かつて私が見た津波の夢(死と再生の夢)をもとに即興のうたを作ろうと、わたしのボイストレーナーのMIOさんとともに相当長い間、いろいろな取り組みをしてきたもののなかなか結実しなかった。
今回、初めて!この夢の内容をもとにソルフェジオの楽曲を使って、音楽トラックの組立てを作ってみた。
わたしが作ったその組み立て構想をもとにMIOさんがトラックを作って下さり、そのトラックとセッションする形できのう歌ってみた。
で、自分の構想のもとに作られたトラックながら、最後のシーンで見えたものに大ショック‼︎
立ちすくんで泣けてしまい、しばらく声が出なかった。
このトラックは、私が見た夢の状況だけではなく、その夢を見たあと、その夢の意味を知るために取り組んだプロセスワークを使ったワークを通して得たものも含み込んで作っていた。
夢の後半では、登場人物の女性が津波で水没したかのように、海に沈んで横たわっているものの、
夢の前半で聞こえる本人自身のナレーションによって、水没する前には理解できなかった神からもらった名前の意味について、水没後知る事になるらしいということが暗示されていた。
それで今回のトラックの後半の展開の組み立ては、
津波、水没→海の夢、海とまじる、海を泳ぐ→神の手との出会い。神の手とつながる(この女性が水没前に神からすでに与えられていた名前は、「ムスバ」という名だった)→再生。新しい生活。
だつた。
この神の手に出会ったあと、この世に戻ってきた時の風景がショックだった!
神の手と出会っていた明るい風景のあとに見た戻ってきたこの世は、黒々と荒涼としていた。
前半、神から与えられた名前のシーンでは、きのうわたしはうたいながら、ただ白く広がる雪の大地の風景を見ていた。
しかし戻ってきた時に見たものは、黒々とした荒涼な地だった。
それは、累々とした死を含みこんでいる風景だった。
戻ってくるということは、こういうことだったのか!と悟らされ打ちのめされた。
この戻ってきた時の風景に出会う前までのわたしは、この夢の意味について単に、海の豊穣さと交わる感覚や、カミなる根源とつながる感覚を日常に持ち帰ることだと思っていた。
それは、夢に登場したひとりの女性の死と再生というプロセスから得たものだった。
しかし、この世に戻ってきた時に見た風景は、累々たる死を含みこんでいた!
わたしの夢が指し示していたものは、単なるいち個人の死と再生の物語にとどまるものではなかったのだ。
ひとりの人の再生は、そこに累々たる死を含みこんでいた。
ただ自分が生きることではない。
累々とした死とともに生きていくことだったのだと思い知った。
死からの生還が伝えていたことは、
海の豊穣さや、カミなる根源だけでなく、
累々たる死ともムスバれ、それとともに生きることだった。
累々たる死を含みこんだ黒々とした大地、それ故豊穣であるこの世、
そこに立ち、死とともに生きていくことだ。