1年8ヶ月前に、ある高校生がテスト中に飛び降り自殺を図ったニュースがありました。
それが、ようやく「いじめ」と認定されたようです。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170803-00010287-jprime-soci
この内容、酷いと思われましたか?
であれば幸いです。
実は私も中学の3年間、今とは時代は異なるため、LINEとか動画撮影とかはない時代であり、その辺は異なるものの、これにかなり近い、いや、場合によってはもっと酷い内容のいじめを経験しました。
もし誰かが同じ経験をしたら、自ら命を絶つ人も出ていたかもしれません。
今になって思えば、それくらいの経験でした。
でも、私はなぜ生きる道を選ぶことが出来たのでしょうか。
ちょうど私がいじめに苦しんでいた1994年、同じ愛知県の西尾市で中学生が自殺したニュースがあったのをご存じの方も多いと思います。
まさにその時期だったので、自分ととても重なりました。
私が同じように自殺したら、こういう風にニュースになるんだろうなと。
ただ、あの時幼いながらに思ったのです。
しかし、私の中でふと思ったのは、家族のことでした。
あのニュースで両親が悲しんでいた姿が、私の中ではとても印象的でした。
私が通った中学は、中高一貫の私立の進学校です。
地元の公立中学は当時非常に荒れていたし、小学校時代もいじめに合っていたし、同じメンバーで中学まで一緒にいたくなかったというのもあったので、私にとっては、中学受験に合格して入学出来たのは、まさに念願でした。
そのことを、両親は誰よりも知っていました。
しかし、入ったらもっと苦しい想いをしてしまった。
私が死んだら家族は悲しむであろう。
いじめに合っていたことは、両親には言いませんでした。
もちろん、何となく両親は気づいていたかもしれませんが。
当時私が受けたいじめの内容は、誰も知りません。
妻には少しだけ話したことがありましたが、全ては話していません。
思い出したくないのです。
少しでもあの時の情景が頭をよぎると、胸が苦しくなり吐き気を催すのです。
いじめによって受けた心の傷は、一生消えないものと思います。
一つだけそれを象徴する出来事があります。
あれは確か中学2年の頃だったと思います。
私は珍しく、というかおそらく初めて、クラスメートから名古屋に遊びに誘われました。
友達がいなかった私にとって、突然の誘い、信じられなかったし、嬉しかったです。
家族以外と名古屋に行くのは初めてであり、電車に一人で乗るのも確か初めてだったと思います。
もちろん、それでも切符の買い方とか電車の乗り方くらいは知っていましたので、問題なく名古屋に行くことも出来ましたし、約束の時間5分前に待ち合わせ場所にたどり着くことが出来ました。
しかし、その後いつまで経っても、誰も現れませんでした。
あの時、確か1時間以上待ったと思います。
初めての一人の名古屋の中で。
結局、私は失意の中、帰宅することにしました。
翌日、誘った奴らに尋ねたらどうなったか。
想像に任せます。
もうこれ以上は思い出したくありません。
その後、私のいじめがエスカレートしたのは、言うまでもありません。
あれから25年くらい経ちますが、今でも、いや、まさに今日も、約束の待ち合わせをした時、ちゃんといてくれるかな、少し遅れたけど、ちゃんと待っていてくれるかな。。。
私のために待っていてくれること。
これを普通だと思える人は幸せなのでしょう。
私にとってはそれはとてもありがたいことなのです。
心の傷は一生消えません。
いじめなんて、本当にこの世からなくなって欲しいです。
しかし、不幸にもいじめに合ってしまった人は、どうしてもこれだけは伝えたいです。
それは、何が何でも「生きる選択」をして欲しいことです。
それは、いじめを経験した人達は、誰もが理解出来ることだと思います。
中学時代は、将来の夢とかそういうのは、全然イメージがわきませんでした。
しかし、高校時代、私は誰よりも大きな夢を描くことが出来ました。
なぜなら、このまま終わりたくなかったからです。
もしそこで終わったら、私の人生は何だったのだろうと。
心に負った傷は、忘れるどころか、年を重ねる毎に痛みを増してきます。
その傷を癒やすために、人一倍輝きを放とうと、努力することが出来、そして大きな夢を描くことが出来るのです。
少なくとも今の私は、いじめっ子や、苦労を知らない天才には、絶対に負けない自信があります。
見ている人の勇気になればと思い、あえて強気なことを書くなれば、自分の故郷を捨て、医者として第一線で活躍し、回りからも評価され、患者さんからも信頼され、念願の留学まで果たすことも出来たし、金銭的にも人よりは裕福な生活を送ることが出来たし、妻もいます。
今の私は未だ発展途上であり、全然満足していませんが、中学高校時代の私を知っている人で、今の私の姿を想像出来た人は、一人もいないと断言出来ますし、あの時のことを考えれば、信じられない飛躍を遂げたと思っています。
これは私だから出来たことではなく、酷いいじめを合った人が「生きる道」を選んだなら、必ず与えられる未来だと思います。
だから、いじめに合っても「生きる道」を選んで欲しい。
必ず明るい未来があるから。