元顕正会総支隊長補きんぱちのブログ

元顕正会総支隊長補きんぱちのブログ

元顕正会員総支隊長補。立正安国論、三世の生命、臨終の相に感激し、平成5年より約12年間活動。「一生成仏」「広宣流布」「国立戒壇建立」を目指し活動に没頭。偽本尊を始めとする教義逸脱を知るに至り10年間な空白を経て2015年日蓮正宗へ。大石寺塔中「百貫坊」所属。世話人

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2014年に日蓮正宗にご縁をいただき、今年で満12年を迎えました。

振り返れば、私の信心の歩みは決して平坦なものではなく、迷いと葛藤、そして回り道の連続でした。

 

花の都・大東京に憧れ、親に無理を言って高い学費をかけてもらい、馬場にあった早稲田予備校に通わせてもらった学生時代。
ようやく大学受験を終えた1993年3月14日、同じアパートに住んでいた方が「合格祝いをしてあげる」と連れて行ってくれた喫茶店――【マジョリカ】。


そこから、私の人生は大きく動き始めました。

あれよあれよという間に活動にのめり込み、1年後には支隊長。
気が付けば12年間、全力で走り続けていました。


あれほど苦労して入った大学も、2年で中退しました。

理由は単純でした。
「あと20年で国が亡びるなら、大学に行っている意味はない。今のうちに功徳を積もう。できるだけ多くの人を救おう。」

浅井会長の言われることを、愚直に、まっすぐに、疑うことなく信じ切り、走り抜けた12年でした。

 

その後、約10年の空白の時間を経て、「自分の成仏のためにやはり信心を」と、迷いと葛藤の中元壮年部長であったIさんを訪ねました。
そして気が付けば、大石寺塔中に所属させていただく身となっていました。

大石寺にご縁をいただいた際、ご住職様より
「それぞれの因縁を経て、今ここに至られているのです」
とのお言葉を頂戴しました。

 

思えば、福島から上京して住んだ地はときわ台。
そこに越してきた方との縁で顕正会に触れ、
そして今、日蓮正宗という立場に立っています。

 

顕正会での12年があったからこそ、今があります。
あの活動の日々があったからこそ、日蓮正宗のご存在、御本仏・日蓮大聖人様のご存在を知ることができました。

真剣に活動し切った自分自身に、そして大石寺という本当に素晴らしい場所を教えてくれた顕正会に、私は感謝しています。
初めて御開扉をいただいたとき、涙が止まらなかった――まさに【両眼滝】でした。

 

 


 

 

駅前で、寒さの中、広告文を配り続ける方々の「その思い」には、今でも頭が下がります。
中国が、ウクライナが、トランプ大統領が、経済崩壊が――


確かに、世の中は不安と混迷に満ちています。

末法濁悪、闘諍堅固と予言された時代。
末法に入って以降、世界は争いの歴史を繰り返してきました。

 

それを浅井会長は「信心の耳」で聞き、
大聖人様よりご命令を賜り、今こそ広宣流布の時だと説いてきました。
原因は宗門の御遺命破壊であり、
「大悪起これば大善きたる」と。

 

しかし現実はどうでしょうか。

立正安国論を基として顕正新聞を通じて世に放たれてきた数々の予言は、結果として外れ続けています。
それも「信心の耳で聞け」「亡国からの逆算だ」「長の一念で戦う誓願だ」と説明されてきましたが、
冷静に見れば、そこにあるのは誓願の惨敗の歴史ではなかったでしょうか。

 

さらに、昭和49年の解散処分後、
「日蓮正宗と違っていていいのは御遺命論だけのはず」だったものが、
いつの間にか化儀の形式まで次々と変更されてきました。

1993年、「あと20年で国が亡びる」と聞き、本気で戦った当時の私からすれば、
今のこの現実は、正直、想像すらできないものです。

 

 


 

では、顕正会で教わった日蓮正宗に、実際に縁するのかどうか。
それは、誰かに決められることではありません。
すべては、自分自身の選択次第なのだと思います。

 

私自身、2014年に日蓮正宗にご縁をいただいてから12年、
本当に数え切れないほどの功徳を積ませていただき、
もったいなくも多くのご加護をいただいてきました。

 

顕正会での12年も、空白の10年も、
すべてが今につながる因縁であり、無駄なものは一つもなかったと感じています。

 

だからこそ、今、問われているのは
「誰の言葉を信じるか」ではなく、
「自分は、現実とどう向き合い、何を選び取るのか」ではないでしょうか。

この文章が、かつての私と同じように悩み、迷い、立ち止まっている方にとって、
自分自身の信心を見つめ直す一つのきっかけとなれば幸いです。