子どもを育てることで得られる喜びは
何物にも代えがたい
特に家族を持たなかった私には
夫と子供と暮らす毎日の生活は新鮮で
お母さんとして生きている自分が誇らしかった。
でもそれと同時に
自分が子どもの頃いかに
ないがしろにされてきたかを思い知らされる
毎日でもあった。
生まれ育った環境に苦しんでいても
どこにも吐き出せず笑顔を作って
隠し通した。
ある程度まともな過程で育った人は
私の苦しみを話しても、
「そんなのもう過去なんだから
考えても仕方がないじゃない。」と思うのだろう。
何度もその言葉を聞いてきた。
確かに今は父の暴力にさらされることはない。
私を傷つけて平気な顔で生きる母と
毎日顔を合わせることもない。
でも、それは過ぎたことと片付ける事なのだろうか。
育ってくる中で身に着けた感覚、価値観
周りからの刺激に対する反応。
それは私にとっての当たり前で、普通のこと。
それをもう辛かったことは過去なのだから
忘れてしまえばいい。
忘れたら明るく楽しく生きられる。
そんなことが出来たらこんなに苦しみはしない。
変わるって自分の普通と思うこと、当たり前を
書き換えることだと思う。
親の機嫌に合わせて当たり前
身を守るために常に気を張って当たり前。
そんな毎日だったのを
家は安心できる場所、困ったら誰かに相談する。
そんな風にすぐには変えられない。
そう思える人たちだって今まで積み重ねてきた
経験でその感覚を身に着けて生きているのだから。
間違った認識を身に着けてしまった者は
小さなことを積み重ねて
自分で作り直していくしかない。
食べ物を選ぶとき、服を選ぶとき
自分が本当にそれを欲しているのか
どんなものが好きか。
食べて本当においしいと思っているのか
ただおなかが満たされればいいだけなのか
服も無難だからこれを着ているのか
本当に着心地が良くて気持ちが明るくなるから
着たのか。
そんな小さなことを一つ一つ
積み重ねていくしかない。
私は私自身を育て直していくことにした。
育ててもらっていなかった小さな私を
少しずつ。
寂しかったこと、悲しかったこと
気持ちを話したら邪魔にされるか
叱られるかしかなかった。
そんな私の押し込められた声を
一つずつ確かめていこう
小さな私と一緒に。
