ホンダの創業者・本田宗一郎は生粋の技術者だった。
1906年、静岡県浜松市で鍛冶屋の長男として生まれ、
8歳の時に初めて目にした自動車に感銘を受け、
技術者を志し、界隈で評判の腕利き技術者に成長後、
弱冠18歳の時、浜松に戻ってホンダの前身の修理工場
をオープン。
まもなく、従業員50名を抱える大所帯に成長した。
25歳当時は、総理大臣の月給が800円だった時代で
宗一郎は25歳にして月収1000円以上を稼ぎ、
2台の自家用車を乗り回して、夜な夜な芸者に囲まれて
飲み明かす豪快な夜遊びの日々を送っていたという。
その後、戦時の空襲で工場を失い、1年の休業宣言の後
本田技研工業を興したのでした。
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本田宗一郎の歴史のほんの1ページを開いただけでも
本田宗一郎のすごさがぎっしり詰まっています。
そして、やっぱり、本田宗一郎の20代もすごかった。