幸せな午前が終わり、やることもないので博物館の展示をみていたら雨が激しくなって建物から出られなくなる。

博物館のショップで買い物までしちゃったけど、雨は激しくなるばかり。

思い出して、博物館内の図書室に行く。
そこでふと手に取った「惠山泥人」なる本が台湾の伝統の土人形の本で、大ヒット。
京劇の登場人物や伝説の聖人、神様、風俗などを多彩に土で作り彩色したもの。
小さいながら躍動感のあるボーズ、作り込み過ぎていない仕上げが品が良い。
沢山の写真と丁寧な作り方の手順記録まで二巻に分かれて紹介されていて素晴らしい本だ。

この本は日本でいうと「太陽」や「銀花」みたいに1つのテーマを奥深く紹介し倒す雑誌のようだ。
奥付をチェックしたら 雑誌 「漢聲」、台北の漢聲出版社、とある。
同じ「漢聲」の台湾少数民俗の服飾特集も舐めるように堪能。

他に何かないかと本棚を探ったら、今度は古代中国のお墓の副葬品の塑像の本が見つかった。
これまた大興奮で、ついにお許しを頂いてデジカメで画像を撮りまくる。

ざっくり3世紀から8世紀半ば、盛唐の頃まで、頭は人、体は獅子、そして翼を持っているというスフィンクスと成り立ちは一緒のモノが出現してきて、盛唐の後は毘沙門天風に見栄を切った武人の形に収斂していく。
そんな流れが とっても興味深い。
スフィンクスと言っても顔はいかにも漢人の武人で頭にウンコみたいなよじれた一本角をつけていたり、かなり違う印象だけど。
他にも人頭蛇やら人頭魚、頭が炎と化した狛犬などなど楽しい造形が一杯。

これらの今日見た民俗的・考古学的資料のどれを私の作品に参考にさせてもらってもいいのだ!
なんたる幸せ、なんたる豊饒。
世界が手を広げて私を迎え入れてくれている。

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実はね、図書室に来る前に見ていた展示が台湾、中国大陸、韓国、日本の美大に関わる人達による「東アジア当代陶芸交流展」だったのだ。
学生の作品の中にちらほらと講師や教授の作品。
良い作品、少ない。
良い作品とそうでないものを分かつものは何か、と考えながら歩いていた。
結局その人の心の底から出てきたものでないと、ダメなんだよね。
他の作家の真似とか、頭でちょっと思い付いただけで形にしている物が多すぎるよ。
なんて 考えていたら、最低の作品を見てしまった。
私の作品の、 バッドコピー。

最近、私と傾向の似ていると言われる若い作家は日本でもたくさん出てきて、しかしなんとなく似てるな、というだけで、それは時代の1つのテイストの影響をみんなが受けているんだろう、と思っていた。
しかし、今目の前にある作品は作品とも呼べないような気の抜けた、素材に愛の欠片もない雑な作りで、
その雑さで私の作品のかたち、スタイルを模造しようとしている。
まるで「たこのまくらの作品ってこんな感じじゃね?」と学生がふざけて作ったみたいな。
私のコピーでなくても、展覧会自体をバカにしたクオリティーだ。

呆れて、作者名を確認。
金、ああ、韓国の人って真似を悪いと思わないよな、平気で師匠をパクるのは日常茶飯事で、いったいどういう神経なんだ?

金 銀新月。キム・ヒョン新月ク、、、、!

それは、私の多摩美の後輩で、私に今私が働いている職を譲って韓国に帰った、私の尊敬する友人の名だった。

展示をみるまえ漢青氏から「金さん、先週展示でこの博物館に来たんだよ」「韓国の母校で教えるみたい」と聞いて 私はすっごく喜んでいたのだ。
「あら、まだ台湾にいるなら会いたいわ~、メールで私が会いたがっているって伝えて」なんて会話しちゃっていたのだ。

ヒョン新月ク、一体どうしちゃったの?
貴女には豪快な貴女らしい作風があるのに。
呆れたり腹がたつより、心配だし悲しいよ。
あんなに真剣に作ることに向き合っていた、数少ない心から話せる同業者だったのに。
なんでこんなことに?

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なーんて事があったのでしたよ。

私も今さら自分の発想が自分の脳味噌オリジナルなんて言わない。
それは啓示のように降りてくるもんで、必ず誰かや何かの影響はある。
だけど。
そこを「あ、誰彼のパクリ」と勘づかせないように自分の中で発酵させてから出すのが、プロもしくはプロを目指す者のタシナミだろう。

なにより誰かの作品を追う事は自分に向き合うことには繋がらない、自分の中の「やむにやまれぬ」にぶち当たらないだろう。
そんなもの、何個作っても自分の真実に出会えない。

と、まあ後味悪い事があったけど、古代中国と台湾の民芸が私に正しい方向を指し示してくれた 味わい深い午後だった。

早寝するはずがこんなに書いてしまって、予定が狂ったよ。(^-^ゞ