最後は、アウグストゥス橋を渡り、旧市街から、新市街へ行ってから、今日は、ホテルに戻る。
 
 
ここを進んでいって、あの橋を渡る。
 
 
フェスタともお別れ。
 
 
宮殿ともお別れ。
 
 
 
橋の上は、普段はトラムが通っているようだけど、今日は、運航停止で、みなさん、線路の上を歩いていきます。
 
 
旧市街、じっくりみれば、丸一日では足りないくらいの密度がある。
ただ、旧市街の地域としては、やや小さいという印象がある。
ドレスデン自体が、そこまで大都市ではない、ということもあるだろうが、ザクセン王国の首都にしては、小ぶりに思える。
 
 
橋を渡って、新市街の方に抜けると、旧市街ほどの歴的建造物は見られない。
第2次世界大戦末期の連合国による空爆の影響が大きいのかもしれない。
空爆前は、ドイツのフィレンツェなどと呼ばれていたそう。
 
 
連合国による空爆は、相当なものだったようだ。
カート・ボネガットのスローターハウス5に、ドレスデン空襲の話がかいてある。
人が地上に作ったものを、全て、平らにする試み、といった記載がされていた気がする。
犠牲者も数万人を超えたそうだ。
(ボネガットは広島よりも犠牲者が多かったと記載しているが、認識の誤りがあると思う)
 
 
街の歴史的建造物は、壊滅したのだろう。
先ほどの旧市街も、後から復興した部分が大きい。
現在、そのほかの地域でも、復興を進めている、という話も聞いた。
 
 
瓦礫になってしまったのは、悲惨な話であるが、復興させるという努力は、ドレスデンの人々の地元への愛着を感じさせる。
というのは、以前、ニュージーランドのクライストチャーチにいったことがあり、そこは、以前は、というか、2011年の地震の前は、イギリス風の建築がたくさんあったそうです。
イギリス以外ではもっとも、イギリスらしい街、と言われていたそうです。
 
 
友達が、クライストチャーチに新婚旅行に行って、イギリス風の街を見たりしていた。
しかし、地震で、教会も含めてかなりの部分が倒壊してしまったようだ。
私は、地震の後に、クライストチャーチに行ったのだが、イギリス風の、という雰囲気は、ほとんど感じられなかった。
 
 
地元の人たちに訊いたところ、再建するときに、イギリス風の建築はやめたのだそうです。
イギリス風建築は、意思を積み重ね、地震に脆いし、立てるのにお金がかかる、とのこと。
鉄筋コンクリートで、建物を作り直した方が、リーズナブルだ。
 
 
地元の人の生活に、とやかく言うものでもなく、まことにもっともな話ではある。
その結果、クライストチャーチは、アメリカ中西部の街のような、鉄筋コンクリートの中層ビルが、あちこちにあるような街になっていた。
 
ドレスデンは古のように復興させている、というのは、当たり前のことではない。
そこに、人の意思を強く感じるのでした。
 
しかし、テセウスの船という話もあるが。
金閣寺だっておそらく似たようなものだろうが。
 
ここは、正面に黄金の騎士像がある。
写真を取り損ねてしまいました。