中国から観光のため来日していたお知り合い3人が今日、無事に関空から帰国した。


彼女達は当初、東京中心に色々行きたいと言っていたけれど、実はメインで行きたいのは大阪だと後から聞かされて。


万博も行くって言うので、それなら是非私も一緒に行きましょうと着いてった。


大阪で3泊し、最終日の今日は名古屋を存分に満喫した。


東京でも大阪でも基本、自分達で勝手に行動するというスタンスだった。


行きたい所も好みもバラバラの3人で笑。


別行動になっても気にせず、他人に合わせずあくまでも自分の行きたい所へ行くという考え方、素敵です笑


おかげで私も万博含め大阪で行ってみたかった場所へ行けたし、会いたい人にも会えた。


本当に彼女達には感謝しかない…。






だけど浮かれてばかりはいられない。


今年もお墓参りへ行けなかったのだから。


はからずも、故人を偲ぶきっかけとなるようなことがあった。


あまりにも歩いていて暑かったので、ピアゴ中村店のスガキヤでソフトクリーム🍦が食べたいと思い、地下鉄へ。


最寄駅は東山線の中村日赤駅なんだけど、日赤病院への連絡通路を経由して地上へ出る必要があって(通路を使わなくても出られる行き方があるのかもしれないけれど、忘れてしまった)、病院の中を一瞬通ることに。


日赤病院でとても親等の近しい身内が亡くなっているので、その時のことを思い出した。


職人気質な性格の仕事人間で、子どもの頃にどこかへ遊びに連れて行ってくれたことなんて、数えるほどしかなかったと思う。


そのことを昔はとても不満に思っていた。


当時は土曜日も仕事で週6勤務なんて職場も珍しくなかったと記憶しているけれど。


今だからこそ分かる…たった一日しかない休みくらい、どこへも行かずに家で寝たりゆっくりしたいと思うのも、無理のないことだと。


子どもの頃はそんな大人事情なんて分からないものだから、ただただ冷たくて大嫌いな人としか、いつしか思わなくなっていた。


身内が病気になったのは、私が大学生の頃だった。


最初母からは「風邪らしい」と聞いたので、へぇ〜としか思わなかった。


だけど町医者に診てもらったら「これは死ぬかもしれないから、日赤に行って」みたいに言われたと後から聞かされ。


日赤では最初、悪性リンパ腫だと診断された。


自分も必死になって、悪性リンパ腫について調べたりした。


確かに厳しい治療が必要だけれど、ステージ等によっては治る病気だとも書いてあった。


衝撃を受けながらも、一旦は前向きな気持ちになった。


でも悪性リンパ腫というのは誤診で、実は非常に予後の悪いタイプの白血病だったのだと、すぐに伝えられた。


生存期間の中央値は13ヶ月等、次々とショックな話も聞かされた。


何度も、何故あの人が?と、泣いたと思う。


もちろん皆で一丸となって治そうとしていたし、協力できることは何でもしようとしていて、奇跡が起こるのも信じていた。


だけど心のどこかで、万が一死んでしまった場合のことも考えていたのだと思う。


少なくとも一年は生きられるとしたら、これからの時間を悔いのないものにしよう。


あの時もっと孝行しておけば良かっただなんて、思いたくないからと。


まずはそれまでロクに会話をしてこなかったからと、暇さえあれば病室に足を運んで、その日の出来事等を話すようにしていた。


不思議と病気になったことがきっかけで、元気な時よりも何でも話せる、普通にコミュニケーションができるようになっていた。


こんな常識的で他人を思いやれる人だったんだとも分かった。


飲みたい物や食べたい物があれば、病院内のコンビニへすぐに買いに行った。


写真が大の苦手だった自分が、是非見て欲しいからと自らアルバムまで作って見せたりもした。


とても喜んでくれていたと思うし、私としても幸せで穏やかな時間だった。


何年分もの空白を埋めるような感覚だった。


骨髄移植をして、一時は寛解に向かっているかと思われたけれど、一瞬だった。


すぐにまた悪化してしまい、一気にいよいよ危ないという状態にまでなってしまった。


この時の自分は卒論に加え、諸事情から主席卒業を目指していたため普段の講義や課題も全力でこなさないとならなくて。


治療費を少しでも稼ぐためのバイトにも励んでいた。


毎日のように病院へ行くこと自体は、家から近かったしそれほど負担でもなかったけれど、とにかく精神的には辛すぎた。


今日行って、もし死んでいたらどうしようと。


毎日毎日、気が休まる時間がなく。


亡くなる数日前だったか、病院に泊まるのを許可されて、夜通し付き添っていたと記憶している。


諸々限界だったからかもしれないけれど、亡くなってしまって、もちろん悲しくてたまらない気持ちになったけれど。


それよりも何よりも、ホッとしたというのが、正直な気持ちだった…。


もう二度と「今日はまだ生きているだろうか?」とびくびくしながら病室へ行くこともないのだから…と。


もちろん、ある程度悔いのないように孝行できたと思えたのもあったからかもしれないけれど、不思議と生前あれほど泣いていたのに、亡くなった瞬間は何故か泣かなかった。




ごめんなさい、あの時私、そんな風に思っていました。


薄情だと思われますか?


確かに今でも時々思うのだけど。


あなたのために必死で孝行していたかもしれないけれど、究極的には自分のためにしていただけなんじゃないかな?って。


自分が後悔したくないから、心へのダメージを最小限にしたかったからと、それだけだったんじゃなかったのかな?って。


生前から心配ばかりさせていたし、本当にロクでもない奴だったと思います…(あ、今もか汗


いつか私がそちらへ行ったら、叱ってくださいね。




今私がこうして笑っていられるのも。


なんだかんだ楽しく毎日を過ごせているのも。


あなたという存在がなければ、そもそも成り立たないものです。


本当にありがとうございます。


どうか雲の上から見守っていてください。


見て欲しくない部分の方が多いですが笑。


いつの日かまた色々語り合いましょう。