数年前のこと、実家に母方の叔父達が集まった時、

不快指数とは何のことだろう?正確には分からないね…

それで叔父から、“ちょっと調べて“と言われて、ウィキペディアで調べたら、

やたら長ったらしくて、ようするに何なのか😵‍💫よく分からない…

 

“で、何なの?“と催促されても、うまく答えようがなくて、う〜ん…していたら、

“だから何なのかって聞いてるの❗️“急に高い声で怒鳴られて、

ムカッときたので、“だから、これですよ!“とアイパッドを投げだした。

 

叔父は、ウィキペディアの説明を“ん?どういうことなんだか…よく分からんなぁ…“と

ぶつぶつ言いながら読んでた。

 

この時の、叔父の怒った声、頭の上から出てくる様な、気短で、

癇癪な感じでちょっと高い声、

この感じ。これはどっかで聞いたことがある…

 

かなり経ってから、思い出した。

 

以前、母と一緒に税務署へ行った時のこと。

手続きで色々不明なところがあって、用紙も貰うついでに、

直接窓口で聞いた方が早いね、と税務署に赴き。

 

若い男性の職員さんが対応してくれたけど、

けっこう親切丁寧に説明してくれて、私は

“へ〜税務署職員って、怖そうなイメージだったけど、

思ったより感じもいいし、腰も低いんだなぁ“と、

意外な感じで聞いていた。

 

するといきなり、職員さんの話の途中で、

母親が、“だから、そう言うことを聞きたいんじゃないの❗️“

何故か急に怒り出し💢

私は訳がわからずぽかーん😮だった。

 

なんだかんだで書類ももらって、

税務署を後にしたら、母親が、

“さっきの職員さん、ずいぶん偉そうだったねー“と鼻息荒く言われて、

私には、“はぁ?全然親切だったし、腰も低かったのに…?

まぁ母にとっては、何か気に食わなかったのかもしれないな“

と、その時は思ったのだけど。

 

その時の、母が急に怒った“あの口調“、叔父さんの時と同じだ…!

そして、“あの口調“は、きっと、おじいちゃんの怒り方だったに違いない。

何故かとつぜん、ピンと来た。

そして更にそこから、色々とつながって見えてきた。

 

税務署の時の、“あの職員さん、偉そうだったね“(アンタも当然そう思ったよね?)

こんな感じのやりとりは、何回あった。

 

母とお店に寄った帰り道に、母が“あの店員さん、生意気だったね“

と言ってきて、私は“え?ぜんぜん普通だったし…むしろ感じ良いくらい

だったのに?“

毎回私の印象と違うことを言ってきて、しかも自分の感じたことは、

相手も同じに感じて当然、と言う風で言ってくるのが、解せなかった😕

 

母親だし、子どもに対しての気使いなどが、ない訳じゃないけれど、

いつも自分が中心、と言う感じで、

相手がどう感じているか、相手の思い、といったものを汲み取るような部分が

一切無い感じだった。

 

母とは趣味(美術)などの趣味が近いので、時々一緒に出かけたりもしていたけど、

じゃあ仲良し母娘?と言われると…ちょっと違う。

母との間に、何か分からないけど嫌というか、嫌悪感というか…

もやもやっとしたものが、ずーっとあった。

 

この嫌なもやもやが一体何なのか、分からないままだったけど。

親の呪縛を通して、解けてきたと同時に、いわば呪縛に凝り固まって、

生きていた母の姿も見えてきた。☜そこに“嫌悪感“を感じていたんだ…

 

母が認知症になってから、母に対する見え方が変わった。

お腹がすいたら、食卓が整う前から、さっさと自分だけ食べだしたり、

“野菜を買わなきゃ“で頭がいっぱいになって、

スーパーに歩いて行った良いけれど、

疲れてしまって、帰りは“もう歩けない…“

行動が本当に“子ども“のようになって、まぁ自己中とも言えるけど、

あまりに欲望に忠実な分、なんか嫌な感じはしなくなった。

 

今まで本当に“嫌なババア“としか感じられなかったのに、

アレ…ちょっと可愛い?とさえ感じる時さえもあった。

 

頑な感じがぬけ、殻が取れて軽くなったように感じたのは、

背負っていた呪縛から、認知症という外因によって、

いわば力ずくで解き放たれたから、

かもしれない。

 

親の呪縛を通して少し冷静な視点で見ていると、父も母も、

ずっと呪縛の中で生きてきた人達なんだな、と思うし、

そこまで呪縛に取りつかれたままの状況だったからこそ、

共に認知症という外因で、強制的に呪縛を剥がされる…

ことになったんじゃないか、と感じている。

 

“認知症になるってことは、少しずつ子どもに戻っていくことだからね“

人にも言われたし、自分でもそれは感じていたけど、

強制的バブバブ解除!が認知症、とも言えるんじゃなかろうか。