□□□□□
今まで色々やってきて思うことは、
何かに熱中している環境が、その時の自分の居場所だった。
そのときの充実感って、本当に生きているという感覚があるし、
我を忘れて集中することができていたと思う。
だから、環境を選択するときは、そういう部分を優先するし、
自分にとって一番いい方向性だと思ってずっとやってきた。
でも、イタリアから帰ってきてもう半年が経ち、
身を置くべき環境を探すにあたり、過去を振り返ったとき、
今まで偶然にも自分が望む環境を与えられたことって、
すごくラッキーなことだと思ったし、
なんでもっと大事にしなかったんだという後悔の念を最近はよく感じる。
でも、もはやそうしなかったし、そのとき気付けなかったということは、
そのとき形成される何かがあったからだとも思う。
ただ、すべての環境に共通することは、
主観的であり、自分自身のためだけに没頭し、突っ走っていた。
もっと周りを見たり、誰かのために奉仕したりという考えはこれっぽっちもなかったし、
ただただ、自分を磨くという行為だけに熱中していた。
でも、自分の力を誇示することによる優越感って、
本当に、そこには自分しかいないし、それはとても小さいことな気がした。
人は1人では生きていけるはずがないのに、
自分のことばかりに没頭したってそれには限界があるに決まってるし、
人のために生きれる人の強さに勝てるはずがない。
自分のためだけに生きてる自分は、弱い。
自分は誰かに生かされてるし、誰かを生かしているわけで、
誰かを生かし、誰かに生かされなきゃいけない。
だから、『居場所』のとらえ方として、
今までのような突っ走る環境ではなく、
誰かのために生きる環境を選択した。
6月5日、
入籍しました。
生かし生かされ、相乗的に成長できたらと思いますので、
未熟な2人ではありますが、
何卒、よろしくお願い申し上げます。
堀内丈弘