毎朝のように、子どもが“学校行かない“、“疲れた“、“足痛い“などと言い出して、

なんとかかんとか、学校に連れて行っている日々が続いて。

 

子どもがまた“学校行きたくない“と言うんじゃないかと🙄

ちょっとビクビク💦している自分に気がついた。

 

もともと言葉の遅れもあるし、習慣も環境も全く違うし、

もし学校に馴染めないようなら、フリースクールに行けばいいかな…

と考えていたけれど。

 

実際、子どもの“学校行かない“という言葉に対して←ちょっとビクッとする。

自分がどうも過剰に反応しているなぁ…と感じて。

 

そういえば、自分自身が親に対して、“学校に行きたくない“と言えなかった。

言うことができなかったな…と思い出した🙄

 

中学までは、なんとなく周りに合わせて、なんとなく“調和“して、

特にはみ出ることなくやっていたけれど、高校になってから、

どうにも周りとうまく行かない、だんだんぎこちなくなってきて…

学校に行くのが嫌になった。

 

だんだん学校に行かない日数が増えてきたある日、

だいぶ思い詰めたのだろう母親が、“もう、死んじゃおうか“と言ってきて

親にも苦しい思いをさせてしまっている、申し訳なさや罪悪感にさいなまれて😰

それ以上“学校に行かない“という選択は出来なかった。

 

たぶん、“嫌でもなんでも、学校には行かなければいけないもの“

そんな思い込みが、自分の中にずっしりとあるんだと思う。

 

子どもに何とかかんとか、言い聞かせながら学校に連れて行ってるけど、

目の前にいる子どもじゃなくて、昔の自分に対して言っているような感じもする。

 

私自身、そんなに無理してまで学校に行くことはない、と思ってはいるけれど、

じゃあ実際学校に行かない、という選択を続けていたら…

基礎的な学力もなく、社会にもなじめず、

この先生きていけなくなるんじゃないのか…❓

という恐怖が底にある。

 

だからなんとかして学校行かせなきゃ、勉強させなきゃ、と焦るんだ。

 

怖さ、恐怖を感じる部分は、子どもではなく自分の問題。

 

つい子どもが子どもが…💦となってしまうけど、まずは自分だね。