ストーリーものを久々にやった。
物語が終了すると、ゲームだろうがマンガだろうが映画だろうが小説だろうが
ストーリーの中に自分が半分没入した状態で現実世界に放り出されて、しばし呆けた時間を
送ってしまう。まあその時の気持ちを文章にしておくのも悪くないだろう、
そう思ってなんとなく雑文を書き散らす。
今回はブリテンが舞台の話だった。別に誰かに読ませるものでもないので、
あらすじなどは書かないし、何の説明もしないし、考察もしない。ただ、ひたすらに感想を書きたい。
今回自分がこれほど心に来ているものは何だろうか。
一番は感情の純粋さだろうか。
純粋といっても、それはよいものだけではない。純粋善もあれば純粋悪もある。
しかもそれはどこから観測するかで逆転しさえする。
各妖精たちのどこまでも美しいほどの醜さに、思わず感動さえする。
ヴォーディガーンの言い分も心底理解できる。あそこまで腐るともはやどうしようもない。
まあこれを腐っていると感じる、この嫌悪感には、同族嫌悪的な部分もあるだろう。
人間の心にこの妖精はいないか?
書いていて思い出したが、ダヴィンチのことを襲わなかったマイク。
彼は、彼だけは腐らなかった。なんなんだろう、あれは。
どこまでも純粋で、欲望に忠実なのが妖精ではないのか。
唯一モース化から脱した存在。彼はある種の救いなのかもしれない。
各氏族の主は、それぞれ人間の心の悪の部分を表しているように思える。
スプリガンは強欲だし、ウッドワスは暴力、ムリアンは復讐、オーロラは、
承認欲求といえばいいのか、、、
まあそんなニュアンスのモチーフがありそうだ。
ノクナレアとガレスに関しては感じられなかったが、
そこはご愛敬だろう。
モルガンには悲しみしか感じない。
何千年もの時を繰り返してなお裏切られ続けた彼女があの考えに陥って、
誰がそれを咎められるだろうか。しかも此度の最後もまた、醜い妖精に惨殺
されてしまうのだ。あんまりではないか。
...そういえば、ウーサー戴冠の際、モルガンは氏族の裏切りに気づかなかった。
妖精眼を持っていなかったのか?
アルトリアが妖精眼持ちなら彼女が持っててもよさそうなものだが。
妖精騎士もかなり悲惨なものだ。
バーゲストの最期。主君を裏切ってまで守ろうとした存在の邪悪さに気づいた、
いや思い出したその時の絶望。極めつけは愛した人がすでに死んでしまっていること。
しかもそれが自分の野性のために、自分で喰ってしまったことを思い出して
しまった絶望。今まで黒犬の本能に、たびたび勝てなかったとはいえ、
理性で勝ってきたところにこれだ。もう耐えられない。
バーヴァンシーの最期。ほぼ全てから否定され、ベリルの術で体は腐り、
母親からも見放されたように思ってしまって、拠り所がなくなってしまった彼女。
半死体の状態ですら醜い妖精に利用され、引き裂かれ、最後には
ケルヌンノスと一緒になる。
メデュシーヌの最期。自分を愛さない、愛する者を、愛する者のために手をかけ、
その後自我を喪失、アルビオンと化し襲撃。義弟と交戦。最後には、ブリテンの敵を攻撃し、
そのまま屑と化した。
モルガン含め、彼女らは皆、妖精からは疎まれる存在だった。
楽園の使者、呪いの黒犬、下級吸血鬼、汚染された肉塊、
どれをとっても、多くの妖精からは忌み嫌われる存在だった。
支配者側でさえ彼らは満たされていない。
こんなのってあるか。救ってやってくれ、なんなら救いたい。
救いといえばアルトリアだろう。
春の記憶が一つもない彼女。生まれてからカルデアと出会うまで全く
救われなかっ運命の子。もはや運命の子という呼称さえ使いたくない。
あれだけの年月、純粋な悪を常に受け続けていたら、それこそ、
心が死んでしまう。肉体まで死んでもおかしくないくらい。
カルデアとあってからも、何回自我を殺した?
本当にきつい。ただの、偶然役目を負ってしまったただの少女なのに。
そりゃあ初めて優しくされた同年代の男がぐだなんだ、
そこに多少の少女らしい感情が芽生えたっていいだろう。
いきなりメタくなるが、ここを批判している人は、
アルトリアのこの感情さえ否定してしまうのか。私にはそんな真似はできない。
ロンゴミニアドを打つ瞬間でさえ、この世に一度とどまろうとした
アルトリア。エクスカリバーを撃つ瞬間、走馬灯が流れたアルトリア。
その中身は?せめて、せめて安らげる記憶であることを願う。
もう眠いからここまでにする。
ただ一つ、ここで救われなかった彼らを物語る機会が出現してほしい。
物語が忘れ去られようと、その中でキャラクターは生き続けるのだ。
だったら、忘れられた時の安息の地として、そういった安らぎの物語を作っておきたい。
それが自分のエゴだとしても、選択肢があるとないとでは大違いだろう。
何を言ってるのか、と思うかもしれない。
しかし、物語の人物が実際に物語の中の世界で生きている可能性を
三次元で観測している私たちは否定することができない、ということに
ちらりとでも意識を向けてもらえれば、なんとなくでも
想像はついてくれるだろうか。
想像がつく人にはぜひとも物語ってほしい。
無論、私でもよいのだが。