こんにちは。ずんです。






まだまだ日中は暑いですね…。

暑さに弱い私はぐったりですよゲッソリ







さて、そんなぐったりな本日の弁当は、肉を欲する息子のために…、






ステーキ弁当


◆ステーキ

◆ハムエッグ

◆青梗菜のごま油炒め

◆赤ピーマン素揚げ





相変わらず、隙間の女王ミニトマト様を買い忘れていて、色付けのためだけの赤ピーマン投入!



肉、少なく見えますが、下に敷き詰められておりますステーキ






タレが染み染み。





さて、突然ですが、皆さんには、「恩師」と呼べる方いらっしゃいます?


私、先生と名の付く人に、あまり思い入れがない方なんですが、唯一、一人だけ、会えることならもう1度会いたいな…と思う先生がいるんです。




それは高3の時の担任のY先生。男性で英語の先生です。




当時30代ぐらいだったかと思うその先生、経歴がちょっと変わってて、私達の担任になって初めての曰の挨拶で本人が言うことには、



「僕は今こうして君たちの担任することになりましたが、もともとこの地方とは縁もゆかりもありません。地元は九州ですが、地元の高専で学んでいる最中に、『もうこの分野はいいや』と思って、□□大学(超難関大学)の言語関係の学部に編入しました。」



と。
この先生が大学に編入した頃って、おそらく今から40年以上前だと思うんですが、続けて言うことには


「さぁ言語と言っても何をやろう?と思いましてね。英語なんてみんな喋ってる。中国語も恐らくすぐ(時代が)来るだろう。じゃあ何?ってなったとき、いずれ絶対に韓国が来るだろうと。」





その時点では、韓流なんてブームはまだまだ先の話でしたし、私達生徒は、へぇー…韓国語ですか…ってなもんでしたが、さらに続けて




「まぁ、とはいえ、韓国語が活躍する世の中はまだまだ先だと思うんでね。需要もそれほどないわけです。というわけで、僕も就職しなくちゃいけなくなってね。それまで田舎の馬鹿な高校生に英語でも教えとこうかなと思って、こちらへ来たわけです。」と。



私の出身校は、地元ではそこそこ有名な進学校で、3年の時のクラスも選抜クラスで、中には、プライドの高い子もいたのでね。
Y先生のそのモノの言い方に、



「は?真顔




ってな反感をあからさまに出した子もいたんです。




けど、私はなんとなく、この人、裏表なさそうな人だなーと。



他にも色々問題発言はあって、


例えば、野球の松井秀喜さんは私と同い年で、当時、プロ野球のどのチームに入るか、契約金はいくらなのか!とメディアが騒いでた頃だったんですね。


その頃我々は受験生で、早々に推薦で私立に決まっていった他クラスの子たちが楽しそうにキャッキャ言う中、センター試験に向けてギスギスしてた頃でして。


で、その際先生が放った言葉が、



「いいですか。松井秀喜くんは何億もの金額を積まれてプロ野球に行く。でも、なんの取り柄もない君たちは、ひたすら勉強するしかないんですよ。同い年なのに、こうも違うってね、可哀想だね〜。


と。




これまた、イラァーーーーーッとした同級生が多く、「は?!あいつ何なん?!ムカつくわーーー」と文句を言ってた子も多かったんです。


でも私は、なんかやっぱ好きだなー、この先生、と。



マゾか?真顔



センター試験を受ける直前には、



「僕、地元の太宰府天満宮に行って、毎年生徒全員にお祓いしてもらったお守りを買ってくるようにしててね。それ今から配りますね。あ…、ただね。毎年何人かのお守りを必ず落っことしちゃうんだけど、気にしないでね。」



で、私の番になって手渡されるときに、




「ずんちゃん、ごめんね。ずんちゃんの落としちゃったよてへぺろでも、ずんちゃんはきっと大丈夫!」





ゴルァーーーーーーームキー




となったけど、やはり嫌いになれず(笑)。




そんな先生だから、おそらく職員の間でも異色だったんでょう。



センター試験直前に実施された学校の消防訓練を、私のクラスの半分以上の生徒(もちろん私も…)がサボって早退したときも、生活指導の先生に呼び出されてこっぴどく叱られましたが、後でY先生のところへ謝りに行くと



「もうさー。気持ちはわかるけどさぁーーー。もうちょっとうまくやりなよ君たちさー。僕が校長先生に怒られるんだからさぁーー。ま、何か言われても言い返すからいいんだけどね、フフフ」



てな感じ。



The 教師!
みたいなのとはちょっと違ってたY先生でした。



そんな先生、大学に無事合格して報告に行ったときには、めちゃくちゃ喜んでくれて、他に受かった数人の同級生と共にランチを御馳走になりました。


その時に、



「ずんちゃんさ。彼氏ができたらちゃんと僕に紹介しに来るんだよ。僕がちゃんと見極めてあげるからね!」


と。
私も「わかりました~」なんて返事したんだけど、その後は大学で遊ぶのに勉強するのに必死で、高校まで会いに行ったりもせず、一年が経ったある日、同級生から



「Yさー。韓国語の方で、○○県の大学に呼ばれて、そっちに移ったらしいよ」


と聞きました。



その時は、えーーーー、そーなーん??会いに行けば良かったー!ってくらいなもんだったんですけどね。



歳をとるたびに、フッと、本当にフッとですけど、Y先生はその後元気なのだろうか…?と思うことが増えてきまして。



先生。韓国ブーム来たね。
先見の明すごいね。
私は結婚して子供もできたよ。


と、なんとなく伝えたいような気持ちにもなり。




で、つい最近、


Y先生の氏名
〇〇県
韓国語
大学の先生


という、なんとも心もとない情報をもとに、あれこれ検索してみたんです。



すると、



出てきました!ポーン



すげーな、ネット社会!



本当に、〇〇県の某大学で、朝鮮語の教授として活躍されてました。論文もたくさん書かれている模様。


写真も出てきて、すっかり老けたけど、絶対そうだ!と。



経歴を見ても、私の卒業した翌年の春から助教授としてその大学に勤務されてるようで、これも情報と一致。




うーん。連絡したい!!!!!



ところが、連絡先はまったく載ってないんですよね。


Facebookやインスタなどでも探してみたけど無くて、やはり大学、学部しか分からず。




これ…いきなり大学宛に手紙とか送ってもいいもの…?



なんて…?



「〇〇高校でY先生に教えていただいた、ずんと申します。突然のお手紙を差し上げる失礼をご容赦ください」とかなんとか…?滝汗




ネットでY先生を見つけて、かれこれ2週間ほど経つんですが、どうすべきか悩んでそのまんまにしております(笑)。



そうこうしてるうちに、退職なんてされた日にゃあ、一生もう連絡とか取れないよな〜とかも思ったりして。




皆さんならどうされます??






チャンスの神様は前髪しかないってよ、ママ