ですから、1年生向けの科目を欠点で落としてしまったら、履修はできたけど成績が足りなかったということで追認指導という特別な指導を受けることになり、その後追認考査という、これまた特別な試験を受けて、十分合格に値すると判断されれば、単位が認められます。特別な措置なので成績はどんなに頑張っても5段階評価で「2」しかもらえない。
欠課時数超過の場合は、欠点をとって単位を落してしまった場合より更に厳しい状況になります。そもそも未履修扱い、つまりその授業を履修しなかったことになるからです。いくらそれまでも成績が良くても欠課時数が1時間でも超えてしまったら、何もしてこなかったのと同じことになるわけです。ですから追認考査すら受けられません。
欠課時数を超過するなど特別な事情が出てきた場合は、学年や担任から特別なお願いという形で、進級・卒業判定会議という場で議論をし、それを受けて校長が最終的な判断をするという形式をとることもありますが、全てのケースで認められるわけではありません。
異なる学年の授業を受けることが出来ず、欠課時数超過(通常3割以上の欠席)により、特定の科目が未履修になるということが意味することは、原級留置、つまり進級できないということ。年齢ごとに学年を区切っているので、自分より1つ下の年齢の学年の中に混じって学校生活を送り、修得できなかった科目だけでなく、その学年で履修すべきすべての科目を改めて履修し直さなければならないケースがほとんどです。その場合、既に修得した科目の成績は無効になります。全てやり直し。
なぜこのようなことになるのか。そこには、単位制と学年制が併用される日本の独特な進級・卒業認定が大きく関わってきます。
完全単位制の学校の場合は、その落とした科目を翌年度にもう一度取ればいいだけです。必修科目でなければ必要な単位数は各校で異なりますが、卒業単位数さえ満たしていれば最悪忘れてしまってもいいわけです。
しかし多くの学校では学年制が併用されており、各学年で取る授業や特別活動が決められているため、学年という枠を超えることができません。
卒業や進級は、修得した科目の単位をもとに決定されるけれど、履修できる科目は、各学年で決められている。普通に学校生活をしていれば実はそんなに問題にならないことではあります。しかし生徒の自主性を伸ばしていくという観点や、高大連携という観点で言えば、高校での履修はもっと自由で良いのではないかと思います。
学年制と単位制の矛盾。
ちなみに学年制を無くしても生徒は育ちます。
なぜなら海外には学年制を採用してなくても、良い教育をしている学校がたくさんあるわけですから。
不登校の生徒にとっては、学校で良い成績を残すより、校門をくぐることのほうがハードルが高い。
原級留置になった生徒は、殆どがやめていきます。通信制単位制高校への転学が多いと思います。自分だけ下の学年に混じってやり直せる力を持っている生徒はそう多くありません。
教員は落とすために評価をつけているわけではないし、単位をあげる・あげないということに関しては、最低限の基準で良いと思います。学年制のもとでは。
少なくとも、授業の履修や修得に関しては、単位制か学年制か、どちらかで統一したほうがよいと思いますが、皆さんはどう思われますか?
異年齢の生徒が入り混じってする授業って、そんなにやりにくいものでしょうか。
そもそも、年齢によって学年を決めることにどんな教育的意義があるのでしょうか。3月生まれの子どもの成長は限りなく下の学年に近いし、4月生まれの子どもは限りなく上の学年の子どもに近い。個々それぞれの成長の度合いも違うし、得意なこと、苦手なことも異なります。
学年ごとに取れる授業を決めないとやってけないものなのでしょうか。色々な要素が絡んでくるとは思いますが、やってやれんことはないんやないかと思いますが、どうなんでしょう…?
あ、ちなみに。
学年制のもとでは、同じ科目を複数の学年向けに開講しようとすると、学年ごとに分けるという縛りがあるので、それぞれ1時間ずつ開講することになります。完全単位制なら1時間で済むものを2時間、しかも同じ内容を教えることになり、教員の負担も増えます。