七日町駅で手に入れた、
会津若松のガイドマップを眺めていたら、
「野口英世青春通り」なる通りがあった。

そういやガキの頃、
『野口英世伝』を読まされたっけ。

偉人の伝記を読んだところで、
何の影響もないというのは、
オレがいい例だ。

で、同行のカメラマンS氏と、
野口英世は悪評も多かったことなど話しながら、
通りに行ってみた。


野口英世のイラスト付き看板の下には、
「八重の桜」のフラッグ。

頑張れ!会津!


こちらは野口英世青春広場。

奥の方に立派な銅像が見えるが、
何かゆかりのある場所なのだろうか?


「野口英世青春館」

ここは野口が手の手術を受けた病院跡らしい。

赤ちゃんの頃、あやまって囲炉裏に落ちて、
野口は片手にひどいやけどを負い、
握り拳のままになっていた。

その手術を受けたのがここということか。
なるほど、伝記がよみがえってきた。

で、野口英世は10代の後半、
この辺で過ごしていたことから、
「野口英世青春通り」と呼ばれているそうだ。

ここを経て、野口英世はアメリカに渡って細菌学の研究をし、
アフリカ・ガーナで黄熱病で亡くなった。

享年51歳。

オレより若いじゃん・・・。

性格に難ありとの噂が伝わるが、
それぐらいじゃないと、あの時代に、
あれほどの功績を残すのは無理。

同じ年月をのほほんと暮らしてきたオレは、
つくづくそう思う。

思うだけなんだけど。