さて、道長政権になってからは、道隆の息子たち、伊周と隆家は大反発します。従者が合戦したり大変でした。若さもあったでしょう。

貴族にとって、伊周、隆家は厄介な存在になりました。又、道長は、行成や実資を出世させました。


さて、まひろ(紫式部)の父は、従五位下に出世します。

道長の手配です。従五位下にならないと、国司にはなれないからです。越前守の官職にもつけませんでした。越前は大きな地方でした。現在の福井県にあたります。

漢文に詳しい為時に越前は合った地方官職でした。越前には、やたら宋の人々が来日し、貿易をしたがりましたが、言葉が通じなくて、困っておりました。


一方で、伊周は三の君と逢瀬していました。大変な美人だったそうです。

ドラマでは、藤原光子です。

ある夜、花山院が四の君と逢瀬しており、姉の三の君と勘違いした伊周は怒り、弟の隆家に弓矢を射たせて脅かしてしまいました。

驚いた花山院でした。

この事件が大事となり、長徳の変と呼ばれて大騒ぎとなりました。

996年の事件でした。