京都に寺町という通りがある。

秀吉が聚楽第に住んでいた時だと思うが、
京都守護のため、特に東側からの侵攻を防ぐために、
寺を並べたことに由来する名称らしい。

長崎市にも中島川の山側に寺町がある。

その由来はわからないのだが、
坂本龍馬が闊歩し、
永井荷風がシャンゼリゼと並び称した寺町は、
長崎の歴史を表す通りといって間違いないだろう。

だけど、奈良や京都で厭っちゅうほど寺は見てるし、
とりあえずパスかなと思ってたら、
唐寺ってのがあって、パスをパス。


まずは、日本で最初の唐寺「興福寺」。

奈良の興福寺の系列かと思ったらさにあらず。

黄檗宗の禅寺として江戸初期につくられ、
後に隠元禅師がここに招かれたことで有名だ。

隠元禅師は、インゲン豆にその名を残し、
ナスやレンコン、もやし、普茶料理などの食べ物から、
400字詰め原稿用紙や印鑑など、
さまざまなものを日本にもたらしてくれた恩人。

上の山門の扁額は隠元禅師の書らしい。


なんか最近、石組を見るのが好きで、
この構成の美しさには見とれてしまった。


大雄宝殿。

蘇鉄と唐風の本殿との組み合わせは、
奈良・京都ではあまり見られないもの。

さすがに唐寺には異国の趣がある。


細かい意匠にもその違いは明らか。


昔の集会所みたいな空間も中国風。

激しい湿度でしっとりしているせいか、
誰もいないせいか、落ち着くことこの上ない。


次は、興福寺創建後、
中国・福州の人たちが建てた「崇福寺」。

まるで竜宮城のような門は、
その名もズバリ「竜宮門」。


次にある「第一峰門」は、なんと国宝!


大雄宝殿も国宝!

ここの2件と大浦天主堂の3件の国宝が、
長崎市にある。

国宝ってのは日本に1000件以上あるわけで、
割合で考えると少ない気がするが、
九州に6件あるうち3件があると考えると、
ありがたみが増してくる。

というか、九州に6件しかないのが驚きだけど。


これは江戸初期の大飢饉の際に、
粥の炊き出しに用いられた大釜。


石畳もしっとり濡れて、情緒たっぷり。


時間の都合と蒸し暑さのせいで、
じっくり歩いてみて回ることを避けたが、
寺町通りをゆっくり見学すると、
新たな驚きがいっぱいあるのかもしれない。

ちょっと惜しい気がした。