僕には付き合っている彼女がいるのだけど、ある休みに、その彼女がうちにやって来ることになった。

付き合って一年になるのだが、誠二よりも遥かに忙しい仕事に就き出張も多く、さらに友人や仕事関係の付き合いにも非常に積極的で(これらは誠二には驚異的な社交性に思えてならない)、多忙な日々を送る彼女が家を訪ねてくるのは、おそらく今度で四度めか五度めだ。
だから、ココアちゃんがうちにやって来てから、初めての訪問となる。
彼女が訪ねてくることは、前日の夜に、ココアちゃんに知らせた。

というのも、前に一度、友人を家に招いた際、急なことでもありココアちゃんにはそれを事前に伝えてはいなかったのだが、友人が帰ってしまうと彼女は、僕に苦情を申し立てた。

あのね、聞いて欲しいの。私にだって、色々と事情があるのよ。
一応、現在私はあなたのココアなんだし、あなたのご友人に対面するには、それなりの心構えや、ほかにも準備が必要でしょう。
その辺の、いつも暖かいミルクと混ざることしか考えてない、ちゃらんぽらんなココアや、ケーキの上にごく薄くかけられて、ショーウィンドーの中でつんと澄ましてるココアなんかと、一緒にされたくはないのよ、私。

僕は、ココアちゃんはいつでもココアちゃんらしくいて、素敵だと思っていたので、彼女の言う準備が何なのかよく分からなかったし、
仮にそんな準備が必要だとして、それを怠ったココアちゃんが僕の友人にどう思われようと、
ココアちゃんをこんなにちかくで見ている僕が、素敵であると思っているのだから、それでいいのに、と思ったのだが、
こんな考えを口にするのは、なんだか不用意で、なんとなく無責任な感じがしたので、口に出さずにおいた。

そういうわけで、それ以来、来客の際は事前に伝えるようになっていたのだ。

ところがその日、僕の彼女の訪問を聞いたココアちゃんはまず、よく読み取れない表情になり、さらに続けてそれは難しそうな表情へと変わり、ぱらぱら、ぱらぱらと複雑に動き、とても落ち着かない様子になった。
僕は何か、彼女の気に障ることを言ってしまったのかと、すっかり不安になってしまったのだけれど、
ひとしきり、ぱらぱらしてしまうと、落ち着いたようでだった。
それで、大丈夫かと尋ねた僕に、

ええ、なんだかあれね、
でも、もちろんよ。
だいたい、ここはあなたのうちなんだから、私に毎回許可を取る必要なんてあるのかしら。
そんなこと、あなたの好きにすればいいのよ。
私が口をだすことでは、まったくないのだし。

と、そんなことを言った。

その日はそれ以来、機嫌を悪くしてしまったようで、ほとんど口をきいてくれなかった。

しかし翌日には、すっかり機嫌も直っており、彼女が家にやって来ると、
あなたはどんな仕事をしてらっしゃるの、
生まれはどこなのかしら、
推理小説はお好き?
モンサンミッシェルへ行ったのなら、やっぱりあのオムレツを食べたの、
お酒は何をどれくらい飲むのかしら、

と、次々に質問を繰り出し彼女を呆気にとらせていたが、すぐに意気投合してしまった様で、しまいには今度一緒に小旅行に行く約束などしていた。

彼女が帰っていったあとも、ココアちゃんはしばらくとても機嫌がよかったし、いつもに増して饒舌だった。
しかしひとしきり今日の感想やらを喋ってしまうと、やはりは疲れたのか、すやすやと眠ってしまった。

ふと窓の外を見ると、澄んだ夜空に小さな月と、いくつかの星が瞬いていた。

いま僕が見ている星の光は、遥か昔に放たれた光で、もしかしたらもう燃え尽きて、宇宙には存在していないのかもしれないけれど、
いま実際に目に見えている以上、そんなことは、とうてい僕には信じられない。
僕がココアちゃんと暮らし始めて一番驚いたことは、彼女が本当に人間らしい生活習慣を持つところだった。
朝と夜には必ず歯磨きがしたいと僕に訴えたし、僕が始めて彼女をコンビニの外へと連れ出したときに最初に口にしたのは、先程までしきりに気にしていた天気についてではなく、あなたのうちに来客用のバスローブの様なものはあるのかしら、だった。
いったいこの子はどこでバスローブなんてものの存在を知ったのだろうと、僕を驚かせたが、いま思えばこれはいかにもココアちゃんらしいことだし、彼女なりの照れ隠しであったのかもしれないなと思う。
実際、始めの一週間はそんな驚きや発見で溢れていて、とても興味深いことだらけであったのだけれど、彼女について分からないこともたくさんあった。
例えば、ある日彼女はまだ商品としてコンビニの陳列棚に居た頃の話をしてくれた。
よく隣の棚のインスタントコーヒーが声をかけてきて、正直うんざりだったわ、私その時はいつも、出来るだけ笑顔は心掛けて、でも丁寧におことわりしていたの。
だって私が出荷される前に、田舎の母がいつも口を酸っぱくして言っていたんですもの。コンビニのインスタントコーヒーには気をつけなさい、あれは相当な放蕩者だわよ、って。
ホウトウモノの意味はあの頃の私にはちっとも分からなかったんだけど、陳列棚に並んでみて始めてわかったわ。あれは間違いなくホウトウモノよ。
そんなことを彼女はいっちょまえに(なんて言ったら、私は十分にいっちょまえよ、などと怒られそうだが)淡々と僕に話したのだけれど、僕にはインスタントコーヒーが放蕩者なのかということよりも、彼女の田舎はどこにあって、彼女の母親はいまどうしているんだろうかということの方がはるかに気になったし興味深かった。
だから、手紙などで近況を知らせなくていいのだろうかと尋ねてみたが、ココアちゃんは、そうね、と言ったっきりしばらく黙ってしまったので、あまり触れられたくない部分であるらしいと解釈し、それ以上は何も言わないことにした。
ココアにだって、人に詮索されたくないことがあるのだ。
しかし、ココアちゃんは基本的にとてもおしゃべりな性質で、本当によく色々なことを話した。
あるときは、今朝テレビのニュースで見たという政治家の汚職問題についてや、芸能人の誰と誰が付き合っているということを。またあるときは、昔付き合っていた角砂糖のことや、最近お気に入りだというクラシックCDについてを。
彼女はその何について話すときも、いつでも真剣で、身振り手振りを加えながら全力で、僕に話すのだった。
秋の入り口ってこんなに気持ちがよかったかな、と勤め帰りの雨宮誠二は思った。
日はとっぷり暮れていて、自転車を漕ぎながら切る雨上がりの空気は、湿気を十分に含んでいて多少肌寒くも感じるが心地よく、肺にきっちりとしみこむ。
こんな夜には、ホットココアが飲みたいと思う。
少し遠回りにはなるが、コンビニに寄って行こう。コンビニの明かりはとても無機質に感じるけれど、この無機質さが逆に暖かく居心地がいいと感じるので、誠二はコンビニ、取り分け夜のコンビニが気に入っている。
ココアの粉を探してコンビニの一角へ行くと、そこに突然、ココアちゃんが現れた。
こんばんは、ねえ、雨はまだ降ってるのかしら。音はしないようだけど、体の粉々に湿気を感じるのよね、ちょっとだけ。
だから僕は、雨は上がっているよ、確かにふんだんに湿気を含んではいるけどね、と答えた。
ココアちゃんはその後もしきりに外の様子を気にしたので、とうとう僕は、それなら一緒に外に出てみるかい、と聞いてみた。
一瞬困ったような、頼りなさげな表情を見せたココアちゃんはしかしこう答えた。
ええ、ぜひ連れていって、ちょっと退屈してたところなのよ、ここからは外も見えないでしょ。私にだって外を見る権利があるはずなのに、と。
だから僕は彼女をこのコンビニから連れ出してあげることにした。