つねにすでにある「世界確信」Ⅱ(再び『危機』解説その5) | takehisaのブログ

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みなさん、こんにちは。。このブログは「自分はどう感じるか」から「出発して」それを突き詰めていったフッサール現象学の解説書、竹田青嗣『現象学入門』(NHKブックス)を「関西弁訳」してわかりやすくしようとする試みです。今日はフッサールの『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』(『危機』と略)の「生活世界それ自身を普遍的な学的考察対象とすべきこと」について触れた部分を扱っていきます。

 

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フッサール先生は、『イデーン』で素朴な世界像(自然的態度)の特質を現象学的に描き出したのちそれにエポケー(判断停止)を行なって<還元>の作業をすすめたのと同じように、ここでは「生活世界」の特質をはじめに示し、これを<還元>することになるんよ。

 

まず、生活世界の構造はいくつかの特質を持っとる。

 

1.それはつねにすでに<私>という中心を持ち、そこから時間・空間の「地平」が拡がっとるもんとして与えられとる。
2.事物、事象は<私>という中心のまわりに、単に実在するものとしてだけでなく、<私>の生活上の実践的関係からの意味や価値を持った秩序(因果の連関)として与えられ、この意味や価値も空間的時間的繋がりの「地平」を持つんよ。
3.この<私>を中心として拡がる事象の存在、意味、価値の「地平」こそ、あらゆる一般化、客観化の明証の源泉や。つまり、<私>にとってあるいは<私>の生活上の必要のたにめっちゅう中心から作り出されている事象(意味・価値)の因果の秩序が、<ひとびと>にとって(のために)いう観点へ一般化されていくときに、さまざまな客観性のレベルが形成されるんよ。そして、つねに前者が後者の妥当の源泉であってその逆やない。

 

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みなさん、ここまで読んでいただきありがとうございます。[つねにすでにある「世界確信」]は長いので、Ⅱはここまでにして、次回をⅢにします。それでは、また次回~。(^^)/