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1週間の山梨での仕事を終え、再び東京。
まるでマグロ漁船の出稼ぎのよう。
ブログの更新もままならず。
アウトプット、再開します。
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シーザーサラダを100人分作りながらふと思った。
流れ作業でいくつかの素材を盛り付けていく中、
意識することは、どの皿も同じように作ること、
できるだけすばやく時間に間に合わせること。
仕込みで、100人分のトマトやレタスを切ったり、
クルトンを乗せる、チーズをふりかけるなどの“作業”こそが、
いわゆる【仕事】といえるものなのである。
自分は、もっとクオリティーの高いシーザーサラダを作れるし、
そのもの単品として、お客に喜ばれるものを作ることは可能である。
しかし、全体(民宿業としての)から見て、
シーザーサラダは、極めて末端的であり、ただの“結果”にすぎない。
個人の能力として、質の高い料理を振る舞えるスキルを持ち合わせていても、
そのスキルを持っているという‘事実’には、何の力もない。
つまり、自分の能力を向上させることが、単純に仕事に直結していくとは限らない。
まず、環境、組織、システムがあり、そこに身を置くことで、
初めて能力が発揮できる可能性を得るのである。
仕事とは、その作業に対し、組織化されたバックアップがあるかどうか。
バックアップがなく、スキルを持っているということにプライドを持つことは、
ただのうぬぼれでしかない。
単純な料理を100人分作るという【仕事】には、到底及ばないのである。
シーザーサラダが教えてくれました。
TaKe