2日目の昼は丸山の料亭「花月」を予約していたので、
新地中華街でふられたあと路面電車「思案橋」で下車。

思案橋。

♪ど~うすりゃ~いいの~さ~思案橋(長崎ブルース)

演歌によく出てくるこの地名、
実は丸山の花街への道にかかる橋で、
行こうか戻ろうか思案したことからつけられたらしい。

その先には「思切橋」ってのがあって、
ここで決断したってことからつけられている。
これまた演歌で耳にしたことがある。

「思切橋」は別名「見返橋」。
花街の遊女との名残をこの橋で振り返ったことが所以。

いずれの橋も現存していないが、
名称だけでも花街情緒に浸ることができる。

今も歓楽街として栄えている思案橋から丸山だが、
江戸時代の丸山は、江戸の吉原、京の島原に並ぶ三大花街。

出島や唐人屋敷への出入りが許されていたという点で、
丸山は最も先進的であったといってもいいかもしれない。


歴史的な建物がいきなり現れ、
なにかと思ったら、丸山交番。

さすが歴史的な街。


これは昔の丸山エリアの境界線。

こんな高い壁で囲われていたということは、
簡単に外に出ることが許されなかったということか。

現存する長崎検番のそばを通ったら、
三味線の音が聞こえてきて、ますます盛り上がる。


ずんずん奥へ進むと、
坂の町の言葉通りの階段道。


丸山公園にたつ坂本龍馬。

お得意さんのひとりだったということか。


もとは妓楼だった「中の茶屋」。


今も見事な庭を保ち、オレが訪ねたときには
ブライダル用の写真撮影が行われていた。

ものすごい湿度をものともせず、
幸せなポーズをとる和装の新婚さんにとって、
美しいロケーションだとは思うが、
妓楼ってのがちょっと。


中の茶屋の隣には、梅園身代り天満宮。

直木賞作品『長崎ぶらぶら節』でも描かれていた、
丸山で働く女性たちにとって欠かせない場所。

さまざまな情念が積もっているといってもいい。

グッとくる場所だ。


オレにとってありがたかったのは、
このボケ封じの撫で牛。

これで老後は安心だ。