非常に残念な訃報がありました。

 

近年、令和の虎で活躍しておりました、岩井良明さんが癌で亡くなられました。

 

岩井良明さん、世間では「社長」と呼ばれていたようですが、私の中では「先生」とずっと呼んできましたので、ここではあえて「先生」と言わせて頂きます。

 

岩井先生のことはどれだけ皆さんがご存じかは分かりませんが、令和の虎により、もの凄く有名になりましたので、ご存じの方も多いと思います。

 

ご存じない方は、是非調べてみるとよいかと思います。

 

正直反応は様々だと思いますが、それを含めてだと思っておりますので。

 

 

そこで、表題にもありますように、岩井先生は私の「人生の恩師」です。

 

なぜなら岩井先生は、私が小学校6年生の時の塾の先生だったからです。

 

岩井先生は2000年前後に「マネーの虎」に出演したことで世に知られることになりましたが、それ以前のことについては、恐らくネットで調べてもほとんど情報がないと思います。

 

岩井先生を偲ぶ気持ちを込めて、ほとんど世間に知られていない岩井先生の当時のことについて、思い出も含めて書きたいと思います。

 

 

岩井先生は、私の地元であり岩井先生の地元でもある、愛知県江南市で塾講師をしていました。

 

かつては希望ゼミナールという塾の講師だったと聞いています。

 

そして私がお世話になる3年位前に独立して、大志塾という塾を開校しました。

 

その時は江南駅の前にあるビルの一室で、規模としてはよくある雑居ビルの塾という感じでした。

 

 

一方私は、実家から徒歩7分の所にある滝中学という中高一貫の進学校を希望しておりました。

 

その理由としては両親の強い希望というのがあったのですが、私自身の気持ちとすれば、小学校の時に酷いいじめにあっており、地元の公立中学も非常に荒れていたこともあったからでした。

 

当時、中学受験を目指した塾は市内にいくつかあり、その当時は滝中学の合格実績がまだ高くはなかったようですが、近所の評判がよかったということで、岩井先生の大志塾を選んだという流れだったと記憶しております。

 

 

その時、中学受験コースは、まだ出来たばかりの市内の分校で行われました。

 

今でもそのビルは残っているのですが、その時出来たばかりの新築ビルで、あのホルムアルデヒドの臭いが漂っていました。

 

今でもビルのホルムアルデヒドの臭いを嗅ぐと、塾のことを思い出します。

 

 

岩井先生の指導科目は、実は記憶が曖昧なのですが、確か算数と社会だったように思います(もしかしたら国語もだったかもしれませんが・・・)。

 

塾の先生は総勢確か4-5人くらいで、中学受験コースの塾生は1クラス15人くらいの上下で2クラス制でした。

 

岩井先生の授業はとても分かりやすかったです。

 

しゃべり方は令和の虎での姿と全く同じです。何一つ変わりありません。

 

授業は分かりやすかったのですが、もの凄く厳しかったです。

 

本当に絵に描いたようなスパルタ教師でした。

 

これを言おうか悩みましたが、令和の虎でありのままの姿を表にしていたので、話してよいかと思いました。

 

決して悪い意味ではありません。

 

本当にあのままです。

 

あの当時まだ30代だったはずですので、もしかしたら令和の虎での姿よりも激しかったかもしれません。

 

よくネタになっている「若者をいじめて楽しいか?」と詰めてきた志願者に対して「荷物持って帰れ!」と怒鳴っていた姿は、あれと全く同じことをされたことがあります。

 

私が宿題をやってこなかったことがバレた時、私の教科書や筆記用具を入り口の所に投げ飛ばし、もの凄い怒号で「帰れ!!!」と言われました。その時に「ほらすぐ帰れ!荷物もって!」と言われた時にことを思い出しました。

 

実はその前に別の生徒がもっと酷いことがありました。

 

隣のクラスで、突然岩井先生のもの凄い怒号が聞こえました。

 

恐らく私がここまで45年生きてきた中で最大級の怒号だったと思います。

 

その後、職員室で親に電話して、退塾してもらうことについて怒りの電話をして、その生徒は退塾となりました。

 

そういうこともあったので、私もそうなることを覚悟しましたが、その後確か授業に残ることとなったはずです。

 

どうやって許してもらったかは覚えていません。

 

それだけ衝撃的な出来事でした。

 

もちろん、それは一番の例であり、岩井先生から激しく怒られたことは何度もありました。

 

でも、親父は岩井先生に匹敵、もしかしたらそれ以上に厳しかったので、耐えることは出来ました。

 

そのような厳しい教育を受けて、私は補欠で滝中学校に合格しました。

 

激しく怒られたこともありましたが、私としては岩井先生の指導があったから合格したと思っております。

 

結果的には滝中学高校でもいじめにあってしまいましたが、地元の中学は当時最悪に荒れており、私をいじめた連中もかなりのワルだったらしく、他地域にも相当なワルもいたと聞いていますので、もしそのまま地元の中学に入ったら、学校の成績はよかったかもしれませんが、もしかしたら中学で命を絶っていたかもしれません。

 

そして何より、ここで合格しなければ、今の妻には出会えず、医者としての今の人生は確実になかったと思います。

 

今私は幸せな人生を歩んでおり、人生色んな分岐点がありますが、間違いなくその中で最も大きな分岐点となりましたので、岩井先生には感謝しかありません。

 

ちなみにこの年、大志塾の滝中学の合格者数が初めて市内トップとなり、それをきっかけに急激に塾生が増え、規模がどんどん大きくなったのです。

 

私自身も中学の間も岩井先生から直接指導を受けることはなかったのですが、塾に残り、岩井先生とも度々会って話しをしました。

 

ただ、最後は少し気まずくて、当時中学のコースとして、岩井先生が以前いた希望ゼミナールの方がそれに特化したコースだったため、中学3年の時に鞍替えしたのです。

 

その一方で岩井先生の奥様が塾長を務めていたシーガルスクールという英会話の塾には行っておりましたが、その時岩井先生とばったり会って「お前!何希望ゼミナールに行ってるんだよ!」と怒鳴られたのが最後でした。

 

 

その後、大志塾はモノリスという社名に変わり、名古屋に大学受験用の塾も開校し、地元のテレビでもCMがやられるようになり、江南市内だけでなく、知名度は愛知県中に拡がりました。

 

そしてついに、2000年頃にあの「マネーの虎」に出演し、何も知らなかった私はテレビを観て「うわ!岩井先生!テレビに出とるやん!」と驚いたことはよく覚えております。

 

その当時のことを覚えている方はもしかしたらあまりいないかもしれません。

 

でも、最近令和の虎で急にブレイクし、まあ批判があったことは知っていますが、心から嬉しく思っていました。

 

 

当時の岩井先生のやり方は、ハッキリ言って今の時代ではアウトだと思いますし、もしあんなことをやったら大変なことになるでしょう。

 

これは悪い意味ではありません。

 

あの当時はあれが正当化されており、受験戦争というのはそういうものでしたから。

 

もちろん、岩井先生としては経営戦争でしたので。

 

前時代的といってしまえばそれまででしたが、その精神をそのままブレることなく、あのスタイルで今の時代でも貫き通すのは、凄いことだと思います。

 

普通ならもっと時代に合わせてキャラを変える努力をしそうなものですが、そこは変えず、多くの批判があっても貫き通したのは、本当に岩井先生らしいなあと思います。

 

少なくとも、私にとっては人生の恩師には違いありません。

 

どこまで書こうか迷いましたが、近年の姿がそのままで、それが現在批判されているということを考えると、逆にありのままに書いた方がよいと思いました。

 

奥様にも大変お世話になりましたので、奥様のことを考えると心が痛みます。

 

心からご冥福をお祈りいたします。

 

そして、私の人生を救って頂いたことを心から感謝いたします。