36年たって、状況は悪くなってる?TOP GUN2を見て思うこと。 | 昆布ジャム YokotaNoo konbu ( Peace@table)

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(一社)日本昆布協会 2015年度昆布大使山中陽子が北海道のおいしい昆布で昆布のジャムを作りました。

夫とマック食べてTOP GUN2を見に行きました。


友達に見る前から青春、見る前から若返ってるね、などといわれました。
まさに、私たちの80年代はバブルと青春の真っ只中、TOPGUNもそのころの作品でした。

で、今回は、別の友達が一作目とそれを見た当時のことを思い出して大号泣だった、と、言ったので、じゃあ見てみようか、と思ったのですが、実は私、一作目のTOPGUNの記憶がないのです。
大号泣の友人はこの映画が大好きで映画館で10回以上見た、という人ですから、彼女の感動にもらい感動したかな、と思いましたがちょっと見たくなりました。

私の記憶では、当時の男友達が「あれは大画面で飛行機見る映画」といったので、トム・クルーズにも、戦闘機にもほぼ思い入れのなかった私は封切り当時には見てなかったような気がします。
有名な映画なので、この36年の間テレビのなんとかロードショーとかで何度も放送されてるし、何となく見た気持ちになってましたが、しっかり気合いをいれて、ちゃんと見たことはなかったということに気づきました。友人によると一作目と2作目の時の流れによる変化が大きなポイントだと聞いたので、とりあえず、一作目を夫と夫のコレクションのDVDで復習しました。
・・・あーこんな話だったわねー、ほんとになんというか中身はないね、ははは。
みたいな話をして、
でも、やっぱり二十歳だったらぐっ♥ときちゃうかしら?
などと思いました。
(ちなみに私は最初「TOPGUN」と、「愛と青春の旅立ち」をごっちゃにしていて、夫に、全然違うよ、あれはリチャード・ギアだし、とか、突っ込まれました。それでもってあの曲!ベルリンの大ヒット曲take my breath awayを、これ、「ボディーガード」の主題歌じゃなかったっけ?とかとんちんかんなことを一瞬思ってしまいました。それは、はぁんだーーああーあいおーうぇいずらびゅぅーーー、よね)

さて(ここからネタバレ含みます)、そのTOPGUN2 ですが、一作目と同様にオレンジの太陽に浮かび上がる戦闘機のシルエットの美しさ、それを支えるメカニックの人たちの働きのかっこよさ!
さすがハリウッド映画。
のっけから航空母艦の甲板から飛行機を発着させる人たちのハンドサインにしびれてしまいます。
スクリーンに写るトム・クルーズの若さに驚き、時を経たアイスマン役のヴィル・キルマーに泣き、若い人たちの青春の輝きが眩しい。
人間関係も複雑になって前作よりは幾分深まったドラマとなっていました。

が、ストーリーとして、私はちょっと居心地が悪くて、途中でこの映画、大丈夫?と心配になりました。

なにしろ、トムがベスト オブ ベストパイロットの訓練機関TOPGUNに呼ばれたのは、若きエリートたちが、ある特殊な任務につく訓練を指導するためでした。
それが、国境を越えてウラン濃縮施設を破壊するという任務。ならずもの国家をやっつけろ!って、宣戦布告もないのにいいの?ならず者国家ってどことは言わないけど、あの国よね、と、ドキドキしてきました。

さすがに戦闘機操縦中のあれこれ、次々起こる危機やら、ミサイルやらを潜り抜けての空中戦やら手に汗握って思わずアドレナリン大放出で見入ってしまいましたが、時々、これ、勝手に国境越えたよね、勝手に爆破だよね、と変なことが気になってどこか夢中になりきれません。
だって、海から侵入して険しい峡谷があって、最後に出てくる今はなきF14戦闘機が現存してる国って、あそこしかないじゃないのー!!

どことは言わないけど。
(映画の中でも具体的な国名は出てきません)

思えば、36年前はまだソビエト連邦が存在している冷戦時代で、映画のなかでも敵の戦闘機はミグということでした。
それが、戦闘機はさらに進化して無人機や第5世代といわれる新鋭機が飛び交い、今やパイロットは要らなくなるという。そこをやはり人間でなくては、という、ある意味人間礼賛の舞台はならず者国家の核濃縮施設の爆破、です。限界に挑戦する、訓練です。

36年たったのにまだ戦争しててしかも事態はより深刻化、より先鋭化してて、映画の外の現実の世界では本当の戦争が起こっている、という・・・。

映画は、まあ、おもしろかった。なんだかまたみたくなる、ような気もする。
でも、本当にそれでいいのか?
こういう娯楽大作をあれこれ論じるのは野暮というものかもしれない。
けれども、なんだか、やっぱり、あー面白かった!とか、トム・クルーズ若い!とか言って、もういちどみたいー!とだけ言っててはいけないのではないだろうか?と、ふと思った、ということは書いておこうと思いました。言い訳ですが。

アメリカ合衆国でない、いろんな国があって、いろんな人がいるのだけど、アメリカと同様に自由と民主主義の価値を重んじ、他国を暴力で侵略しようとは思わない国は、違う価値観の国の暴力や謀略にたいしてどう対処すればいいのでしょう?

暴力にはやはりさらに強大な暴力で抑えるしかないのかしら?
戦争を終わらせるための戦争、がずっと続いていますね。

色んなものを爆破して、瓦礫の山にしてしまうのも気になりました。ミサイルどんどんぶっぱなして周囲の環境を破壊してました。
こっちが勝つということは相手が死ぬということだし、地球は穴ぼこだらけになるし、
本当に、人が死なないから無人の戦闘機ならいいんじゃね?とか、そういう考え方はやめてくれないかな。

戦闘機乗りが時代遅れというよりも、
戦争なんか時代遅れだ!

と思ったのでした。

なんだか、TOPGUNファンの人、不愉快になったかもしれない。ごめんなさい。
映画は、本当に、不思議ともう一度みたい、と、正直思うのです。
でも、気になるのも本当のところだったんです。
最後の、青空に飛び立った古い戦闘機が、空に吸い込まれていくように飛んでいく、のどかな風情にホッとしながら、人間はこんなに素晴らしい機械を作ったのに、何でそこに銃をくっつけたのか、と、人間の頭の回り具合に悲しくなりました。
思えばプロメテウスが神から火を盗んでしまったときから、人間はこのような時を迎えるように進んできたのかもしれません。
でも、このまま自滅して滅んでいくのは悲しいと思いました。
どうにかうまく、知恵を集めて、次の世代のトム・クルーズ、次の次の世代のトム・クルーズたちは戦闘機でない飛行機で楽しく大空を飛んでほしいと思いました。