ぬらりくらりのたわわごと

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議論・戦い

僕は原子力発電に対しては反対ではない。
専門家でも知識があるわけでもないから放射線がどうのこうのってのは正直わからない。

祝島での原子力発電所建設に関して、正直最近あまり関心を持っていなかった。

けどちらちら情報を見ていくうちになんか色々おかしなことがあるように思えてきた。

計画自体は30年前の話、情報はいっぱいあるのにマスコミは報道しない。
地元住民はずっと反対していてその割には計画にあまり根拠がない。

けどこれに乗じて原子力発電の問題として話をしてしまうのはちょっとずれる気がする。

そんなところで考えてみるんだけどまず言えることは

身を呈して守ろうとするものがあるってことはなにかがあるってことで、それをお金とか権力で
解決しようとするのは間違っている。

いくらでも作れるもの、再生するものであれば壊してもいいかもしれない。
ただ今回は漁場をつぶし、自然が育んできたものを壊してしまう。
壊してしまったらもとには戻れない。

だからこそ必死に抵抗し守っている。
それを30年と続けているのに理解しようとしない建設側の人たちには共感ができない。

それこそ建設する土地への影響とかについての検討はちゃんとされているのだろうか。
原子力発電の話でそれを論じるのは簡単かもしれないが、場所という部分が欠如してはいないだろうか。
なぜそこに作る必要があるのか。つくるのなら影響を最低限にする検討はなされる必要があるだろう。

多額の資金を投入するのであるならば、日本の知恵を用いてより良い方向に持っていく努力をしないのか。
決まったことでしか動けない、決まっているからやりますではいいものが作れるわけなんかない。

本気でいいものを、国のためになるものをつくるのであるならばもっと情熱を持つべきだろう。
対話なくしていいものが作れるわけなんかない。

今回の作る側からはそんな熱意が伝わってこない。
僕はそれが非常に残念である。
自分自身、つくる側の人間であるからこそ感じる。

もしかしたら今後、原子力発電の設計に関わること、現場に関わることがあるかもしれない。
その時に自分はどうしたらよいのか。

まずは現場を見に行くしかないのだろう。
そしてそこに住む人達と対話をする。
つくる側の熱意、情熱を伝える、そして建設される側の意見も聞く。
そういう戦いを、議論をしていかなければそもそも成立しないものなんじゃないか。

おかしいものにはおかしいと言える、各個人の判断てものが欠如してしまっているのか。
そんなんで言われたことだけやってたんじゃ何時まで経ってもいいものなんか、納得のいくものなんかできやしない。

祝島についてはしっかりとした議論、検討が行われることを期待したい。
決して強行に建設をすすめるということだけはないように。
そんなんで原発つくったって機能しないよ。

みんなでいいものをつくる信念をなくしちゃだめなんだ。

たのしいこと

いろんなことがゆるいと感じる。

自分がゆるくないわけではない。

でもとにかくゆるく感じる。

そんな感じにはなりたくない。

そんなものが周りにはいっぱいある。

一方でこうなりたいと思うものももちろんある。

なりたい方向に向かっていけばいい。

やりたいようにやればいい。

失敗したらその時だ。

そんなこんなで今日も頑張っていく。

失敗しない人生なんてないし

失敗しない人生なんておもしろくない

いつも安牌切ってるようじゃだめだ

たまにはってかいつもだけど選択は大胆に攻めないとね。

よりおもしろくより楽しく。

そうしていれば面白くされるし、楽しくしてもらえる

悩むことなんてない

突き進め

ますたーべーしょん

タイトルからなんだとも思うけどまあオナニー論。

自己満とは何ぞやってはなしですね。


人前でオナニーしてそれで人を魅了できたらそれは作品になりうる。

けどもしそれでだれも魅了できなかったら完全なオナニーでしかない。

0と1の差かもしれないけれどもここは非常に大きい。

相手を満足させることを優先させるのか、自分をまず満足させるのか。

それは立場によるのかもしれないが、ぼくは常に前者の立場をとりたいと思う。

なぜなら相手を満足させることが自分を満足させるから。

自分が満足していても他者が満足していなければそれは僕を満足させはしない。

そうすると相手しか気にしないのは自分の発するものがないのではないかという意見もあるかもしれない。

だがしかし相手を満足させることによって出てくる自分の魅力なるものが出てくる。

僕はそういうところで勝負をしたい。

0を1にしていくことはできないが、1を10にすることはできると思う。

そういうところにオリジナリティーを出すことも可能ではないだろうか。

他者ありきかもしれない。

ただ今はものがありふれている時代。

他者となりうるものは多くある。

単なる仲介者ではなく、いろんなものを付加していく存在へ。

そうしていくことが自分の存在価値を高めていく。

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