その後姉と母、私の3人の生活が始まりました。

 

新しい地での生活がスタートしたので、私も新しい仕事に付く傍ら、姉の新しい病院を探しました。

 

姉の症状は移住して間もない頃はあまり良くなかったので、半年ほど入院することになりました。

 

その後紆余曲折ありましたが、退院後デイケアに通ったり、就労継続支援A型に通い、生活リズムを整えつつ、就労への準備を着々と進められるようになってきました。

 

都会の生活の頃の陰鬱な雰囲気が少しずつ和らいでいき、自分から話をしてきたり、家事を自分から手伝ったり、だんだん積極性も見えるようになってきました。

 

その後は正規雇用ではなく、一般のアルバイトや、ハローワークの障害者雇用枠の仕事を応募しました。

接客業や簡単な事務職の仕事についていました。長い所で3年ほど続いた所がありますが、だいたい1年ほどで辞めることが多かったです。なかなか1つの場所で長続きせず、早ければ1日で辞めたこともあり、転々としました。

 

仕事自体は何とかできるようですが、いつも人間関係がうまくいかず、少し関係がこじれると必要以上に不安になり、被害妄想などがあるようでした。

 

仕事の人間関係の問題があるたび、私たち家族に相談し、私たちも根気強く相談に乗りました。

姉はどうも意識が自身に向きすぎており、職場の人に話しかけるのですが、話しかける相手の状況などを考えず、自分の話ばかりしてしまう傾向があります。私たち家族にもそうです。

相手が少しでも拒否反応があると、その事態を重く受け止め、なぜ自分は分かってもらえないのか、なぜ自分に意地悪するのか、というような思考だと思います。自意識過剰のより強い形でしょうか。

母とも意見の食い違いなどでよく衝突します。

 

故になかなか親しい友人関係ができず、休日も基本的に家で一人で過ごすことが多いです。

何か他者と楽しめる趣味のサークルなどに入ったらいいという事も提案しましたが、なかなか行動に移せないようです。

 

現在は、今年務めていた会社を辞め、就労移行支援施設に通い、就労の準備をしている所です。

 

という事で、なかなか仕事が長続きせず、家族とも度々衝突し、将来大丈夫だろうかという漠然な不安は、やはりあります。

しかし、発症して間もない頃から一緒に暮らしていた立場からすると、当初と比べるとだいぶ回復したと思います。

人間関係で衝突しやすく、周りの気持ちを読み取りにくい所はあります。

 

しかしそもそも統合失調症は、自分の考えと、他人の考えの境界があいまいになり、情報が統合しにくい病気です。

症状の重さは人それぞれですが、もし私の考えている事、相手の考えている事が混じってしまったら。

考えをまとめることが難しかったら、想像するだけでもかなり生きずらいでしょう。

 

そういった大きな生きずらさを抱えながらも、懸命に生きようとしています。

 

私も姉の言動や行動に腹がたったりしたことは何度もありました。

しかし病気の知識が身についたおかげで、この行動は、たぶん病気からくるものなんだから仕方ないとか、そういった考えもできるようになりました。

しかし、姉の性格からくるものなのか、病気からくるものなのか、境界線はあいまいで、分からないこともたくさんあります。

私も、姉の事を全ては分からないですし、それは他の人に関しても一緒です。

 

これからも、姉のペースを大切に、地域のサポートもうまく利用しながら、長い目で付き合っていきたいと思います。

 

同じように、家族に精神障害者がいる人は、どのように考えながら生活しているのでしょうか。

近くの家族会にも参加したことがありましたが、だいたい50代か60代くらいの人が多く、なかなか同年代の知り合いはいません。

30代~40代の方で、同じような境遇の人と話してみたい今日この頃です。

 

 

 

 

 

 

 

姉と都会で共同生活が始まりました。

 

私は初めての都会でのアパート暮らしで、見る物全てが新鮮で、刺激的で、田舎生活では出会わなかった色々なタイプの人間と出会い、毎日世界が広がっていくような充実した気分で生活をしていました。

中学高校と根暗でコミュ障で友人も少なかった私ですが、この頃は新しい友人や彼女を家に招いて過ごすことも結構ありました。

 

姉はその頃大学生で、アルバイトをしながら生活をしていました。

 

食事は、簡単な食事を作り、一緒に食べることもありましたが、きっちりした取り決めはなく、気が向いたら一緒に食べる程度でした。

お互い自分の生活で精いっぱいで(少なくとも私は)互いの生活に深く干渉したりすることはあまりありませんでした。

なので、2人暮らしというよりは、一人暮らしに近い感覚です。

家賃、食費等に関してはしっかり折半になるよう計算し、支払いが滞ることはありませんでした。

 

ある日、私が帰宅し、他県の友人がお土産でくれたお酒を冷蔵庫に保存していたので、飲もうとしたところ、知らぬ間に無くなっている事に気が付きました。

飲むのは姉しかいなかったので、姉に問い詰めたところ、飲んだことを認めました。

しかし、「ちょっとくらいいいだろ、けちくさいな」などと逆切れされました。

私がその辺のお店で買ってきたものならともかく、友人の地元でしか買えないものをわざわざ買ってきてもらっていたので、逆切れされた事にたいしてこちらも激怒しました。(冷蔵庫に安易に置いておく私も悪いと今では思います。それ以降も、つい最近も、私の部屋にあるお酒を勝手に飲んで騒動を起こした事があります。)

 

私が怒りにまかせて強く批判し終えたところ、姉からはこんな言葉を言われました。

 

「タケゾウが、友達と楽しそうにしてる事が羨ましかった。私にはそんな友達がいない。」

 

そんなことを言われるとは思ってもいませんでした。まるで拗ねた子供の様に言われたので呆れる気持ちもありましたが、考えてみれば姉が友達を連れてきた事なんて1度くらいしかなく、基本的に家に一人で居るのでした。

 

次の日仕事が終わり帰宅すると、薄暗い居間の中で姉が深刻な顔をして、椅子に座ってじっと待っているのでした。

「タケゾウのような乱暴な人と一緒に暮らしたくない。離れて暮らしたい。」

と言われました。昨日の事が、私が思っている以上に姉はダメージを受けており、離れて暮らしたいと思うほどだとは思っていなかったので驚きました。

しかし特に暴力を振るったわけでもなく、元はと言えば姉が勝手にお酒を飲んだことから始まり、そのことに対してしか怒っていなかったので私は釈然とはしませんでしたが、その場は何とか説得し、共同生活は続きました。

 

正直、姉は傷つきやすいし、理に合わないことを言って逆切れはするし、大丈夫かなと不安が芽生えました。

しかし思えばこの出来事が起きたあたりから、姉の調子が少しずつ悪い方向に進んでいったようにも思えます。

この出来事は、病気のサインであったのかもしれません。

 

私は相変わらず自分の仕事や遊びに夢中になっており、姉の生活はあまり干渉しませんでしたが、どうも姉が、ずっと家に引きこもっているのではないかと思えてきました。

大学やアルバイトに出かけている様子が見えなくなってきたし、たまに部屋に呼びに行くと、布団に包まって姿が見えない状態で過ごしていることもありました。口数はとても少なくなり、私が話しかけても、一言くらいですぐ終わってしまうのです。顔つきがだんだん暗く険しくなってきました。

中学生までの頃のような、陽気で鬱陶しいくらいうるさかった姉の面影はありませんでした。

 

病院に診察に行く転機を作ったのは母でした。

母が久しぶりに私たち姉弟の様子を見に来た時、姉の変わった様子に気が付いた母が、精神科のある病院に行った方がいいと言いました。

私の母と父は既に離婚していたのですが、母は田舎での父や姑との関係で心が疲れ果て、うつ病になっていた時期もありました。

 

なので、母親の子を思う母性と、自身が病気になった経験もあり、すぐ病気なのではないかと悟ったのではないかと思います。

 

一方で、私は自分の事ばかりで姉の事をちゃんと心配しようとせず、病気なんじゃないかと疑うこともしなかった、鈍感で情がない愚か者だと、後になって後悔しました。

当時精神疾患についての知識をほぼ持っていませんでしたが、そんな事は言い訳です。もっと早く病院で診察を受けさせていれば、もう少し予後が変わっていたのではないか、そう考えがよぎる事があります。

しかし、あの時こうしていれば良かったと悔やんでも何も変わりません。

親が自分の子供の育て方によって、病気になってしまったんじゃないかと悔やむのと同じように。

多くの統合失調症の説明に書いてありますが、親の育て方、生活環境が病気の原因と断定することはできず、発症の原因は未だはっきり解明されていないと言われています。

 

病院へ母と私は付添い、診察してもらいました。

統合失調症と診断されました。

 

私は初めて聞く病名を聞いて驚きました。何の知識もなかったので、その後本やインターネットで調べたり、同じような家族が集う家族会などにも出席し、勉強しました。

 

本などに書いてある症状と、姉の行動が、全てではありませんが色々と当てはまっている部分がありました。

今までおかしいと思っていた行動が、病気が原因で引き起こされたものだったのかと、腑に落ちました。

 

その後姉は通院することになりました。それからは私も姉の病気に対して理解しようと思い、姉の体調や生活について気を配りました。

 

しかし姉の症状は日に日に悪くなっていくようでした。

大学やアルバイトは完全に行かなくなり、ずっと部屋に籠っているような生活でした。

部屋の壁には、メモやノートの切れ端に文字の書かれた紙がたくさん貼ってありました。文字はくねくねして弱弱しい文字でした。

後に映画「ビューティフルマインド」で見たような部屋と、あそこまでではないですが似ていました。

 

布団に、まるでカタツムリのように包まって、何か独り言をぶつぶつ言っている姉の姿を見ると、何とも切ない気持ちになりました。

 

病院にも極力付き添うようになりました。私も仕事が忙しく、日中の様子を見ることができないので、姉が病院に一人で行けてない時もありましたし、初めは服薬もしたりしなかったりまばらな時期もあったため、通院と服薬をしっかり続けることを、姉にも何度も言いました。押しつけがましく、高圧的にならないよう気を付けながら。

 

通院に付き添っている時に感じたのは、姉の歩き方が、ふらふらしたような不安定な歩き方だった事。口や目の動きが、ちょっと痺れたような不規則な動きをしたり、急に一点を睨んだりしました。そして何か聞き取れないくらいの独り言を言いながら歩くのです。

会話をしても、どこか論点がかみ合わないし、姉からはほとんど話しかける事はありませんでした。

 

そのような生活が続き、私も姉とこのまま2人だけで暮らしていていいのかと思い始めました。

自分一人で今の状態の姉をサポートするのには限界を感じ、母のいる地で家族そろって暮らした方が良いという結論になり、姉との2人生活は終わりを迎えました。

 

姉が発症したのは20代前半の頃です。

 

それまでの姉の事を簡単に説明します。

 

姉とはつ3歳が離れており、両親と姉、私の4人で暮らしておりました。

 

幼少期の姉は活発な性格で、口数も多く、小学校、中学校ともに問題なく登校していました。

 

弟である私とはしばしば衝突していました。寝ている所を急に布団をめくられ起こされたり、一緒に対戦系ゲームをして、姉が負けた時にブチ切れられて殴られたり、部屋が薄扉隔てた隣なのに大音量のBGMで大声で歌うという事が日常茶判事というような生活でした。

私もただやられていたという事ではなくやり返してはいましたが、口下手の私は、よく回る姉の舌から放たれる、人を馬鹿にした横暴な言葉にはなかなか言い返す事ができず、歯がゆい思いをしていました。

 

今冷静に書き出してみれば、思春期の子供の、よくあるかもしれない自己中心的な行動に振り回されていたわけですが、当時の私としては本当に嫌で、姉を鬱陶しく思っていたことを覚えています。

 

中学を卒業し、姉は遠方の高校に入学しました。高校に入学してからの姉は、中学時代の破天荒さや、鬱陶しさは少し、いや結構影を潜めていったように思います。私も積極的に関わろうとはしませんでした。なので不思議なほどに、高校時代の姉の様子を深く思い出すことができません。

 

私の両親は夫婦仲が悪く、私が物心ついたころには、両親が仲良く会話をしている記憶はありません。

目に見えるDVはありませんでしたが、とくに母の父に対しての嫌悪感は相当強く、父の姿を見ることすら拒否反応がでていました。

父が部屋を横切るたび、悲鳴のような声をあげ、見てはいけないものでもあるかのように目をそらすのです。

子供ながら、そういった母の反応をみるのは辛かったですし、このような夫婦の関わりが普通でないことも感じていました。

私が中学生の頃にはほぼ別居に近い状態でした。元々の家には母と姉と私で暮らしており、父は近くの叔母の家に主に過ごすことになりました。母とは必然的によく関わりましたが、父とはあまり話す機会がなく、父もどこか無関心な感じでした。

なので、ほとんど母子家庭に近い状態で生活していました。

 

そんな家庭での生活も子供ながら嫌だったのもありますが、私は中学を卒業し、遠方の高校へ下宿して通ったので、そこからは実家を離れる事になりました。なのでしばらくは、姉とも両親とも疎遠な生活を送ります。

 

高校を卒業する時になっても、特にこれといった目標が見いだせなかった私は、都会に住む姉と一緒に住むことになるのです。

今思い返してみても、なぜ仲の悪かった姉と一緒に住もうと思ったのか、私自身が理解できていない部分があります。

私が育った場所がとてつもない田舎で、都会への憧れが強かったこと

年月が経ち、姉の破天荒で傍若無人な性格も影を潜めたこと

2人で暮らせば少し生活費が節約できること

など、当時は本当に軽い気持ちで決めたことでした。

しかし今になっては、一緒に暮らしていなければ姉の病気の発見も遅くなっていたかもしれないので、奇妙な運命の巡り会わせのようにも感じてしまうのです。

 

それからの生活については、また次回書こうと思います。

はじめまして、takezooと申しますおねがい

 

姉が統合失調症です。

このようなブログサービスを利用するのは初めてで、初めは抵抗がありましたが、最近私生活も自由な時間が増え、色々と思うことが増えてきたので始めました。

 

姉は20代で発症し、30代半ばの現在も、服薬を続けながら就労移行支援施設に通っています。

 

障害者本人のブログや、親が書いたブログは見かけましたが、障害者の姉弟のブログってなかなか見つからなかったので、姉弟の立場から、日々の生活の事、困ったことなど、なかなか周りに同じ境遇の知り合いがいないので、自分の経験を、書ける範囲で書いていけたらと思っていますグラサン

 

よろしくお願いしますビックリマーク