




特技はだじゃれです。影響を受けたのは小学生時代の先生。たとえば、社会の授業では「県名は一生懸命覚えよう」と、笑わせてくれました。「先生に(だじゃれを)返したい」。そんな思いで、私もだじゃれが好きに。SKE48で活動を始めて、特技を聞かれことが多くなりましたが、入ったばかりの私には特技と言えるものがありませんでした。そこで思い出したのがだじゃれ。フレーズができたら、言わずにはいられません。先月、AKB48じゃんけん大会で優勝。初めて単独でセンターになりました。そこでも一つ。「センターは(誰にも)渡しまセンター」(笑い)。
私は(だじゃれも含めて)いつも全力投球で、どこにいても「自分がしっかりしなきゃ」と考えるタイプです。小学生のときは勉強も運動も一生懸命。クラスでは、男の子のけんかを仲裁したり、授業が騒がしいときは注意するタイプでした。みんなから推薦されて学級委員や生徒会の役員も務めました。
こうした性格になったのは、母の影響かもしれません。「あいさつをしなさい」「人の目を見て話しなさい」。礼儀には厳しかったです。いつもしっかりしていて、行動で示してくれるタイプ。子どもの頃から歌ったり踊ったりすることが好きだった私をダンススクールに通わせてくれました。カラオケにもよく連れて行ってもらいましたね。そのうちに歌やダンスを仕事にしたいと思うようになって、アイドルに憧れをもつようになりました。
最初に憧れたのはAKB48。テレビで年末の紅白歌合戦を見たとき、たくさんのメンバーが一緒に歌って踊っている姿を見て、楽しそうだと思ったからです。
でも、もし、AKB48で活動できることになったら、東京で生活しなくてはなりません。まだ小学生だったので、家族は心配しました。あきらめかけた時に発表されたのが、名古屋で活動するSKE481期生の募集。「これなら安心だね」と家族も納得してくれたので、オーディションを受けることにしました。
SKE48に合格。それからまもなく、私はAKB48のシングル曲「大声ダイヤモンド」の選抜メンバーに選んでいただきました。しかも、前田敦子さんとのダブルセンターでした。
大変だったことは、CDの発売とSKE48の劇場公演初日の時期が重なっていたことです。東京と名古屋を何度も往復しながら、レッスンを受け、歌と踊りを覚えなくてはなりませんでした。
当時11歳。私を支えていたのはSKE48を背負っているという気持ちでした。「チームのために、私が道を作らなくてはいけない」と。毎日、SKE48とAKB48のことで頭がいっぱい。悩む余裕もなく、ただひたすら前を向いてがんばりました。
AKB48の先輩たちからはたくさんの刺激を与えていただきました。チームAキャプテンだったたかみな(高橋みなみ)さん。リハーサルから常に真剣勝負です。たかみなさん自身が常に全力を尽くしているので、疲れて集中できなくなっていることで注意されたメンバーも、「そうだ、がんばろう」という気持ちになれたんじゃないかと思います。その姿には、「私もこうありたい」とすごく刺激を受けました。
まりこさま(篠田麻里子・現在は卒業)はお姉さん的な存在でした。最初の頃、立ち位置がわからずに、困っていると、背中をポンと押して「ここだよ」と教えてくださいました。食事をご一緒させていただいたり、相談に乗ってくださったりとても優しくしていただきました。
その後もAKB48のCD曲の選抜やドラマに参加するチャンスをいただけ、昨年3月にはAKB48チームKとの兼任が発表されました。
AKB48とSKE48の仕事が重なって、メンバーと一緒にレッスンをする時間がほとんどないまま、ステージに上がってしまうことになったこともありました。だけど、私はどんなときでも手を抜きたくありません。ひとりでレッスンのDVDを見て、振りや立ち位置を覚え、死にものぐるいで練習。振りを合わせるチャンスが一度しかなくても、きっちりと合わせたいのです。
がんばっていることは、口でなく、実際の行動で示したいと思っています。どんなにつらくても、ステージやメンバーの前では、涙を見せたくはありません。
「やりきれるだろうか」と不安に思うこともあります。だけど、メンバーたちから「珠理奈ならできるよ」と言われると、なぜか気持ちが奮い立ちます。
うれしい涙は何度も流したことがあります。SKE48の単独コンサートが決まったり、総選挙で多くの方たちに支持をしていただいたり、何かを達成したと思えたときには泣いてしまいます。
いちばん思い出に残っているのは、SKE48に入って2年経った頃のこと。いつものように楽屋でみんなとおしゃべりをしていたときに、メンバーのひとりが、突然、言いました。「珠理奈がセンターでよかったよ」。その言葉を聞いて、私は急に涙がこぼれて止まらなくなりました。
今はSKE48を卒業してしまいましたが、同じ1期生のメンバーでした。自分にもメンバーにも厳しくて、同期の中でもすごくダンスが上手。私がほかの活動で公演に出られないときは、代役を務めてくれていました。その彼女が私がセンターでいることを、どう思っているか、ずっとわからずにいました。「認めてくれていたんだ」。その彼女の言葉だからこそ、重みがあり、何よりも、うれしかったんです。あまりに意表をつかれたので、「ここで言うの~?」と思いながらも、張り詰めていた気持ちが、急にとけたようでした。
私は強がっている部分もあります。「強くなくちゃいけないよ」と自分に言い聞かせてきたのです。でも、そんな私にファンの方たちは、「もう少し気を楽にしたほうがいいんじゃない」「弱い部分を見せてもいいよ」とおっしゃってくださいます。
その言葉のおかげもあって、今はSKE48の活動でも、少しずつ等身大の自分を見せられるようになってきました。普段は普通の16歳。お姉さんメンバーに甘えることもあります。
ただ、努力は怠りたくありません。一生懸命やって、燃え尽きるくらいがいい。「珠理奈とSKE48ががんばってるから、僕もがんばれる」と言ってくださる方もおられます。もっといいチームになるように走り続けたい。だから私は今日も全力投球です。
■番記者から
座右の銘は「どこにいても全力投球!」。熱くてストイック。誰よりも努力家で、チームやメンバーへの思いもあふれている。「こんな社員や上司がいたら、その職場はさぞかし熱くなるだろう」と取材をしながら感じた。相手は16歳の女の子というのに。
11歳のデビュー以来、常に第一線で活躍してきたので、プレッシャーも大きかったことだろう。
先月のAKB48じゃんけん大会で優勝。AKB48では初の単独センターになった。
パーを出し続けていたが、ちゃんと対戦相手を分析していたという。「相手の性格を考えて、これを出すだろうと読んでいました。じゃんけんの前に、対戦相手と拳を合わせますが、準々決勝あたりからは、みんな緊張して力が入っていたので、チョキやパーは出せないと判断しました」。決勝の対戦相手はNMB48の上枝恵美加。準決勝で6回連続グーを出し続けて勝った姿を目の前で見ていた。「パーで勝負することに決めていました。もしかすると、もうグーは出さないかもしれないという気持ちもありましたが、ここまでパーで勝ったので、突き通そうと思ったんです」。アイコがなく、すんなり勝ち続けてこられたことが良かったらしい。「事前に出す手を決めるので、アイコになったときは、次は何を出すか迷って隙ができてしまうんです」。SKE48のオーディションでは、最後からひとつ前の49番だったが、カラオケの調子が悪くて後回しにされた。総合プロデューサーの秋元康氏は珠理奈にインパクトを感じただけでなく、偶然で最後の受験者になった、ということに運命的なものを感じたらしい。合格してまもなく、珠理奈はAKB48のシングル曲「大声ダイヤモンド」で、大抜てきを受けた。「運はいいと思います。じゃんけん大会にも勝てましたから」。目標は女優。「学園もののドラマに出演してみたいですね」と話す。出演したドラマの演技には、表現力を感じた。息長く活躍できる女優になりそうな予感がする。(大西元博)