チャリンコ放浪記

チャリンコ放浪記

自転車であっちへこっちへ

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旅期間 :42日間

総走行距離:3179キロ

総走行時間:158時間

一日の平均走行距離:75、6キロ

旅費 :31万5870円





旅が終わりました。
こうして自分が走った距離を数字で見たり地図でルートをたどってみてもあまり実感がありません(笑)


これは気持ちが常に前向きだったからだと思います。
今日はどんな景色が見られるのか、どんな面白い場所があるのか、食べ物、人との出会いなど毎日が刺激的で、じゃあ明日は何が待っているのかなと考える日々は本当に楽しかったです。

一方で常に不安もありました。
今日の目的地まで行けるのか、道に迷ったらどうしよう、天気、自転車のトラブル、体調。


楽しみなことも不安になることも常に“前”にありました。
従って日々を振り返る余裕はあまりなく、前を向いていなければいけなかったということが実感のなさになっていると思います。


少し落ち着いた後、写真や記録ノートを見返した時に徐々に実感が得られるのかなと思います。




そもそも何故自転車で旅をしようと思ったか。
実ははっきりとは覚えていません(笑)
大学入る前ぐらいに漠然とどっか旅をしたいという気持ちがあったのは覚えています。
大学の友人が就職先を探している頃、僕は旅先を探していました。
ある所で今の大学生には将来の選択肢が少ないという話を聞きました。
極端に言えばサラリーマンか公務員のどちらかしか選ばないと…。

僕の場合は「選択肢」がありませんでした。
“旅がしたい!”それだけでした。


でもそれがいつから自転車で旅をしたいと具体的になったのかはわかりません。
バイト先に自転車で旅をしたいと相談した時も自転車はまだ持っていませんでした(笑)


旅の目的地も最初は四国だったと以前書きましたが、それも坂本龍馬の地に行きたかったからだったのか、四国までフェリーがあるからじゃあそこにしようかぐらいの気持ちだったと思います。
しかし四国までだと自分の中で中途半端な気がして“鹿児島まで行こう”となったような気がします。


要するに鹿児島まで行こうと思ったのは単なる思い付きです。


それでも出発前には行く先々で旅の理由を聞かれると思い、僕としても「日本人として日本を知ることは大事だと思ったからです!」、「日本の広さを実感したいから自転車で旅をしています!」とかいろいろ考えました。


しかしそんなことは旅の序盤でどうでもよくなり、“鹿児島を目指す”以外の理由は無くなりました。
歴史をめぐりたいや司馬遼太郎の世界を見たいというのも後付けです(笑)


“鹿児島を目指す”と目的が明確になったことで余計な悩みや迷いが消え(不安はありましたが…)、進むしかないと思うようになりました。


目的を一本化にすることで自分の中の容量に空きができ、そこにたくさんのことを吸収できたと思います。


旅費をご覧のように一切節約はしていません(笑)
節約も少し考えましたが自分でバイトして貯めたお金だし、それをケチっていたらもったいないなと思いました。
節約することで見逃す、食べ逃すことを避けたかったからです。


お金はかかりましたが、貴重な経験は出来たと思います。
ただこの経験も今後に生かしたい!!と並々ならぬ熱意があるわけではなく、生きなかったら生きなかったで思い出として大事にしたいと思います。




この旅を通して価値観や人間性に何か変化はあったか。
残念ながらありません。
自分の何かを変えたくて始めた旅ではないからです。また現実から逃げたかった訳でもありません。

たかが一ヶ月、埼玉~鹿児島程度の距離を走っただけで自分が変化するようでは、自分の今までの人生を疑います。
この旅より今まで生きてきた24年間の方がずっと重みがあると思います。


ただこの旅の経験は人生のちょっとした上乗せにはなるでしょう。





この旅で一番印象深い所、良かった所。

う~ん、どこでしょうね。いろいろ城を見て、絶景を見て、おいしいものを食べて…




やっぱりあそこだろうな~













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サッカー!!
いやー良かった!!
写真見ると興奮がよみがえってきます!!
最高の夜でした!!
また見に行きたいな~!





ただ旅に対する考え方が変わったのも広島からでした。
旅の前半はこの旅は全て自分の思い通りだと考えていました。好きな道を走り、好きなものを食べ、好きな場所で寝る。人に会えば、自転車!?すごいね!!と言われる。
誰かにやらさせれているのではなく自分で選んでいる、そんな心境でした。


それが広島後、なぜ自分はこうして自転車でいろいろ走れるのか、なぜサッカーに熱狂できるのか。


この旅で僕はよくアイスを食べていました。
原爆で亡くなった少年の最期の言葉は“アイスキャンディーください、でもお金がないから貸しといて”でした。
その少年は大火傷を覆いながらも消火活動し、重傷で動けない母親を必死に助けようとしたようです。


広島後もアイスはたくさん食べましたがその言葉はことあるごとに頭をよぎりました。



こうして旅ができるのは自分が選んでしているのではなく、平和によってさせてもらっていると感じるようになりました。


旅の前半は人との出会いを大事にしていましたが、後半はどちらかというと自分と向き合う時間が増えたように思います。
ブログの更新を1日2回する日が後半で増えたのも、その時思ったことを忘れないように残して置きたかったからでしょう。



今の子ども達が10年後、20年後に旅に行きたいと言った時に元気に送り出せるような世界であってほしいではなく、作らなければならないと思ったのも旅の後半でした。



印象深い場所として広島をあげましたが、本当は一番は決められません(笑)
全て印象深いです。
雨の中を走ったこともつらい峠も、しまなみ海道のぐるぐる(←根に持っている訳じゃありませんよ!!)も、笑い話です!




こうして僕の非日常の旅は終わりました。
これで旅は終わるのか。
いえいえそんなことはありません。
これから日常の旅が始まります。
松尾芭蕉も「奥の細道」の冒頭で、仕事をしている人々も毎日が旅で、旅に身を置いているのだと述べています。


非日常の世界に身を置くと感覚は研ぎ澄まされ、思考はどんどん深くなっていくようでした。
同時に神経はすり減り、思考の深みから抜け出せなくなる危うさも感じていました。


僕の場合これ以上非日常に身を置いてしまうと日常に戻れなくなるでしょう。
40日間で一回休憩です。来年4月から働き始める前にあと一回どこか行くかもしれません。
それはまだ未定です(笑)




旅を振り返りながらも、また前へ進んで行きたいと思います。



こうして一ヶ月以上、僕の勝手気ままなブログを読んでいただいた方には大変感謝をしております。
またたくさんのコメントも勇気付けられました。
できる限り直接お礼に伺いたいと思います。

本当にありがとうございました!!


閉幕宣言として、最後に僕がこの旅でよく頭に流れていた歌のフレーズで締めたいと思います!


“今歩いているこの道がいつか懐かしくなればいい
今歩いているこの道はいつか懐かしくなるだろう…”

斉藤和義「幸福な朝食 退屈な夕食」より







おわり