)
その時、通知音。
《LINE:佐山義人》
「逆にですね……最近、ミーヤさん元気ないっすね」
「もしよかったら……今週末、少し話しませんか?」
(ふふ……ようやく、ひとつ取れた♡)
『カウンター:夜の密会』
土曜日、19時。
都内某所のダイニングバー。
佐山は、落ち着かない様子でメニューを見ていた。
「……佐山さぁ〜ん♡ 遅れてごめぇ〜ん♡」
ミーヤは、白のオフショルダーワンピ。
きらきら光るピアスと、すっと伸びた脚。
「逆にですね……綺麗すぎて……緊張します」
「ふふっ、ありがとう♡ でも、今日……話があるのって、なぁに?」
「……あの、最近……北野さんと仲良くしてるように見えるって……気になってて……」
「え〜〜? 嫉妬してるのぉ?♡」
「いや、逆にですね……ミーヤさんの存在って……やっぱ、特別というか……」
(よし……こっちに戻ってきた)
ミーヤはそっと、佐山の手に自分の手を重ねた。
「……ミーヤね、佐山さんにしか見せない顔、あるんだよ?♡」
『北野の次なる一手』
翌週月曜日。
「皆さん、9月からの職場研修で“ハラスメントリスク”について再学習します」
北野が部長の隣で、研修計画を発表していた。
資料には、ミーヤの常套手段がそのまま“NG事例”として掲載されていた。
「見せパンや過剰な接近、プライベートな誘い方……どれもリスク要因です」
ミーヤは、言葉を失った。
(これ……私の戦術、潰す気……!?)
『最後のページに書いた言葉』
その夜、ミーヤはノートを開いた。
「北野沙良――脅威レベル:★★★★★」
「戦略:倫理/理性/清潔」
「対抗策:感情/愛情/嫉妬」
ページの最後に、赤字で書いた。
『奪う。全部、奪ってみせる。』
