昨日の夢の解釈が、コメントを書きながらまとまった気がしたので、忘れないうちに。



母屋での商談は、私の今後の話を父親的な私の上のサポーターさんがしていたのかもしれない。

「大泉洋似の義父」というのは私の実の父って感じはしない。
実の父なら実の父で出てくると思う。
むしろ私の、上か後で応援してくださっているサポーターさんの1人の感じがする。

実の父は私に生前もあまり関心のない人だったし、亡くなってからも弟や姉の息子達のところに行っている感覚がある。
生前から自分の血筋を残す男の子に執着していたひとだったから、それはしょうがないと思う。
私には父方のおばあさんが見守ってくれていたりする気がするので、それで別に父方はオッケーだから気にしてない。

しかし父親的なものと離れていると社会性が育たないのかもしれない。
私にはいまいち社会的な視野とか社会的礼儀みたいなものに対する感覚が鈍い。

この半年、自分の中を再構築してきて自分を尊重することや自己愛について力をいれてきたけど、それは女性的なサポーターが張り切る仕事だったのかも。
そろそろ「コイツに社会性を」という上の世界での商談に寝起きの姿で空気読めず入って行って転んでみせて、「やっぱりこの話はなかったことに」になったのかも。
それで大泉洋父さんも今までの放置に責任感じた、のかもしれない。

もしくは商談相手が私の「魂本部」で、私に大泉洋父さんが私の中で担っている社会性が足りないのを説教されていたのかも。
で、証明みたいに私が失敗して、「ほら、お前がしっかりしてないから転んだ!」と魂本部からダメ出しされた。

あ、だから大泉洋父さん、白のスーツの遊び人みたいな風情だったのかも。
彼は私の「社会性」かも。

後者の「『私の魂本部』から説教されている大泉洋父さん」説を私は採用したい。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ここまで妄想して思ったのは、思い出したのは。

夢の中で本当に真剣に大泉洋父さんが涙を溜めて「俺がしっかりしてないから」と悲しんでくれたことなのだ。
この現世で生きている私を、本当に大泉洋父さんは責任をもって愛していてくれる感じだったのだ。
多分きっと、上の人たちは私の失敗をあんなふうに涙を溜めて「俺が父親としての自覚が足りないから」なんて自分の責任として悲しんでくれたりしちゃうんだ、と思った。
有難くて頭が下がった。
そんな風に思ってくれているのなら、本当に自分を大事にしないと「みんな」が本当に悲しむ!いかん!!と思った。

上の人や後ろの人たちと私達は本当に一心同体なんだろうな。
喜びも悲しみも、きっと一緒に感じてくれている。
(あ・泣けてきた。)

だからって監視されているわけでもないので、いつもイイコでいるのが「自分を大事にする」ではない。
しかし自分を甘やかすのと自分を大事にする、のは同じじゃないと思う。
そこの匙加減が今、ちょっとつかめないんだなぁ。