竹内正浩
こんにちは。竹内正浩です。

※取材・執筆依頼、旧知の方など、竹内正浩に連絡をとりたい方は、お手数ですが、twitterアカウント(http://twitter.com/takeuchmasahiro)までご一報ください。
竹内正浩は、20年近くJTBの出版部門に勤務して取材や編集に携わってきました。
現在はフリーランスの立場で、精力的に取材や執筆、編集業務をおこなっています。

竹内正浩の主な著書
『地図と愉しむ東京歴史散歩 地形篇』(中央公論新社・2013)
『地図と愉しむ東京歴史散歩 都心の謎篇』(中央公論新社・2012)
『地図と愉しむ東京歴史散歩』(中央公論新社・2011)
『地図で読み解く日本の戦争』(筑摩書房・2013)
『明治・大正・昭和 東京時空散歩』(洋泉社・2013)
『空から見える東京の道と街づくり』(実業之日本社・2013)
『江戸・東京の「謎」を歩く』(祥伝社・2011)
『鉄道と日本軍』(筑摩書房・2010)
『地図で読み解く戦国合戦の真実』(小和田哲男名誉教授が監修されていますが、主要本文すべてを竹内が執筆・小学館・2009)
『地図だけが知っている日本100年の変貌』(小学館・2009)
『日本の珍地名』(文藝春秋・2009)
『家系図で読みとく戦国名将物語』(講談社・2009)
『地図もウソをつく』(文藝春秋・2008)
『戦争遺産探訪』(文藝春秋・2007)
『軍事遺産を歩く』(筑摩書房・2006)
『世界まるごと謎解き地図』(「みんなの地理学研究会」名義ですが全ページ執筆・講談社・2006)
『黄金世代の旅行術』(文春ネスコ・2004)

メインライターとして執筆
『全国鉄道絶景パノラマ地図帳』(集英社・2010)
『週刊 真説・歴史の道』(小学館・2010)
『週刊 古社名刹巡拝の旅』(集英社・2009)
『週刊 新説・戦乱の日本史』(小学館・2008)
『週刊 古寺を巡る』(小学館・2007)
『週刊 名作写真館』(小学館・2006)







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読売新聞(全国版)「本よみうり堂」の「著者来店」に登場しました。

読売新聞(全国版)「本よみうり堂」の「著者来店」というコーナーに登場しました。以下のURLから記事を読むことができます。☞「『地図と愉しむ東京歴史散歩 地形篇』 竹内正浩さん」http://www.yomiuri.co.jp/book/raiten/20131010-OYT8T00801.htm

拙著『地図で読み解く日本の戦争』が発売

新刊『地図で読み解く日本の戦争』(ちくま新書)が発売になっております。地図発展の歴史から見た「国家」と「戦争」について論述した通史的読物。具体的エピソード満載の一冊です。$竹内正浩

読売新聞読書欄「本よみうり堂」の「著者来店」に登場

今日(10/6)発行の読売新聞読書欄「本よみうり堂」の「著者来店」という記事に、『地図と愉しむ東京歴史散歩 地形篇』著者として登場しております。 $竹内正浩

『地図と愉しむ東京歴史散歩 地形篇』 が、三省堂書店神保町本店で4位。


拙著『地図と愉しむ東京歴史散歩 地形篇』 が、三省堂書店神保町本店で4位。
相変わらず好調を維持しているようで、嬉しいかぎり。$竹内正浩

『地図と愉しむ東京歴史散歩 地形篇』発売

『地図と愉しむ東京歴史散歩』シリーズ3作目となる
『地図と愉しむ東京歴史散歩 地形篇』が発売されています。
おかげさまで、これまでで最高の売れ行きとなっております。
ぜひ、書店の店頭で手に取って実物をご覧ください。

折原一さん関連まとめ

ツイッターの最近の折原一さん関連をまとめてみました。

ミステリ作家の折原一さんは、もといた会社の先輩。入社早々右も左もわからない私に辛抱強く接してくださった。素寒貧の私に博品館の上のレストランでフランス料理をご馳走してくれたのも折原さんだ。これには事情もあったのだが。ただただ感謝!

つづき。折原さんの9月28日の日記。☞「昔、昔、『旅』編集部にいた頃の同僚から新刊が送られてくる。
http://homepage3.nifty.com/orihara1/diary.html

北村薫の代表作のひとつ、『覆面作家』シリーズの主人公「新妻千秋」は、折原一さんが副編集長だった頃の「旅」編集部に在籍していた「新妻○○」さんと「××千秋」さんを合成した名前(たぶん)。当時の奥付には2人の名前が並んでいる。折原一さんから贈られた「旅」でも見たのだろうか。

ご本人も公表しているから構わないと思いますが、折原さんの本名は折原一です。ただし、名前は「いち」ではなく、「はじめ」です。

『地図と愉しむ東京歴史散歩』発売

本日あたり発売される拙著『地図と愉しむ東京歴史散歩』は、水道、墓地、公園、道路、軍など、身近でありながらあまり知られていないテーマについて執筆しました。戦前のカラーの地図も多数使用しております。

以下、エピソードのほんのいくつかかいつまんで紹介します。

村山・山口貯水池は、戦時中500キロ爆弾の直撃に耐えられるよう小河内ダムの資材を流用して堰堤強化工事に着手したが、資材不足から250キロ爆弾までしか耐弾性が保証できず、仕方なく水位を下げて対応した。

現在の荒川下流は人工水路で、かつての名称は荒川放水路。この大工事のため、東京ドーム233個分の面積が買収された。流域の大木村、平井村、小松川村、船堀村の4村が廃村になっている。

多磨墓地(多磨霊園)には広大な名誉霊域が設けられたが、結局そこに葬られたのは、東郷平八郎、山本五十六、古賀峯一の3提督(と夫人)のみに終わった。

$竹内正浩
カラー版 地図と愉しむ東京歴史散歩 (2011-09-25T00:00:00.000)/竹内 正浩

¥987
Amazon.co.jp

新刊『地図と愉しむ東京歴史散歩』

来月下旬、中央公論新社から、『カラー版 地図と愉しむ東京歴史散歩』が発売されます。

Amazonではすでに予約が始まっていて、著者本人が一番びっくりしました。詳細は追々書いていきます。

http://www.amazon.co.jp/%E3%82%AB%E3%83%A9%E3%83%BC%E7%89%88-%E5%9C%B0%E5%9B%B3%E3%81%A8%E6%84%89%E3%81%97%E3%82%80%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E6%95%A3%E6%AD%A9-2011-09-25T00-00-000-%E7%AB%B9%E5%86%85-%E6%AD%A3%E6%B5%A9/dp/4121021290/ref=sr_1_10?s=books&ie=UTF8&qid=1313692604&sr=1-10

蹴球

種目をとわず、もうスポーツの日韓戦に「宿命の対決」とか「伝統の一戦」とか空疎な枕詞は止めてほしい。あえていうが、たかがスポーツ。骨折などさせるにいたっては言語道断。韓国内で人気のないスポーツを、日韓戦で浮揚させようとするのはいいかげんやめてほしいよ。

多磨霊園

先日、所用で多磨霊園に行った。
用事を済ませ、気になるかたがたの墓参へ。多磨霊園には50万人が納骨されているというが、生々しさはまったく感じない。
青山霊園がいかにも明治の墓地という感じなのに対し、ここは昭和の墓苑である。墓地の蕃地表示がきちんとしているのもいい。
有名人の墓といえば青山霊園が有名だが、身近な有名人となると、都立霊園では多磨霊園が一番多いだろう。以下、印象に残った墓碑を挙げてみる。
三島由紀夫の墓地は、一般人の中にひっそりとあった。昭和15年に三島の父の平岡梓氏が建立したもので、「平岡家之墓」としごくあっさりとしたもの。墓誌には三島が「彰武院文鑑公威居士」とあったのに夫人は神道の「平岡瑤子刀自命」なのが不思議な気がした。ほかの人が「去世」なのに夫人だけが「帰幽」である。隣の墓は、親族らしき人が墓掃除をしていた。隣の墓に三島由紀夫が入っているとは、当然知っているだろうな。
向田邦子の墓には真新しいユリとカーネーションと、まだ墓参の人が去って間もなかっただろう、香煙がたなびいていた。脇にある本の形をした碑に「花ひらき はな香る 花こぼれ なほ薫る」と記した森繁久彌も世を去った。いろいろめぐったが、この日、線香が手向けられていたのは向田邦子だけだった。
名誉霊域という一角に葬られているのは東郷平八郎、山本五十六、古賀峯一の3人だけだ。もっと増えるはずだっただろうが、戦争に負けたため、この3人だけで終わったのである。そのなかで古賀峯一の五輪塔の質素さは尋常ではない。戦時中だから質素なのだという人がいるが、実際に訪れると明らかにおかしい。故人の遺書に、墓についても具体的に書かれていたのであろうか。
児玉源太郎の墓もある。青山墓地から改葬されたのだ。本人より、隣に立つ夫人の墓の方が少し大きかったのがおもしろかった。
多磨霊園は昭和初期に開設されたためか、昭和期の軍人も多い。阿南惟幾、杉山元といった自決した軍人も葬られている。二・二六事件で倒れた要人の多くもここに眠っている。安藤輝三の墓は昭和60年代に別の場所に移されたそうだが、それまでは同じ墓域に眠っていたのである。
私の出身地ではお骨は墓の中に撒いて土に還すが、東京では骨壺に入れて墓に納める。狭い墓のこと、いずれ骨壺スペースが飽和したらどうするのだろう。いらぬことまで考えてしまった。余談だが、東日本では火葬した遺骨はすべて骨壷に収めるが、関西では骨壷に納めるのは一部だけだ。残った骨は産業廃棄物扱いで山中に埋められているという。ほんとうだろうか。ただ、関西では拾骨が一部のみだったため、以前、関西の火葬場から出る大量の骨灰が大きな問題になったのは事実である。
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