昭和人・滝沢光啄ブログ、雑感、掌編小説

昭和人・滝沢光啄ブログ、雑感、掌編小説

大正生まれの両親を持ち、明治生まれの祖父母に育てられた『団塊の世代』です。、昭和の最後あたりに生まれの長男とお嫁さん、平成生まれの孫と令和生まれの女の子孫、6人家族。70歳を超えて理解できた事を「小説」に、日々の諸事を「雑感」で綴っています
(登場人物・仮名)

昨今『多様性』という3字が満ち溢れている世の中で過去の全てを否定するような風潮を憂えているのは自分だけだろうか?

 『生物はその形態のみならず、生理、行動、生態にわたり著しく多様であり、しかもそれぞれの生物はその生活環境にうまく適応して生きているかにみえる。この多様性と適応性を、地球上で生物が誕生して以来、長い時間経過のなかで変化・展開してきた過程として説明する試みを、広い意味で進化論あるいは進化理論』と言うらしいが、この『多様性』を拡大解釈すると「人間」「人」を考える前に、「私は人間の前に哺乳類だ。哺乳類から進化したという『ダーウィンの進化論』の解釈のうえにたつ人が出現する可能性があると危惧しています。

 

 弱肉強食の論理、適者生存、自然淘汰の論理を他者に公然と認めさせ、その根拠にダーウィンの進化論と個人の権利を掲げる人々が蔓延する可能性だ。

 

 私が近くに公園で読書をする習慣があるが、月曜日の朝になると公園の憩いのベンチの周辺には土、日曜日にベンチに座って近くのコンビニや飲食店のロゴの入った袋、やレジ袋が散乱しているのを目にする。

 これも『個人の権利だ!』と主張されると、言い返す気力も萎えてくる。
 

 先日だった。ベンチの前のまだ芽も葉っぱもでていない木々の間に奇妙なプラスチックが捨ててあった。

 毎週月曜日はベンチ周辺のゴミを回収する日課にしていた。いつも読書の時間を与えて感謝している込めて・・・

 捨てられたプラスチックの容器をカネバサミで拾い上げて、書かれた文字を見てギョッとした。

 肌に触れて○○のある時は使用しないで下さいの注意書きと入口の変形した形から男性用のマスターべ―ションの用具だとっ直観的に判った。

 そのままゴミ袋に入れて燃えるゴミで処理してもらった。

 が『人の汚物を、排せつ物を処理したような気持』が何時前でも残った。

 もしかしたら、私がはやとちりして理解した物とは違うかもしれないが・・・・

 私は使用する人、綺麗に清掃する人は他の人という風潮がこのまま助長してゆく社会を考えて暗い気分になってしまった。

 これまで長い間、培ったきた「人と人とのつながり」「絆」「恩返し」と言った言葉が風化して言っているような気分になってきた。

 道徳も人と人のの繋がりも消滅しつつあるの感じています。