始まってしまえば国民は夢中になる。
という読みが当たったかのような連日のオリンピック報道ラッシュ、メダルラッシュに沸く日本ですが、先日、赤旗新聞日曜版にラグビー元日本代表の平尾剛さんの面白い記事が載りました。
スポーツウォッシングなる言葉はこの記事で初めて知ったのですが、古くはローマ帝国のパンとサーカスではないけど、なにか見世物やイベントで国民の目を引き付けて夢中にして政権批判の目をそらす、あるいはたまってきた不満のガスを抜くというのは古来行われてきたことなのでしょう。
そして、今、21世紀の日本でも堂々と通用してる政治手法のようです。
こんな正直な方もいるくらいです。
全くヤレヤレです。
それにしてもこの連日の報道体制はなんなんでしょう?
今報道すべきことはオリンピックだけ?
日本のメダル数が過去最多?!
オリンピックの是非はおいとくとしても、せっかく開催された世界中から選手が集まるイベントでなぜこうも日本のことばかり?と、不思議でなりません。
日本すごい!って言いたい人達が取り仕切ってるからでしょうか?
日本すごい!って放送すれば、日本人がやんやと盛り上がって政権批判を忘れるという目論みでしょうか?
今回のオリンピックはもともと安全でも公平でもない、危険でアンフェアである、ということは6月にJOCを退任された山口香さんが言っています。
この日本人でも耐え難い近年の8月の気候、コロナ禍渦巻く東京の環境下で、十分な調整もとれず、人員も制限されるなかで競技をすることになる海外選手達に対して、日本の選手達は日本で長く練習できている、というだけでホームの優位性が著しいわけです。
私はこんな状況で日本スゴイスゴイって言ってもナー、と、ちょっとしらけるというか、自分より、不利な人達の中で勝って平気でいられるってのもすごいなー、それでもやっぱりメダルはメダルなのかなー、っていう感じです。
せっかくみんな大変な中で集まってくれたいろんな国の選手達のこととか、いろんなドラマもあると思うのです。
難民選手団もしかり、たった1人で行進したソマリアの選手もしかり、オリンピックはなんのため?世界の平和と差別の撤廃、多様性を認め合い新たな価値観の創出・・・。そのようなものをスポーツを通して啓蒙するのが目的だったのでは?
綺麗事を言ってつまらないなら、オリンピックという名前をやめて、大きなスポーツ競技会、メダルレースを全面に押し出した競技会のようなものにすればいいと思います。
オリンピックと名乗るからには、それだけの大会であってほしいと思います。
かつて、近代オリンピックの父クーベルタンは「オリンピックで重要なことは、勝つことではなく参加することである」と言いましたが、これには続きがあって、「人生で重要なことは、勝利することではなく闘うことである。その本質は打ち克つことではなく、よく闘ったことにある」と言っています。
アスリート達はみんな良く戦っています。
競技はもちろん、どんな環境でも練習を続けたことや、人種やジェンダー、いろんな困難を乗り越えてここに集っているわけです。
そういうのをもっと報道すればいいのに。
メダルの数の国別競争はもっとずーーーッと小さい扱いでいいのではないかと思います。
こんなメダルの数で踊らされるほど日本人はバカではありま・・・?!