以前にもこのタイトルでブログを書いたことがありましたが、再び書くことにしました

この地球上ではいろいろなものが循環していますね

例えば水、海の水が太陽の熱で暖められ水蒸気になりそして雨雲が生じて地上に雨が降ります

雨が植物に水を供給して植物が育っていきます

山に降った雨水が流れて行き川ができます。

動物達が水を飲んだり、人間も川から生活に必要な水を調達します。川の水はやがて海に流れ込み、再び太陽の熱で暖められて地上に雨を降らせます

花が咲いて、そしてやがて枯れてしまいますが種を落としてまた新しく芽が出ますそして成長すれば花を咲かせてやがて枯れていきます

野生の動物も人間もいつかは年老いてやがて死んでいきます。

動物の場合は他の肉食動物に食べられて寿命が来る前に死んでしまうこともあります。人間も事件や事故や災害などで平均的な寿命の年齢よりも早く亡くなる人もいます。動物も人間も個々の生体は限られた時間しか生きられませんが、子供を残すことによって別の生体が命を引き継いでいきます

虫達はたくさん生まれてたくさん死んでいきます。個々の虫の大半が他の虫や動物などに食べられたりして寿命が尽きるまで生きられるのはほんの僅かな数でしょう

野生の動物や人間に比べたら虫達の生命のサイクルは非常に短いものですが、たくさんの数が生まれることによって決して途絶える事はありません

動物や虫達には個々の名前はありません、『死』というものを認識もできていません。人間のように『死』に対して恐怖を感じることもありません。ただ生命を維持するために食べて繁殖して子を残し、死んでいきます

人間には個々の人に名前があります。虫や動物とは違い複雑な社会の中で生きて行く事を強いられます。学校で勉強をして、やがてどこかの会社に就職して、定年になるまでずっと働いて毎日疲れ果てて、僅かな給料で家計をやりくりして、気が付いたらいつの間にか歳をとっていて、やがていつかは死んでいきます

人間は虫や動物とは違い、死んだら墓石にその人の名前を刻みます。その人が生きていた事を残すために

多くの人が人生は一度きりだと思っています。死んだら全てが終り、天国も地獄も存在しないと

「一度きりの人生だから楽しまなくっちゃ」

みんな、そう思っているみたいです

確かに個々の人の人生は一度きりです

でも、動物や虫達の生命のサイクルを見ているとまるで地球上の自然の循環と同じように思えます

私はこれを『命の循環』と呼んでいます。すなわち、命も循環していて個々の虫や動物や人の死によって終わるのではなく、循環の流れに乗って再び生きる事を繰り返すのだと思います

宗教の思想にも『輪廻転生』という考え方がありますが、『命の循環』とはそれとは別に 自然の摂理によるものだと思います

人生は決して一度きりではないと思います。人生は何度も繰り返すものだと思います。人間がまた人間に生まれてくるのか?それはわかりません。生前に人をたくさん殺した人は次はハエやゴキブリに生まれてきて、人間に殺虫剤などで殺される運命を辿るかもしれません。または豚や鶏などの家畜に生まれてきて、狭くて不衛生な小屋の中で無理やり餌を食べさせれられて、最後は食肉にするために殺される運命を辿るのかも知れません

また、人間の複雑な社会に生きるのに疲れて自殺をした人は次は鳥とかあまり天敵のいない動物に生まれてきて、ただ生きるためだけに食べて寝て子供を残す人生を送るのかも知れません

夢を叶えられずに人生が終わってしまった人は次にまた別の人に生まれてきて、今度は果たせなかった夢を叶えるためにがんばるのかも知れません

虐待で幼くして命を落とした子供は今度は何事もなく普通の人生を送るのかも知れません

自殺は人間だけがする行為です。人間以外の動物や虫は生きる本能によって生きていくので自殺することもありません。また生きているのが辛いとも感じる事さえありません

人間が自殺するのは、人間がこのようなストレスに満ちた社会を作り出し、そこでいきて行く事を選んだからです。誰もが程度の差があれみんなストレスと戦いながら毎日を過ごしています。こんな世の中で自殺者が出ない方がおかしいと思います

宗教の考え方だと、自殺した人は地縛霊になってその場所にずっと留まるなどとも言われますが、そういう事は迷信で、どんな形であれ死んだ人は『命の循環』の流れに乗って再び何かに生まれて来るのだと思います

今世がうまくいかなかったら、次の人生でがんばればいいと思います。人生は何度でもあるのだから

私はあと2年程で私の今世を終わらせる予定です。いろいろとできなかった事がたくさんありますが、もう今からでは取り戻す事は不可能なんです。来世で取り戻そうと思います

私もそうですが、虐待で幼くして命を落とした子供達も来世では幸せな人生を送れる事を願います