億女大学講座“母親の呪縛&父親への復讐“。
私、一体どれだけ親の呪いにかかってるんだろう?
ドキドキしながら聞き始め…
とりあえず一回、まず聞き流してみて、終わったら、なんだかぼ〜っ🫥
しばらく時間が経ってから、あれ?そういえば…?
いろんなことが思い出されてきた。
両親と一緒に暮らしていたころは、自分は母親似だと思ってた。
実際“お母さんにそっくりね“とよく言われてたし、
顔はもちろん、髪質や体質的なところも似ていて。
母親は趣味でお茶や水墨画を習っていたのもあって、
(私も絵を描くのは好きだった)
一緒に美術館や展覧会を見に行くこともよくあった。
自分では似たもの母娘だと思ってたけど…
私が結婚して家を離れて、さらに海外に移って距離が遠くなり、
移住1年後に父親が倒れて入院、手術はしたものの寝たきり状態になって、
施設に入居。
私は年に1〜2回のペースで帰国、できるだけ長めに滞在して、
母親のサポート役に徹するようになり…お互い役割を分担しながら、
必要な手続きやら、家の修繕やら、日々の家事もこなしていたけれど、
何か、なんか超ストレスが溜まるんですけど😡なんで??
長く離れて暮らすようになって、初めて気づいたけれど、
どうもこの人(母親)の性格は、全然わたしと違くない?
さらに家事のあれこれにも、母親自身のやり方、こだわりがあって
(それは私も把握していて、母親流にやっていたつもりだったのだけど…
離れる時間が長くなって、母親流のつもりが自分流になってたんだと思う)
それをいちいち指摘されるから、またムカつくし💢
テレビ番組で見た健康情報、実践するのはいいけれど、
“玉ねぎは血液サラサラにするから、あんたも食べなさい“
毎回毎回玉ねぎスライスを食べさせられる…のも閉口😂
そしてストレスだったのは、母親が相手の気持ちを汲む、読み取る
といくのがほぼ皆無なこと。逆に当時の私は、相手の気持ちや空気を、
めっちゃ読んでいたから、“も〜なんて気を使わないんだろ!
そんなこと言ったら相手に失礼じゃん!“
余計に気を回して疲れてた😓
最後に母親と一緒に過ごした一年前の夏、
認知症状と軽い麻痺も出ていた母親を見るのって、
言うこときかない幼児を見るのとかわらなくて、
目は離せないわ、理屈は通じないわで、もちろん大変💦ではあったけど、
以前に感じていたストレスとは何かが違う…?
私からしたら、自分が王様👑自分がルール!みたいに見えていた母親だけど、
例えば服を選ぶとき、年寄りだから、地味な色にしなきゃいけない、とか、
え?別に好きな色を選べばいいのに、なんでそんなに決めつけるんだろう?
というような場面がよくあった。
両親ともに浪費するとか、自分のために贅沢をするとか、全く無縁。
苦労、辛抱、勤勉、節約、謙遜、しっかり貯金。
食べ物も、物も大事にして、粗末にしない。ザ・昭和世代。
父親がなくなってからは、1人で全てやらなければ、と必死に
背負い込んでいるように見えていた母親が、認知症になってからは、
“必死な、頑な“感じが抜けて、なんかゆる〜くなった。
「もう昔みたいに話をすることは出来ないのかな…」という寂しさもあったけど、
なんか吹っ切れた感じのする母親を見ていると、
「軽くなって、すこし楽になったのかもしれない」という感じが、今はしている。
こうして自分の親について振り返ってみていると、
まさに自分を、鏡に写して見ているかのようで…ひょえぇ〜😨
さやちゃんが言ってた、
“自分の過去を迎えに行く。自分のかけらを拾いながら、
過去へとさらに辿っていく“
親との過去を辿りながら、
親を通して自分を見ていることに気づき。
あの時自分はこう思ったんだ、こう感じていたんだ…
それらを今、あらためて振り返ってみると、
その当時とは違った景色が見えてくる。
これって、ひたすら自分の中を探っていくだけだから、
誰かのせいにもならないし、あの出来事のせいでもない。
過去の自分をいろんな角度から眺めて、自分を知っていく。
自分の中を見ていく作業、そこには比較も上下もジャッジもなく。
ひたすら自分の感覚に集中して…頭の出番は全くなし!
これって、案外おもしろい😌