今回の長崎旅で、
必ず行こうと思っていた「平和公園」。
実は、広島の原爆ドームにも行ったことがなく、
原発が問題となっている今だから、
原爆のことを知っとかなきゃと思って、
まことに遅ればせながら……。
まずは「長崎原爆資料館」へ。
原爆が投下された後の貴重な資料の数々は、
原爆というものを実感させるに十二分。
多少、知識として頭に入っていたことも、
実物を前にすると、言葉としての理解でしかなく、
正しい知識でなかったことを痛感させられた。
このようなむごたらしい兵器が、
日本に、2度も落とされたというのに、
この時まで認識が薄かったことが悔やまれる。
そんな中でピースサインでポーズをとり、
写真を撮りまくるアジアからの観光の方々。
悲しみの極みだ。
次は「原爆落下中心地公園」。
人間はまだ原子力を用いるほど、
優秀ではない。
60年以上たっているのに、
まだ愚かなままなのだ。
必ず行こうと思っていた「平和公園」。
実は、広島の原爆ドームにも行ったことがなく、
原発が問題となっている今だから、
原爆のことを知っとかなきゃと思って、
まことに遅ればせながら……。
まずは「長崎原爆資料館」へ。
原爆が投下された後の貴重な資料の数々は、
原爆というものを実感させるに十二分。
多少、知識として頭に入っていたことも、
実物を前にすると、言葉としての理解でしかなく、
正しい知識でなかったことを痛感させられた。
このようなむごたらしい兵器が、
日本に、2度も落とされたというのに、
この時まで認識が薄かったことが悔やまれる。
そんな中でピースサインでポーズをとり、
写真を撮りまくるアジアからの観光の方々。
悲しみの極みだ。
次は「原爆落下中心地公園」。
1945年8月9日の爆心地跡だ。
右側にあるのは被爆した浦上天主堂の壁。
ここか。
そう思いながら歩を進めるにしたがって
頭がずきずき痛んでくる。
「長崎原爆資料館」で知ったことなのだが、
最初の投下予定地は福岡県・小倉市。
それが天候の影響で長崎市に変更されたとのこと。
その時の投下目標地点はなんと、
中島川の眼鏡橋付近だったとか。
だが、さらに天候が邪魔をして、
ここに落とされたのだ。
歴史に「たられば」はないが、
考えさせられる。
中心地の近くに行ってみたら、
松山町復元の会の方々の協力でつくられた、
当時の住居地図が掲げられていた。
それぞれの区画に苗字が書かれている。
それぞれに営まれていた家族の暮らしが、
一瞬のうちに消えてしまったわけだ。
そして、平和公園へ。
人間はまだ原子力を用いるほど、
優秀ではない。
60年以上たっているのに、
まだ愚かなままなのだ。