三毒とは? | 元顕正会総支隊長補きんぱちのブログ

元顕正会総支隊長補きんぱちのブログ

元顕正会員総支隊長補。立正安国論、三世の生命、臨終の相に感激し、平成5年より約12年間活動。「一生成仏」「広宣流布」「国立戒壇建立」を目指し活動に没頭。偽本尊を始めとする教義逸脱を知るに至り10年間な空白を経て2015年日蓮正宗へ。大石寺塔中「百貫坊」所属。世話人

参考資料1
 心の汚れ貪・瞋・癡の三毒は、生きていく上で一生付き合わなければならない心の汚れであり、心を害すため毒に譬えられます。体の中で発生する毒素です。この貪瞋癡の三毒という汚れを、洗い流し清める方法を知らなければいけません。宗祖日蓮大聖人は、その清める方法を教えており、日蓮正宗に正しく伝わっています。その方法が御本尊様に手を合わせて、御念珠をかけて御経をあげ御題目を唱えることです。
 毎日、御経をあげ御題目を唱えることで、心の汚れ貪瞋癡の三毒が洗い流されます。衣服や体の汚れは誰でも落とせても、根強い心の汚れは、信心をし御題目の南無妙法蓮華経を唱えるしかありません。
 この心の汚れが溜まると貪という貪る気持ちが強くなり、瞋という怒りの命が強盛になり、癡という愚かな愚癡の生命が盛んになります。この汚れは、心に充満すると寿量品に説かれるように「毒気深入・失本心故」になり自分自身を破滅させ、更に周りの家族や友人等に迷惑をかける結果になります。
 この三毒である貪瞋癡を正しく扱っていくことが大事です。日蓮大聖人は、三毒を正しく取り扱う方法を、私達に有り難く御教示されているのであります。
 『御義口伝』に、
 「されば妙法の大良薬を服する者は貪瞋癡(とんじんち)の三毒の煩悩の病患(びょうげん)を除くなり。法華の行者南無妙法蓮華経と唱へ奉る者、謗法の供養を受けざるは貪欲の病を除くなり。法華の行者罵詈(めり)せらるゝも忍辱(にんにく)を行ずるは瞋恚(しんに)の病を除くなり。法華経の行者是人於仏道(ぜにんのぶつどう)決定無有疑(けつじょうむうぎ)と成仏を知るは愚癡(ぐち)の煩悩を治するなり。されば大良薬は末法の成仏の甘露(かんろ)なり。今日蓮等の類南無妙法蓮華経と唱へ奉るは大良薬の本主なり」(御書1768)
と御指南であり、三毒である貪瞋癡を除く方法を仰せです。ひたすら御本尊様に御題目である大良薬を唱え、折伏を行じていくことで、三毒を正しく扱うことが出来ます。それが煩悩即菩提・生死即涅槃にかわります。
 信心しないと心の汚れは、無意識のうちに溜まっていきます。心の汚れ三毒の存在を明らかに見える眼を、常に持つことが大事です。この眼を持ち三毒に左右されない命を、保持していける唯一の方法が、御本尊様を受持し御題目を唱える修行です。
 三毒強盛な生命状態で、人と接すると必ず人間関係が気まずくなります。重苦しい雰囲気が周囲を包み、他の人にも不快感を与えます。これは誰もが経験することです。三毒の扱い方が上手くできていない証拠です。いち早く御本尊様に御題目を唱えることを御勧めします。
 三毒に翻弄されない心構えは、「柔和忍辱衣」を意識にしっかり持つことです。気持ちを穏やかに、柔軟性を持つことです。そして耐え忍ぶことが大事です。御題目を唱え、更に「柔和忍辱衣」を心に纏(まと)うことで貪瞋癡の三毒を変毒為薬することが出来ます。その安堵を得る場所が、御本尊様が在すところです。常に御題目を念じる気持ちが大事です。三毒が心に現れたとき、御題目を唱える意識がしっかりしているか、三毒の命の方が強いかで人生を大きく左右します。この分かれ目の時、どのように判断するかで仏因を決定し人生をも大きく左右します。寺院は、三毒を洗い流す大切な場所です。月に一度は必ず寺院に参詣しましょう。

参考資料2

貪(とん)瞋(じん)癡(ち)の三(さん)毒(どく)とは、貪欲(とんよく)・瞋恚(しんに)・愚癡(ぐち)の三煩悩(さんぼんのう)のことで、その三煩悩が衆(しゅ)生(じょう)の善の心を最も害する根元の煩悩であることから三毒といいます。

 日蓮大聖人は『観心本尊抄(かんじんのほんぞんしょう)』に、

「瞋(いか)るは地獄(じごく)、貪(むさぼ)るは餓鬼(がき)、癡(おろ)かは畜生(ちくしょう)」

                     (御書 六四七?)

と仰(おお)せのように、貪瞋癡の三毒は、地獄・餓鬼・畜生の三悪道の境界を表しています。

 つまり、貪欲とは、自分の欲するものに執(しゅう)着(じゃく)して貪る心、餓鬼の生命をいいます。瞋恚とは、自分の心に違(たが)うものを瞋(いか)る心をいいます。瞋りは他人(ひと)に苦を与(あた)えるので、それが業因となって来世には自らが地獄の報いを受けます。愚癡とは、道理に迷う愚(おろ)かな心、本能的に動く畜生の生命をいいます。

 

 病や不幸の根本原因は貪瞋癡の三毒

 御隠尊日顕上人猊下(ごいんそんにっけんしょうにんげいか)は、

「仏法においては『身は心の従』と教えており、身体は心の善悪に従ってあらゆる変化が生じ、そこに種々の病気や不幸が現れるのであって、その病気の元は過去・現在・未来の三世にわたる心の因縁果報に存するのであります」(大白法 六〇九号)

と御指南されています。すなわち、一切衆生の種々の病や不幸は、すべて心の善悪により現れてくるのです。

 では、その悪の果報を招く悪心とはいったい何でしょうか。それは、法(ほ)華(け)経(きょう)の『五(ご)百(ひゃく)弟子(でし)受記品(じゅきほん)』に、

「衆に三毒有り」(法華経 二九六?)

とあり、『大智度論(だいちどろん)』には、

「三毒は一切煩悩の根本たり」

また、

「根本の四病とは貪瞋癡等分なり」

とあり、さらに『摩訶止観(まかしかん)』に、

「四大は是(こ)れ身の病、三毒は是れ心の病」

                  (摩訶止観弘決会本)

と示され、また大聖人は『始(し)聞(もん)仏(ぶつ)乗(じょう)義(ぎ)』に、

「此(こ)の苦果の依身(えしん)は其(そ)の根本を探り見れば貪(とん)・瞋(じん)・癡(ち)の三毒より出でたるなり」(御書 一二〇八?)

と仰せのように、多くの煩悩の中でも、最も悪(あ)しきものが貪瞋癡の三毒であり、この三毒より見思惑(けんじわく)・塵沙(じんじゃ)惑・無(む)明(みょう)惑の八万四千の煩悩が派生するのです。

 

 邪宗教によって三毒は強(ごう)盛(じょう)となる

 『曽谷(そや)殿(どの)御返事(ごへんじ)』に、

「邪法をあいし、正法をにくむ、三毒がうじゃうなり(中略)飢渇(けかち)は大貪よりをこり、やくびゃうはぐちよりをこり、合戦は瞋恚よりをこる。今日本国の人々四十九億九万四千八百二十八人の男女、人々ことなれども同じく一つの三毒なり」(同 一三八六?)

と仰せのように、三毒は邪宗教によって悪循環(じゅんかん)し、増大していきます。つまり、正法に違背し、邪宗教を信仰することで、三毒は単に個人の不幸、迷いの根元となるだけではなく、貪りは飢渇、瞋恚は戦争、愚癡は疫病(えきびょう)を起こし、日本一国、さらには全世界の人々と国土の不幸の根元、悪の根元となるのです。

 

 貪瞋癡の三毒を三徳と転ずる方(ほう)途(と)

では、これら貪瞋癡の三毒は、いかなる法によって退治することができるのでしょうか。『減劫(げんこう)御書』に、

「末代濁(じょく)世(せ)の心の貪欲・瞋恚(しんに)・愚癡のかしこさは、いかなる賢人聖人も治めがたき事なり。其(そ)の故(ゆえ)は貪欲をば仏不(ふ)浄(じょう)観の薬をもて治し、瞋恚をば慈悲(じひ)観をもて治し、愚癡をば十二因縁(いんねん)観をもてこそ治し給ふ」(同 九二四?)

とあるように、釈尊(しゃくそん)は上根上機の衆生に対し、貪欲は不浄を観ずることにより抑(おさ)え、瞋恚は慈悲をもって滅し、愚癡は十二因縁観をもって治す修行法を説いています。

 しかし、同抄に、

「いまは此(こ)の法門をとひて、人ををとして貪欲・瞋恚・愚癡をますなり。譬(たと)へば火をば水をもってけす、悪をば善をもって打つ。しかるにかへりて水より出でぬる火をば、水をかくればあぶらになりて、いよいよ大火となるなり」

                     (同 九二五?)

と示されているように、末法(まっぽう)の本未有善(ほんみうぜん)の荒凡夫(あらぼんぷ)は、釈尊の脱益(だっちゃく)仏法を信仰しても、貪瞋癡の三毒を消滅(しょうめつ)しないばかりか、かえって貪瞋癡の三毒は強盛となり、全く意味をなさないのです。

 御法主(ごほっす)日如(にちにょ)上(しょう)人(にん)猊下は、

「この貪・瞋・癡の三毒を三徳に転じていく、それにはただ一つ、大聖人様の仏法による以外にないのであります。煩悩即菩提ということが言われますけれども、まさにそれと同じことになるのであります」(大白法 六八七号)

と御指南されています。

 すなわち、末法の衆生が貪瞋癡の三毒を退治するには、大聖人が『当体義抄(とうたいぎしょう)』に、

「正直に方便を捨て但(ただ)法華経を信じ、南無妙法蓮華経と唱ふる人は、煩悩・業・苦の三道、法身(ほっしん)・般若(はんにゃ)・解脱(げだつ)の三徳と転じて、三観(さんがん)・三諦(さんたい)即(そく)一心(いっしん)に顕(あら)はれ、其の人の所住の処(ところ)は常(じょう)寂(じゃっ)光(こう)土(ど)なり。能居(のうご)・所居(しょご)、身土・色心、倶(く)体(たい)倶(く)用(ゆう)の無作(むさ)三身(さんじん)、本門(ほんもん)寿量(じゅりょう)の当体蓮華の仏とは、日蓮が弟子檀那(だんな)等の中の事なり」(御書 六九四?)

と仰せのように、大聖人の文底(もんてい)下(げ)種(しゅ)の妙法を受持信行するところに、貪瞋癡の三毒は即三徳と転じ、即身成仏の本懐(ほんがい)を遂(と)げることができるのです。

 宗門は今日、御法主上人猊下の御指南のもと、「平成二十一年・『立正安国論』正(しょう)義(ぎ)顕揚(けんよう)七百五十年」の佳節(かせつ)における「地涌(じゆ)倍増(ばいぞう)」をめざし、大前進しています。この大事な佳節に当たり、貪瞋癡の毒気に犯された一切の衆生に、最高最上の良薬である大聖人の妙法を服さしめるべく、一層、折伏に励(はげ)むことが大切です。