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私が顕正会へ入ってすぐに所属となった五隊は、その昔浅井長男。。現在は消息不明。。が率いていて、当時先陣部隊。月の誓願は200くらいあったと思います。
折伏をすれば功徳をたくさん頂ける。
謗法の世の中、折伏しないと与同罪を被ることとなり、勤行する意味がなくなってしまう。
一日も早く広宣流布しないと国が滅んでしまう。友達を救わなくてよいのか!
などの訓示を、先輩たちから受け勧誘活動を開始、組織を離れるまで応援を含め、1000人を超える方たちに、顕正会の勧誘をしてしまった私ですが、
いわゆる逆援の対象者をとことん詰める
土下座して帰れ!と土下座を強要
勧誘をしない同志は、とことん詰められる
顕正新聞を退転者の分もすべて、財のご奉公という名のもと、200部ほど建て替える幹部。一番世話になった先輩が、ご奉公の元借金を重ね自己破産した事実。
信心の耳で聞き奉ったはずの亡国から救うための逆算であるはずの誓願の度重なる未達。しかもそれについて、何の説明もなく、次の誓願が打ち出され、上長たちも一切触れず。
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ほんの一例。
100万達成で10万人の国会誓願もされず
そして私にとっての決定的となったのが
偽本尊のことでした。
御本尊様について
木絵二像開眼の事 文永九年
『法華経を心法とさだめて、三十一相の木絵の像に印すれば木絵二像の
全体生身の仏なり。草木成仏といへるは是なり。
法華を心得たる人、木絵二像を開眼供養さざれば家に主のなきに盗人
が入り、人の死するに其の身に鬼神入るが如し、中略。法華を悟れる智者、
死骨を供養せば生身即法身なり』
大聖人様は不相伝の輩が作成する本尊に対して
『 形は仏に似れども意は本の非情の草木なり。又、本の非情の草木に非ず魔なり
鬼なり。鬼をば奪命者といふ。魔入りて功徳をうばふ。魔をば奪功徳者といふ。鬼を
あがむるゆえに今生には国をほろぼす。魔を尊むゆへに、後生には無間の獄に堕す』
第三十一世 日因上人
『木絵の二像は本草木にてあり。しかるに生身の妙覚の仏と開眼したもうことは、大事
至極の秘曲なり。日蓮大聖人乃至日因に至るまで三一代、累を乱れず相伝これなり』
草木成仏口決 文永九年二月二十日
『妙法とは有情の成仏なり、蓮華とは非情の成仏なり、有情は生の成仏、非情は死の
成仏、生死の成仏と云うが有情、非情の成仏なり
我等衆生死する時塔婆を立て開眼供養するは、死の成仏にして草木成仏なり』
浅井会長発言
昭和60年3月15日『顕正新聞より』
「顕正会で護持している御本尊は、すべて日蓮正宗妙縁寺住職・松本日仁尊能師より授与され、私が護持申しあげてきたものである。(中略)妙信講に解散処分が下された時、私は松本尊能師に将来の広布推進の為、御本尊を大量に御下げ渡し下さるよう願い出た。松本尊能師には私の意を良くお聞き下され、自ら護持されていた 大幅の常住御本尊七幅と、日寛上人書写の御形木御本尊数百幅 を私に託して下さった。この七幅の御本尊とは二八代日詳上人・五四代日胤上人・五五代日布上人・五六代日応上人・六十代日開上人・六四代日昇上人等の歴代上人書写の御本尊であり、このうちの日布上人書写の御本尊が高知会館に御安置されたのである」
しかしその後の平成11年4月25日『顕正新聞』
「ここに、松本尊能師は、妙縁寺に所蔵するところの 歴代上人御直筆御本尊七幅、それから日寛上人の御形木御本尊 、並び日布上人の御形木御本尊 を多数用意して下さったのであります。」
とあります。14年前の昭和60年にはなかった 「日布上人の御形木御本尊」 は一体どの様に手に入れたのか?
平成19年10月5日『顕正新聞』
「ゆえに私は、中略。このとき更に松本尊能化は 『大日蓮華山大石寺』の脇書がある導師曼荼羅の御形木御本尊 まで、 六幅 授与して下さったのであります」
とあるが、大日蓮華山大石寺の脇書がある導師曼荼羅の御形木などは正宗には存在しない。
「導師曼荼羅」とは、葬儀にその御本尊をお供してお経の導師をされる「◇◇山○○寺住職△△」というように、寺院に下附されるで、その寺院の僧侶の名前が書かれています。
ということは、「導師曼荼羅」は直筆であるので、「形木」というものは無いというこであり、御形木が有るとなれば、誰かが「御形木」にしたということで、複製を作ったとしかいいようがない。
大聖人様は『本因妙抄』に
「此の血脈並びに本尊の大事は日蓮嫡々座主伝法の書、塔中相承の稟承唯授一人の血脈なり」 と。
大日蓮華山大石寺の脇書がある導師曼荼羅の御形木など正しいと証明できるものはあるのか?
繰り返し述べますが、浅井氏は凡夫でしかなく、どんなに教学を学んだといっても、ご相伝までは絶対に知らない。知っているというなら、その証拠を出さなくてはいけない。
口に出すのも恐れ多いですが、顕正会の勧誘活動において、自宅拠点が無い地域に行くときは、ご包持といって、ご本尊様をお抱えし、勧誘にいきました。記憶の範囲内ですが、平成10年頃までは、年季の入った歴史を感じるご本尊様であったことを記憶しています。その頃だったか、浅井氏が隊長、区長にご本尊様を下附すると突然発表したころから、どう見ても新品のピカピカのご本尊様が登場することになり、あげくには、大幅の印刷ご本尊様が登場するに至りました。郡山会館の開館式にて、間近で拝見する機会がありましたが、
もし、昔からこのご本尊様が存在していたのなら、新横浜事務所や主要拠点などにどうして掲げなかったのか?
どうして、47年に頂いたご本尊様がこんなにピカピカなのか?
浅井氏にしかしらない深い意があるはず
と、数々の矛盾をこの思考で処理してきた私でしたが、血脈の断絶の発言もちょうどこのころで、果てしなく疑問が広がっていきました。
自身の生活も、広宣流布を急ぐため、どうせ国が滅んでしまうなら、すこしでもご奉公に時間を費やそうと、大学もやめ、たくさんいた友達たちも徐々にいなくなり、上長もかわり、いまのA野さんが隊長、武田支隊を引き継いだのが、Y成さん、同志たちを残し、距離を置く生活に入りました。
登壇の原稿も、
浅井先生の大信力に強く守られ
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大信力が本物なら、なぜに誓願が未達になるのか?
退転者が後をたたないのか?
無二の師匠、浅井先生に断じてお応えして参る決意であります。
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無二の師匠と思わされている、勝手に思い込んでいるだけで、自語相違連発の1凡夫を信じれる方がおかしいことに盲信して気がついていない。
もと、顕正会幹部たくさん周りにいらっしゃいますが、捏造は日常のことだったようです。
木絵二像開眼の事 文永九年
『法華経を心法とさだめて、三十一相の木絵の像に印すれば木絵二像の
全体生身の仏なり。草木成仏といへるは是なり。
法華を心得たる人、木絵二像を開眼供養さざれば家に主のなきに盗人
が入り、人の死するに其の身に鬼神入るが如し、中略。法華を悟れる智者、
死骨を供養せば生身即法身なり』
末端さんの周りの幹部たち、いまの顕正会の幹部たち
みんな、鬼神の入った偽物を拝まされた慣れの果て
と言わざるおえないのではないでしょうか?