私は、呑気に見えますが結構理屈ぽいとこがあります。1度気になったこと、納得がいくまで100%分かるまで諦められない。矛盾が完全になくなるまで追求したいと思ってしまいます。
人の言うことも疑うけど、一番疑っているのは自分自身です。自分の認識は正しいのか?本当にそれであってるのか?
1度納得しても、時間が経てばまた自然と疑いの気持ちが出てきて「ほんとかな?ほんとかな?」とキリがありません。
頭が良ければ隅々まで筋を通して結論を出せるのかもしれない。
でも私は頭が悪いです。高校以降の勉強はほとんど理解できないというバカさです。
だから湧いてくる疑いに対する決定的なコレッというのを出せません。出せたとしても精度が低く、また時間が経つと「でも違くない?」となります。
うーん
こだわりなのかな…。
何でもかんでも疑念には思わないけど、一度固執したものには異常な理屈屋になってしまいます。
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そんな時私は気づきました。
理屈を考えてるとき、生活能力が低下してる!
何も考えていない時は、普通に家事して、着替えて、どこかに出かけて、普通に生活ができます。
でも理屈を捏ね回してる時、私の行動は停止してる。さっきも風呂場ですっぽんぽんで髪の毛びしょびしょのまま「〇〇は本当に❌❌なのかな?もしかしたら✳️✳️という説の方が有力なんじゃないかな?でもまだ納得いかないんだよなぁ…」などと理屈を考えてました。
理屈をこくと時間が無駄になる。
理屈よりも、大事なのは髪を乾かして服を着ることなのに、理屈を捏ね回してるあいだは忘れちゃう。
何事もバランスが大事だから、理屈と生活のバランスを大切にしたいと思います。