三浦清隆 -12ページ目

三浦清隆

加賀百万石ツーデーウオーク ①

前回の続き。長野県美術館では、常設展示と別に企画展「超絶/コレクション展」が開催されていました。両方を鑑賞すると¥1,900です。

館内は常設展示が2ブース、超絶技巧展が1ブースに分かれています。殆どの作品は撮影禁止なので、館内ではスマホはおやすみです。

同じ人間なのに、どうしてあの様な作品ができるのか不思議でとても感動でした。なんでも鑑定団で出てくるような作品で、観覧には沢山の人が来てました。

今回の企画展の多くが「清水三年坂美術館」の協力で開催されたそうです。

13時近くなったので次の「水野美術館」へ移動します。

城山公園前のバス停から長野駅に帰ります。


長野駅でタクシーに乗って「水野美術館」へ。約10で到着しましたが、休館です。ガーン‼️

事前にホームページを見てましたが、まさか、お休みとは思いもしませんでした。

展示替えでした。

しょうがないので、近くのコンビニで昼食を買って、遅い昼食を取りながら次の観光地を探します。

隣の「長野赤十字病院」の前にバス停があるのでそちらに移動します。「日赤入口」バス停からもう一度長野駅に戻ります。


ここから「川中島古戦場跡」にバスで移動します。

結構時間がかかります。

川中島古戦場バス停で¥480を支払い下車。

先ず、武田・上杉両雄 一騎討ち 八幡原に来ました。

「川中島の戦い」は、1553年(天文22年)から1564年(永禄7年)にかけて、甲斐国(現在の山梨県)主である「武田信玄」と、越後国(現在の新潟県)の主である「上杉謙信」との間で、北信濃国「現在の長野県北部)の領有権をめぐり5度対戦した合戦の総称です。5度の合戦の中で4回目の合戦が千曲川と犀川が合流する「川中島」で行われたことから、川中島の戦いと呼ばれています。両軍とも多数の戦死者を出しましたが、決着はつきませんでした。


八幡社に参ります。

首塚(くびづか)

この塚は以前は屍塚(しかばねつか)と呼ばれ、1561(永禄4)年9月10日の戦いの後、武田方の海津城主高坂弾正(こうさかだんしょう)が激戦となったこの辺り一帯の戦死者(6千余人)の遺体を敵味方の別なく集め、手厚く葬った塚の一つである。

これを知った上杉謙信は大変感激し、後に塩不足に悩む武田氏に対し、「われ信玄と戦うもそれは弓であり、魚塩にあらず」と直ちに塩を送り、この恩に報いたといわれている。

このことが乱世に咲いた美学と褒め称えられ、「敵に塩を送る」という言葉が生まれたといわれている。

ここから東南へ約180mのところにも大きな大きな首塚がある。昔はこの付近にいくつもの首塚ががあったが、現存する大きな塚はこのこの二つだけであり、小さな塚は各所に点在している。・・案内看板より

「毘」「龍」の旗

「毘」(び)は上杉謙信が信仰した毘沙門天を意味し、戦場にこの旗と共にあることは毘沙門天と共にあり、その加護のもと上杉軍将兵は勇往邁進し、水火も辞さない勇気を示したといわれている。

「龍」は乱れ龍を意味し、突撃の時まっ先に押し立て進んだ「突撃用軍旗」である。永禄4年(1561)9月10日の川中島合戦もこの旗で火蓋が切られたのである。謙信自らの信仰心に発する「毘」の旗と共に、この旗は上杉軍の勇猛果敢さを象徴し戦わずして敵の恐怖心を誘発したといわれている。・・案内看板より


八幡社を参った後、川中島古戦場史跡公園内にある「長野市立博物館」へ。

博物館では、長野県の自然、昔の生活、信仰、川中島の戦いなどの資料をジオラマやミニチュアによる展示がされています。入館料は¥300とお得で写真撮影もOKです。

山口県では見ない双体道祖神です。村の繁栄、悪霊退散、五穀豊穣とか、昔は病気の原因もわからないいし、災害も多く、村の守り神みたいな物が必要だったのかもしれない。お寺や神社を建てるだけのお金もない集落も多く、初めの頃は丸く削った石や奇石を村の入口に置いたりするくらいだった。そのうち人々の繁栄を願う意味を込めて男女の姿が彫られるようになった。夫婦が仲よければ子供も生まれて、村の繁栄につながる。これが双体道祖神の始まりといわれています。

なんでも鑑定団に出すといくらの鑑定結果が出るかな?


館内をじっくり見ると、2時間位はかかりそうです。

16時半になったので帰ることに。

来た道を引き返し長野駅前に到着。少しお土産を買って、キャリーバックをコインロッカーから出して、ホテルに向かいます。


6月4日(日) 今日も良い天気です。ここのホテルは食事が付いてないので、昨日買ったサンドイッチと牛乳で簡単な朝食を食べる。

ゆっくりとくつろぎ、8:40にホテルをチェックアウト。

9:01の長野駅発の特急しなの6号に乗車。

途中で暫く停車しました、信号待ちです。

単線区間があるので、離合するのに時間がかかってます。

車内放送では、線路内に人が入ったため6分遅れで出発しました。

明科駅手前の車窓から見えた「中部山岳」です。山には残雪が見えました。山口県では味わえない風景です。


6分遅れで走っていた電車も、運転手さんのお陰で、名古屋駅に1分遅れの12:02に到着しました。

ここで乗り換えですが、帰りの切符が5枚あるのでさぁ大変。どれを改札機に通すか悩みます。

改札機には最高4枚迄です。あれこれとチャレンジしてやっとクリア。急いでホームへ。

12:10の、のぞみ25号に乗車、何とか間に合いました。

車内はほぼ満員です。

次の乗り換えは新神戸駅です。

13:14に新神戸駅にて降車。ホームの売店でむすびとお酒とビールを買って次に乗る12:36の、さくら557号を待ちます。

定刻に到着したさくらに乗車。

車内は外国人が多いですね。

遅い昼食を取りながらビールを頂きます。

外国人さんも駅弁とビールで昼食してました。


外国人さん達は広島駅で降車しました。多分先日あった、サミットの影響で平和公園に行くのでは?


15:13に徳山駅で降車しました。ここで暫く待って隣の櫛ヶ浜駅に行くのも面倒なので、タクシーにて帰還しました。