松井玲奈まとめ -17ページ目

松井玲奈まとめ

48グループに関するニュースやまとめのまとめ、を挙げていきます。
松井玲奈が中心ですが、松井玲奈だけではありません。

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 私の父の口癖は「こつこつと努力することが大切だ」。負けず嫌いで努力の人。小学生から大学まで野球部のキャプテンを務めていました。そんな父の影響を受けたのか、私も幼い頃から負けず嫌いでした。

 今でも思い出すのが幼稚園のときの「鉄棒事件」。園児で鉄棒の上達を競っていました。私は一番になりたくて、一生懸命に練習。グルングルンと“空中逆上がり”ができるまでになりました。皮がむけても平気でしたが、あるとき、手汗ですべって、頭から落下して大騒ぎに。大きな外傷はありませんでしたが、内出血しているのではないかと病院に連れて行かれ、脳の検査を受けました。幸い異常はありませんでしたが、その後も懲りることなく、よく頭をぶつけて、周囲を心配させていました。

 小学1年生で、美術や読書感想文に関心を持つように。コンクールで入賞した先輩が朝礼で表彰される姿を見て、格好いいと思ったからです。その時も実際に、表彰されるまでがんばりました。

 小学2年生からクラシックバレエを習い始めました。最初の頃は、あまり好きになれず、家に帰るたびに「もうやめる」とこぼしていました。私はバレエスクールの支部に通っていましたが、ある日、友達に誘われて、本部の見学に出かけました。そこには同じ年くらいなのに、自分よりもはるかにレベルの高い女の子たちがいました。「みんなすごい。私は下手だったんだ」。あまりの悔しさに家に帰ったとたん、「もうバレエには行かない」と大泣きしていました。でも、数日後には、負けず嫌いスイッチが入って、やる気がわき起こりました。それまで週1だったレッスンに毎日通うほどの猛練習。小4で憧れだったトシューズをはけるようになると、ますます楽しくなり、小6で先生から「コンクールに出てみないか」と声をかけていただきました。コンクールのメンバーに選ばれた! うれしくて誇らしくて。ますます熱中するように。私には「負けず嫌いスイッチ」だけでなく、認められるとモチベーションが高まる「ステップアップスイッチ」もあることに気がつきました。

 成績を上げるにはどうすればいいのか、もっと自分を高めたい、と常に考えながら努力してきました。高校生になると、コンクールで入賞できるまでになりました。バレエ嫌いだった私が、賞をいただけるまでに上達できたことは、本当にうれしかった。

 アイドルに関心をもったのは、そんな頃でした。テレビを見ると、同世代の女の子たちが歌って踊っている。特別な世界の人たちと思いつつも、気になっていました。友達の影響で、AKB48やSKE48の存在を知り、「合格するわけないか」というくらいの気持ちでオーディションを受けました。合格したときは「SKE48でいちばんになる」と負けず嫌いの血が騒ぐ一方で、13年間、がんばって築いてきたバレエの道を断つことへの葛藤もありました。大きな公演で、ひとりで踊る機会をいただくこともあったので、バレエのチームの一員として、責任も重く感じました。結果的にSKE48という新たな道を選んだのですが、今思えば、バレエをやっていた頃の自分はコンクールで入賞したことで満足し、その先の目標をもっていなかったように思います。

 それでもバレエの経験は、その後の私に大きく役立ちました。振りやダンスを覚えるのも早くて、1カ月ほどで研究生として公演に出演させていただけました。体が軟らかいという特技のおかげで、テレビ出演の機会もいただいています。バレエ時代の反省をいかすことも。バレエの先生から「喜怒哀楽の表現ができていない」と指摘されていました。たとえば、「眠れる森の美女」のオーロラ姫は、毒リンゴを食べたあと、苦しみながらも、周囲のために気丈にふるまう姿を見せなくてはなりません。笑顔はできるのですが、それ以外の表情をつくることは苦手でした。恥じらいを感じてしまって。SKE48でも、歌によって喜怒哀楽を表現しなければいけません。覚悟を決めて入ったSKE48では、バレエのときに感じていた恥じらいを捨てることができ、曲によって表情を変える楽しさがわかりました。

 全員がそれぞれに個性を発揮しながらも、舞台を大切にする先輩のメンバーたちから刺激を受けつつ、自分も負けない個性を出して、舞台を盛り上げようと感じたからかもしれません。

 昨年春に所属チームがチームSからチームKⅡへ。チームSでは個性を磨くことを学びましたが、チームKⅡでは、チームで一体感をもつことの意味を学びました。昨年はAKB選抜総選挙で16位となり、初めて選抜メンバーに選んでいただきました。その後もAKB48の「恋するフォーチュンクッキー」や最新のシングル曲「前しか向かねえ」で選抜に。SKE48でも、「賛成カワイイ!」で初めて最前列に。私には十分すぎると思えるほどの場所に立たせていただきました。今までの私なら、ここで満足してしまったかもしれません。だけど、今は、自分のためにもチームのためにも、ファンの方のためにも、もっとたくさんやれることがある、と思っています。負けず嫌いの私としては、今年、選抜総選挙があれば「神7」と呼ばれる順位を目指したいと思っています。

 今年に入って、伸びていた髪を30センチほどばっさり切りました。今、私は22歳。これからもっともっと伸びる――短く切った髪にそんな意味をこめています。

 ■番記者から

 SKE48の「釣り師」として名高い須田亜香里。取材すると、無邪気そうな外見とは違った芯の強さや聡明(そうめい)さが印象に残った。握手会やライブでファンと接触する場では、「自分がされたらうれしいことをするように心がけています」。神対応では「東(AKB48)の横綱」とされるゆきりん(柏木由紀)もそんなことを言っていた。「おもてなし」の神随(しんずい)なのだろうか。

 昨年6月の選抜総選挙では、「須田亜香里イコール握手会と思われるのが悔しくて」とスピーチしていたが、「“握手会の須田”がなければ、出会えなかったファンの方もおられます。今は握手会の須田亜香里というイメージをつらくとらえることはやめました」。思考が前向きだ。「ファンの方が貴重な時間をつくって会いに来てくれます。須田亜香里を一人の人として見てくださるので、私も同じような思いで接しています。励ましの言葉はうれしいし、私もありがとうの言葉を常に意識しています」。アイドルとして、でき過ぎなくらい。自分自身を第三者の目で見て、行動するようにしているとか。「元々の自分は自信がなかったり、引きずったりする」そうだが、「元気で前向きな理想のアイドル」を目指している。「みなさんが感じている須田亜香里を大切にしたい」。アイドルスイッチがオフになったときは、「のろくて、ゆっくりなんです」とほほ笑む。聞けば聞くほど奥が深い。インタビュー中は笑顔を絶やさず、現場はなごやかな雰囲気に包まれていた。握手会や公演でどんな表情を見せるのだろう。取材を終えた後、ふと知りたくなった。ん? 釣られた? 握手もしていないのに。(大西元博)