たまに機会があると、PTSDやその周辺の支援者向けの講座に出ることがあります。
申込時や自己紹介では所属や立場を聞かれることもあって
そんなときは、教育関係の支援職で、いわゆる発達障害の二次障害に関心があると申し出ています。
立場というものは便利でありがたいものだな~としみじみ思う。。。
それも本当なのですが、自分自身がPTSDという診断をもらい散々時間とエネルギーを費やしてきた医療・カウンセリング等の界隈を支援の側から知りたいという好奇心も大きな原動力です。
全体像がどうなっているのかを俯瞰したいし、昔と今でどのような変化があるのか、その流れの方向性はどのようなものか。
…ようするに、
私の時代と比べて
ちょっとは改善されてるの?
っていうところです。
もう病院を出て6年経つので私としては昔のことになりつつありますが、「精神科の卒業生」「〇〇上がり」などと警戒する方も中にはいるだろうし、迂闊には話せないものです。(そもそも、支援者として学ぶ場所であり、自分のことを話す場所ではない。)
今の仕事は特別支援に関係しているのですが、ある関係者が私の上司を「発達障害上がり」と陰で言っていましたからね。驚きました。そういう人も、中にはいます。この話をすると長くなるので今日は省略します。
昨日の勉強会は、とてもいい経験になりました。
たぶん今は気付かないこともあるだろうなーと思う。
時間が経つとどのように見方が変わっていくのか確認するためにも、今の段階で思うことを率直に書きます。オブラートに包んだ優しい表現を考えていると時間が掛かるので、たぶんエラそうな書き方になりますがご了承ください。読み返して自分で恥ずかしくなるかもしれませんが、そのまま残します。
【残念だった点 : 自分】
▲前からの予定と重なっていたため、グループでの話し合いの途中で退席したこと。講師の話が終わって20分後ぐらいに退席した。
▲個人的な経験から聞いてみたいことが幾つかあったが、支援職としての疑問に絡めて質問しなければいけないと思い、シェアタイムでの質問が輪郭のぼやけたものになってしまった。
▲聞きたいことをうまく伝える表現力が足りず、私が仕事の中で治療的な何かを行おうとしていると誤解された。視点と姿勢を参考にしたいだけ。
▲途中で帰らなければならないので、焦った。時間内に自分の感想と疑問を話して帰ることに意識が向いて、現場での経験がある周りの人の話を聞く貴重な機会を逃した。
▲6年前にハローワークでお世話になった人が向かいの席に来て驚いた。今は転職して、男女平等推進などの活動を助成する仕事をしているとの事。私が金融機関を退職する半年前ぐらいから、仕事の適性について個別相談を3回ほど受けた担当者。働いて生きていく自信ゼロ、ボロボロの頃で、涙と鼻水まみれで話を聞いてもらった。私がPTSDの当事者だったと覚えている可能性が高いので、変に意識をしてしまった。なお、このグループ分けはくじ引きでした。
【残念だった点 : 講師(精神科医)、手法】
▲手法として紹介していたのは、この夏に研修で学んできたばかりだという持続エクスポージャー療法だけだった。生々しい映像を見せることによってトラウマ記憶の処理が強化され、前・途中・後で表情や服装などの印象がイキイキと変わっていく様子に目を見張ったと話していた。それ自体は何も悪くない。ただ、一つの手法がすべての場合に有効だということはないということを、どの程度認識しているのだろうか。また、とくに持続エクスポージャー療法だけを紹介をしていた理由は、それが支援者の相談対応において参考になると考えたからなのか、あるいは単に他の治療法を知らなかっただけなのか。
▲持続エクスポージャー療法という伝統的な手法をこの夏に学んだばかりで、事例の映像に驚いたと話しているのを見て、私は驚いた。講師自身が自己紹介で語っていたとおりPTSDの分野の経験が少ないのは本当のことだと感じた。経験が少ない分野であるという自覚があり、そう伝えてくれたことはとても誠実だと感じた。
▲経験が少なくても、PTSDというキーワードで引っ掛かる本をある程度読めば、他にどのようなアプローチがあるのかや注意点など、全体像を理解するための情報は10年前に比べて格段に多く得られるはずだから、もっと勉強してほしい。
▲働きかけのレベル→①行動レベル(コーチング等)、②認知レベル(認知療法等)、③情動レベル(深いカウンセリング、ふたを外す)。③の部分に、身体という視点が足りない。精神や心というものではあるけれど、困る症状が身体の反応・感覚ならばそこに着目する治療を模索すればいい。身体に着目するアプロ―チが優れていると言いたいのではなく、すべて必要だがそこが見逃されているので補完してほしいと思う。
▲持続エクスポージャー療法では、セッションは毎回90分、記憶している出来事について繰り返し話す。トラウマとなった出来事に繰り返し触れ、話し、処理するとのこと。毎回録音して毎日聞く宿題があるとか。人によるんだろうけど、私は耐えられん…ちょっと無理。「トラウマ記憶の処理を強化し」と資料にあるが、「トラウマを強化し」の間違いではなかろうか。受講にあたり『これだけは知っておきたいPTSDとトラウマの基礎知識』という本を読み返したのだが、「報告書や非公式な報告において、この療法における高い治療脱落率が示されています。」とあった。
【残念だった点 : 主催者等】
▲PTSD分野について経験が浅いと本人が申し出ていたのだから、経験の豊富な他の臨床家を講師に迎えるという選択もできたのではないだろうか。精神科医もオールマイティーではないと私は思います。
▲仕方ないんだけど、重たいケースは蓋を開けずに「医療につなぐ」。何も悪くない、正しいんだけど、つないだ先の医療でどんな治療を受けられるのか、どんな人に出逢うのか、くじ引きみたいなものかもしれないんだよ…。これは言っても仕方がない、単なる私の愚痴。
【良かった点 : 自分】
●EMDRという手法を使ったカウンセリングを4年もやって改善はしたが、多分あまり適性があるほうではなく、時間を無駄にしてしまったと悔やんでいた。初めからソマティックエクスペリエンスやハコミセラピー等、身体的アプローチを試すことができていたらもっと早く病院や薬を卒業できていただろうと想像するが、いまさら言っても仕方ない。しかし、持続エクスポージャー療法を適用されなくて良かったと心の底から思った。無駄に時間は掛かったが、治療によって悪化することは無かったのだから。
【良かった点 : 講師、主催者、参加者】
●発達障害や精神障害というものの定義を、講師がある程度の距離をもって眺めていた。安易な「○○障害チェック」等には懐疑的で、幾つか紹介された診断名の解説が分かりやすかった。「私たちは大抵の症状を持っている」「拾い上げたものが症状を構成する」「注目の仕方でどのようにも見える」との認識。向精神薬の有効性も全面的に肯定はしていない(詳細は書きません)。
●疾病性を問い続けるより、日常生活を円滑にすることを考えて、社会生活を豊かにしていくことが大切だという認識。その話で頷いている人が多かった。
●私よりも支援者として経験を積んだ人が大半であるように感じた。対人援助職としては経験が浅く、PTSDに関しては個人的な経験に影響されている部分がまだ多いであろう私よりは、支援者として良い対応をできる方々が多いと思う。
●一方で、支援者として経験が浅そうな人も参加していて安心した。自己紹介では「ボランティアやってます…でいいですかね?」、意見や感想のシェアでは「特にありません」でパスをしている人がいた。それほど気負わなくても、興味がある勉強会には参加していいのかもしれない。
●主催者の作り出す雰囲気がよかった。温かくて活気があった。
●治療者の人格や考え方が素晴らしくても、治療法が適合しなければ症状が悪化したり時間だけが無駄に過ぎることもあるのがPTSDだと私は思う。講師である精神科医によるPTSDの治療は受けたくないが、手法のことを除けばかつての通院時代にも相談したいと思うであろう人だった。
参加して、よく分からなくなりました。
しっかりした人ばかり、みんないい人だけど、
PTSDの知識と経験が足りないのは
ものすごく怖い~~~~
こわいよ~((;゚Д゚))
私が知っているPTSDの知識は
特殊で偏っているんだろうか?
自分の興味のある分野だけ
情報を集めたり接しているから
よく分からなくなってきた。
私は単なる
PTSD周辺に興味があるオタク
なのか。
そんなことないとは
思うのだけど。
もっと身体の側面に光が当てられるのは
20年、30年後
なのかもしれない。
地元のセラピーの師匠が言っていた。
病院など医療の分野では
PTSDに関する対応が遅れている。
民間の方が進んでいる。
玉石混交だろうけど。
あらためて、
そうなんだろうと感じた。
私が初めてカウンセリングや精神科をたずねたのは10年以上前だけれど、今もし同じようなケースがあったら、医療の現場で提示されるメニューに従うだけでは大して変わらない経過をたどるように感じた。
ただし、自分で情報を得て動こうとする人にとって、状況は良くなっている。
だからまぁ、別に私が心配しなくてもいいんだ。
こわいよ~、なんて思うのは
自分の症状の改善のツボを見つけるのに苦労した気持ちが昇華されていないだけなんだろう。
そこに私の自律神経が反応して、冷静な思考ができなくなっていたのかもしれない。
「怖い」の対象は、外側にいる誰かではなくて、自分の身体に起きていたトラウマの反応と、それを理解してコントロールできなかったこと。病院のカウンセリングでもそれが根本的には改善しなかったこと。
医師はPTSD以外にも様々な症例を見る必要があるし、
日々の業務をこなすだけでも大変だから
仕方ないのかな。
いま、資料をあらためて読み返した。
手法の話を除けば、参考になることが書いてあった。
●「相談」というと頑張ってしまう。
そこの場所にただ一緒にいることが大切。
寄り添うだけでいい。
●安全な場所であることを確認できれば、人は自分の力で歩いていける。
なんか、よく分からなくなった。
対人支援職としての留意点など、
私が退出したあとにどんな質疑応答があったのか
興味があるので聞いてみようかと思う。
お誘いをいただいたけれど、今は仕事以外でボランティア等をする気にはなれないと気付いた。
ていうか、そのエネルギーを捻出するのが難しい。
なんか、もういいやー
日常的な心身のセルフケアのためと、やはり仕事に活かすために、興味のある勉強は続ける。
どちらにも活用できる勉強って、お得だから好きです
でも、自分のこだわりがある部分について考え方が違うからといって、しっかりと機能して役割を果たしている場所に出向いて、わざわざ意見を言ったり経験を話したりするのって、ちょっと違うんじゃないかなーと思う。
地味に、群れずに、自分の守備範囲にささやかでも活かせればいい。
もともと勘がいい人や、長年の経験がある先輩には、私が勉強したって追いつけないだろう。
でも、私に合った方法で、接するときの心構えや自分の状態を整えて、お互いにいい状態でいられる工夫をすることはできる。
あとは、普通の生活にある私の元気のもとを大切にして、楽しく暮らすことにエネルギーを使いたい。
それでよかろう、と思った。
勉強会を退席してから、以前から聴きにいくと約束していた音楽のライブに向かいました。